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リンドを遠くへと蹴り飛ばし、闇竜から引き剥がした。
空中でちっさくなっていく影をぼんやり眺めながら、私はほんの少しだけ昔のことを思い出していた。
私の生まれたザレンツァ大魔帝国と、リンドが籍を置くアラミスリド大魔王国は、長いこと冷戦状態にある。
「いつ戦争になってもおかしくない」と、物心ついたころから耳にタコができるほど聞かされてきたけれど――それは、決して大げさな話ではない。
ザレンツァの国教は七竜教。
|古代竜《エンシェントドラゴン》を主として、その眷属たる四元素の竜と二対の竜を信仰する教えだ。
四元素と二対の竜はすでに顕現していて、残すは古代竜ただ一体――。
そうなった時だった。
二対の竜の片割れである闇竜が、忽然と姿を消したのは。
ザレンツァの帝王――つまり、私のお父さんは、その事実を国民から隠した。
闇竜が姿を消した原因がアラミスリド側にあると知っていたからだ。
あのことを公表すれば、間違いなく戦争になる。
竜を冒涜した報いとして、アラミスリドを滅ぼそうという声が民衆から噴き上がるだろう。
そうなれば、確かに「正義」は果たされるかもしれない。
けれど同時に、数え切れないほどの国民が死ぬ。
お父さんは、それを良しとしなかった。
七竜が信仰の対象になっているのは、単純な話だ。
生物として、圧倒的に強いから。
強さこそが全て――そんな価値観で生きている私たち魔族からすれば、竜という種族は、まさに信仰の象徴だった。
そう、強さは正義。
……なのに。
アラミスリドの連中やラヴィスたちは、自分の力を磨こうとせず、どこぞの胡散臭い「主」に媚び諂って、そのおこぼれで強さを“偽装”している。
私は、それがどうしても許せなかった。
アラミスリドの王とお父さんは、ほぼ同格の強さだ。
だからこそ、片方が本気になって戦えば、どちらかが死ぬまでやり合うことになる。
そんな結末は、たぶん誰も望んでいない。
アラミスリドは許せない。
だけど、お父さんが死ぬのも、なんか違う。
――じゃあ、私が、もっと強くなればいい。
誰よりも強く。
お父さんよりも、アラミスリドの王よりも。
「王位ランキング一位になれば、力もついてくるぞ」と誰かが言っていた。
だから私は全員を倒して、一位になった。
「魔王の力でダンジョンを作れば、もっと強くなれるぞ」と聞けば、お父さんの持つ魔王の権能を借りてダンジョンを作った。
配下たちが侵入者を倒せば倒すほど、レベルが上がっていく。
お父さんとアラミスリドの王は“運営者”と呼ばれる立場で、ダンジョンを作る力を他の者に分け与え、別の世界の侵略を進めているらしい。
その別世界には、「上質な魂」がたくさんあって。
それを使えば、さらに高みに昇れるのだとか。
小難しい制約も色々あるみたいだったけど――うん。私、難しい話は嫌いだから。
途中からはほとんど聞き流していた。
初めて作ったダンジョンを別世界に繋げて、数日。
縞模様の服を着た人間が一人、ふらふらとやってきた。
私のいる世界の人間の魂とは違い、その魂には一切の魔力が混ざっていない。
濁りのない、澄んだ魂だけの人間。
(あぁ、なるほど……)
と、すぐに理解した。
これだけ混じり気のない魂が得られるのなら、制約があろうが、喉から手が出るほど欲しくなる――と。
戦い方の「せ」の字も知らないような人間たちが、数日おきにやってくる。
私はダークエルフの配下に命じた。
「入ってきたら、一瞬で殺しなさい」と。
何が起きたか理解する間もなく殺してあげたほうが、まだ優しい。
弱者に長々と苦痛を与えるのは、強者のすることじゃない。
それはただの、嗜虐だ。
――そして、あーちゃんと出会った。
最初に視界に入った瞬間、目を奪われた。
人間という弱小種に生まれながら、研鑽と努力で磨き上げた、澄んだ魂の光に。
話して、斬り合って、魔力をぶつけて。
気が付けば、心まで奪われていた。
香りも特別だった。
魔力に満ちた血の匂いに、魂の芳醇な香りが混じって。
他のどんな血とも違う、甘くて、濃くて、小さな器にギリギリまで押し込められたような、破裂寸前の“何か”。
正直、殺したくなかった。
ダンジョンを閉じて侵入者を外に出す、運営者用の権限があることを思い出して、ぎりぎりまで迷って――結局、あーちゃんだけは外へ返した。
……けれど、欲には勝てなかった。
“味見”だけは、どうしても我慢できなかったの。
私の予想通り、あーちゃんは話を聞いてくれた。
