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篠崎はアウディから降りると、軽く伸びをしながら天賀谷展示場を見上げた。
平日だというのに、時庭展示場のイベント時よりも車が停まっている駐車場を見て、思わず鼻で笑う。
先日、秋山から出た提案が頭を掠める。
「……もう時庭展示場に縛られている理由もないでしょ」
彼の何を考えているかわからない小さな瞳を思い出す。
(そうだ。もう時庭にこだわる必要も、時庭で“待つ“必要もない。だって……)
コートの胸ポケットに入れていた携帯電話が震える。
『ブライダルハウスSHIMADAの高塚ですぅ』
やけに大きな声に、篠崎は一瞬電話を耳から離した。
『篠崎様の携帯電話でよろしかったですかあ?』
「ええ、はい」
受話音量を調整しながら耳に戻す。
『本当は新婦様に連絡を取りたいんですけど、お忙しいのか、電話に全然出てくれなくて、ですね』
甲高い声で話し続ける高塚の顔を思い出し、少々うんざりする。
(あいつ、仕事辞めて家でゴロゴロしているくせに……)
「何かありましたか。よければ私から伝えま―――」
『本当ですか!?』
言い終わらないうちに高塚がひと際高い声を出す。
『実は、ウェルカムボードに使う新婦様のお写真が、微妙にブレておりまして。新郎様のは大丈夫なんですけど』
「わかりました。伝えておきます」
『すみません、助かりますぅ』
篠崎は軽く息をつきながら通話を切ると、首を回した。
結婚式まで数ヶ月だ。
その間、電話になかなかでない新婦の代わりに、こんな調子でブライダルハウスから電話が頻繁にかかってくると思うと、ため息が出た。
「……あいつにちゃんと電話出るように言っとかなきゃな」
見た目に反してズボラな“新婦”の顔を思い出し、ふっと笑うと、篠崎は天賀谷展示場の外階段を上がった。
事務所に入ると、パソコンから視線だけ上げた秋山が小さく頷いた。
「和室にみんないるから」
「わかりました」
篠崎は框に上がると、チラリと事務所を見回した。
すぐ近くに座っている林が小さく会釈をする。
奥の窓際は紫雨の席だが、もう和室にいるのだろう。姿が見えなかった。
そして、その隣の席には……。
「篠崎マネージャー、お疲れ様です」
どこか他人行儀に微笑む新谷が座っていた。
「……おう!」
何でもないような軽く手を上げると、彼は林とは対照的に深く会釈をした後、視線をプレゼンテーション用のファイルに戻した。
新谷とは互いの展示場で何度も顔を合わせるものの、そのたびにこのような他愛もない挨拶を交わすのみで、会話らしい会話はしていない。
真剣にプレゼンファイルをチェックしているその顔を盗み見る。
近く商談でもあるのだろうか。
彼は時庭展示場でたて続けに2件決め、その後天賀谷で1件決めたあと、ぱったりと受注が止まっていた。
ついその見積もりと間取り、外観を覗き込みたくなるが、ぐっと我慢する。
篠崎は彼の脇を通過すると、展示場のドアを開け、その中に入っていった。
◇◇◇◇◇
展示場に吸い込まれるように入っていった篠崎の後ろ姿を見ながら、由樹は一人、ため息をついた。
心臓が自分でも笑ってしまうほどバクバクと鳴っている。
落ち着けるために大きく深呼吸をすると、斜め前に座っていた林がこちらを軽く睨んだ。
(……この人だけはいつまで経っても心を開いてくれないな)
ブレない林の態度にある意味感心しながら、おかげで少しだけ落ち着いた胸を撫で、由樹は静かに微笑んだ。