人間にしては信じられないほどの力を持っていて、剣も魔力も、全部が美しかった。
壊さないように、細心の注意を払いながら、ほんの少しだけ傷をつける。
その傷から溢れた血を、あーちゃんを外に返してから指で掬って舐めた。
瞬間、全身に雷みたいな衝撃が走った。
今まで飲んできた血が全部、泥水みたいに感じるぐらい。
味が違った。
美味しすぎて、しばらくその場から動けなかった。
それと同時に、胸のどこかがきゅうっと締め付けられるような、変な感情が芽生えた。
いつもなら、【魅了】や他のスキルを使って、力づくで自分のモノにしてしまえばいい。
実際、それが一番簡単だ。
でも、あーちゃんにだけは、それをしたくなかった。
お母さんに相談したら、笑いながら言われた。
「それは恋ね」と。
恋。
よく分からない単語だった。
今も、はっきり分かっているわけじゃない。
だけどお母さん曰く、「番《つがい》になること」らしい。
つまり――ずっと一緒に居るってこと。
それから、あーちゃんのことを忘れられない日々が続いた。
寝ても覚めても、あーちゃんの魔力と匂いが頭の中をぐるぐる回って、うまく寝付けない。
そんな時、王族交換でザレンツァに来ていた継承権十五位のジルドが、別の世界で人間に殺されたという噂を聞いた。
……たぶん、あーちゃんだと思った。
居ても立ってもいられず、私は再びダンジョンを作って、今度はあーちゃんの世界へ直接行くことにした。
あーちゃんの世界に出てみると、そこにはたくさんの人間が生活していた。
魔力を使っていないのに動くものがあちこちにあって、最初は本当に不思議で仕方がなかった。
ただ、彼らの暮らしは、私の国とそこまで変わらない。
みんなそれなりに忙しそうで、笑っていて、喧嘩もしていて――やっぱり「生きている」。
(いいところだなぁ)
と素直に思った。
そうして帰ろうとした、その時。
肝心のダンジョンが攻略されて、ゲートが消えていた。
……人生で初めて、本気で血の気が引いた。
空腹は、周囲の空気から魔力をかき集めれば、しばらくはどうにかなる。
だから、人間を狩るという選択は、最後の最後までしたくなかった。
高い建物――ビル、というらしい――の屋上で丸くなっていると、知っている魔力が猛スピードで近づいてきた。
あーちゃんだ、とすぐに分かった。
残っていた力を全部かき集めて、私はあーちゃんに泣きついた。
そこから先は、色々あって……今、私はあーちゃんの家でお世話になっている。
手合わせをしたとき、つい我を忘れて封印を解こうとしたのは、反省点。
あの姿は、あんまり可愛くないから。あーちゃんに見せたくない。
久しぶりに「戦い」というものをして、昂った私は――我慢できずに、あーちゃんの首筋に牙を立ててしまった。
今思い出しても、生唾が込み上げるぐらいの味だった。
途中から他の子たちも混ざってきて、それはそれで良かった。
あの子たちは魔脈を開いたことも手伝って、私のとても好みの味に育っている。……あーちゃんほどではないけど。
ずっと一緒にいるために、私はあーちゃんに「眷属にならない?」と提案した。
そうすれば、本当に永遠に一緒に居られるから。
必死に魅力をプレゼンしたけど、あーちゃんは首を縦に振ってくれなかった。
断られてしまい、しばらくどうしようか考えに考えて――お父さんのことを思い出した。
お父さんには、たくさん側室がいる。
つまり、お父さんの「真似」をすれば、いいのでは? と。
ほとんどこじつけで、押し付けに近いけれど。
私は「あーちゃんの側室になる」という形で、あーちゃんの側に居続ける許可をもぎ取った。
……うん。結果オーライ。
「はぁ。早くあーちゃんのところに戻らないと」
ひとつ息を吐き、私は遠くへ吹き飛ばされたリンドの方へと向き直る。
あーちゃんたちからは、もう十分距離が離れている。
ここなら、多少派手にやっても巻き込む心配はない。
リンドは、裾についた土をぺちぺちと払ってから、ゆっくり立ち上がった。
「今日こそは決着を付けさせて頂きますよ? 私と貴女、戦いは何度もしていますが、全て決着がついておりません」
「……戦ったっけ?」
「煽るのもいい加減にしてほしいですねぇ! いつまで自分が強者だと思っているんですカ!?」
声色は相変わらずねっとりしているのに、語気だけは妙に荒い。
リンドがそう叫ぶと、私の周囲に大量の魔法陣がぱっと咲いた。
指を鳴らす。
そこにほんの少し魔力を乗せるだけで、展開されていた魔法陣は次々とヒビを入れて崩れ落ちていく。
見え見えの攻撃。
あーちゃんの妹――沙耶のほうが、よっぽど上手に魔法を使う。
「くくくっ! 先ほどのは足止めですヨ! 我が主より賜った力を見せてあげまショウ!」
リンドの身体がぐにゃりと歪み、その姿が変わっていく。
あーちゃんより頭ひとつ高かった身長が、ミノタウロスと同じくらいまで伸びる。
皮膚は真っ黒に変質し、岩のようにごつごつと硬そうになった。
筋肉も不自然なほど隆起し、胸板から腕にかけて、鎧を重ね着しているみたいな厚みがつく。
ミノタウロスと見比べても遜色ない、いや、それ以上かもしれない。
そして同時に、内側から溢れる魔力の量も、どん、と数段跳ね上がった。
「……それだけ?」
「余裕ナノハ今ウチデスヨォ!!」
次の瞬間、魔法陣が展開されたのと同時に魔法が発動する。
闇属性の魔法が、弾丸のように一斉に飛び交った。
【血装具】で創り出した短剣を振るう。
飛んでくる魔法を一つ一つ、斬って、裂いて、叩き落としていく。
けれど、すべてを捌ききって短剣を構え直した時――刀身に細かな亀裂が入っているのが見えた。
「ん。理解。浸食だね」
「分カッタトコロデ対策デキルトデモ?」
「んー……早くあーちゃんのところに行きたいから、私も本気出してあげる」
いくらあーちゃんでも、ゾンビ化した闇竜が相手なのは、さすがに心配だ。
心配しすぎだって分かってる。
でも、これがたぶん“恋”ってやつの影響なんだろう。
あーちゃんから、古代竜の力の気配がするのも気になる。
あれもちゃんと聞きたい。
全部片付けて、一緒にお風呂に入って、背中を流しながらゆっくり聞きたい。
「本気? ソンナ力ヲ出シタトコロデ今ノ私ニ――」
「ん。一つだけ、教えてあげる。貴方と戦った? 中で本気を出したことは一度もないよ」
実際、そうだ。
ずっと「厄介な虫を追い払う」くらいの気持ちで相手をしていたのに、勝手に互角だと思い込まれても困る。
私の中には、五つの封印がある。
それらを、すべて――解き放つ。
私はハイエルフ、淫魔、吸血鬼、悪魔。
四つの種族の血を継いでいて、その血に宿る力を、100%ずつ全て使うことができる。
本来なら、一種類だけで器が壊れるような力だ。
だから普段は、四つ合わせて100%になるように封印し、バランスを取っている。
封印が五つあるのは、その「混ざり」を防ぐための封印が一つ、余分に存在するからだ。
全部を解き放てば、本来のスペックは――とても気持ちがいいけれど。
長く続けると、二度と戻れなくなる。
見た目は、淫魔とハイエルフ寄りに調整する。
そのほうが可愛いから。
調整を失敗すると、悪魔寄りになる。
リンドみたいに、筋肉モリモリで黒光りした姿になるのは絶対に嫌だ。
「ふぅ、久しぶりの封印解除は疲れる」
「何ナンダッ!? ソノ魔力ハ!!」
制御していない魔力が、暴風のように周囲へ溢れ出る。
肉眼でも見えるほど濃い黒い筋が、私の身体から幾重にも立ち昇っていた。
悪魔のスキル【沈黙】を使う。
私の周囲から、音が消えた。
淫魔のスキル【吸魔】を使う。
私以外の魔力が、世界から抜け落ちていく。
吸血鬼のスキル【血装具】を使う。
私の周囲に、数千本の血の短剣が浮かび上がる。
ハイエルフのスキル【高位魔法】を使う。
空間一面に、数万の魔法陣が花畑みたいに展開される。
全ての矛先は、リンドただ一人。
私は、声に魔力を乗せて、囁くように告げた。
「さあ、避けてごらん?」
音を消しているから、詠唱はできない。
魔力を奪っているから、防御に回すこともできない。
防ぐ術も、逃げる余地もない。
瞬きする間もなく、全ての攻撃がリンドに降り注いだ。
最後に、何か叫んでいた。
けれど、音は消しているから、当然聞こえない。
――本当の理由?
「ん。爆発音がうるさい……消して正解」
ばくん、と空気が揺れたあと、舞い上がった土煙を風で吹き飛ばす。
そこには、肉片すら残っていなかった。
ぽつん、とひとつ。
リンドの魔石だけが、地面に転がっている。
解き放った封印を元に戻すのは、正直、面倒くさい。
このままでも、別にいいかなぁ――なんて、一瞬だけ思った。
だけど、この状態を維持していると、あーちゃん以外の子たちが、多分すごく大変なことになる。
……それは、それで少し魅力的な絵面が浮かんだけれど。
あーちゃんに確実に怒られるし、最悪、嫌われるかもしれない。
それだけは絶対に嫌だ。
私は地面にぺたんと座り込んで、自分の中へ封印を施し始めた。
十数分以上、この状態のままでいると、血が完全に混ざり合ってしまって、二度と戻れなくなる。
急いでも、封印を元に戻すには最低五分はかかる。
それまでの間――。
あーちゃん達が無事でいてくれますように、と。
珍しく、祈るような気持ちで瞼を閉じた。