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《フロリダ・ケープカナベラル宇宙軍基地/警備ブリーフィングルーム》
ホワイトボードには、大きく
<ASTRAEA A LAUNCH -3 DAYS>の文字。
その下に、
基地周辺の地図と、太い赤いライン。
軍警備担当の士官が、
指し棒で地図をなぞる。
「ここから内側が“レッドゾーン”。
一般市民立入禁止エリアだ。」
「問題は——」
指先が、
海沿いの道路と駐車場を示す。
「この“イエローゾーン”。
当日は“パブリックビューイング”を名目に
多くの一般人と、
“祈りの集会”の参加者が集まる見込みだ。」
モニターには、
SNS上で拡散されている画像が映る。
<“ASTRAEA, DON’T TOUCH GOD’S LIGHT”
ケープ海岸で祈りの輪を作ろう>
「現地警察との情報共有では、
“非暴力”と強調している。」
「だが、
ごく一部の過激な連中が
レッドゾーン側に押し寄せる可能性は
否定できない。」
最前列に座っていたNASA職員が、
おそるおそる手を挙げた。
「技術者と家族は……?
当日、どこまで近づいていいんでしょうか。」
士官は、
少しだけ声のトーンを落とした。
「ロケットを設計した人間が
自分の目で見たい気持ちは、
誰より理解しているつもりだ。」
「だが今回は——」
ホワイトボードの、
レッドゾーンとイエローゾーンの境界に
丸印を書き込む。
「“安全のための距離”を
いつもより大きく取らせてもらう。」
「君たちはロケットの安全を作り、
我々は、そのロケットまでの道を守る。」
「それぞれの仕事を、
徹底してやるしかない。」
後ろの席で、
ひとりの若いエンジニアが
そっと拳を握った。
(あとは、
アストレアが飛ぶかどうかだけじゃないんだな。)
(“そこまで辿り着けるかどうか”の
戦いも、もう始まってる。)
《JAXA/ISAS 相模原キャンパス・正門前》
小雨が、
アスファルトをまだらに濡らしていた。
正門前の歩道には、
今日も白いローブと
一般の見物人、
そして“科学者を応援する”と書かれた
手作りプラカードの人々。
その間を、
制服警察官が何人も行き来している。
「ロケットを撃つな!」
「科学で神を殺すな!」
怒鳴り声と、
「がんばれJAXA!」という声援が
ごちゃ混ぜになる。
門の内側から、
白鳥レイナがそっと様子を見ていた。
(……今日も、いる。)
“黎明教団”のシンボルマークのペンダント。
胸の前でそれを握りしめている若者。
そのすぐ横で、
「アストレア安全祈願」と書かれたボードを持つ親子。
(同じ空のオメガを見上げて、
まったく違う願いごとしてるんだから、
不思議なものよね……)
警察官が、
通用門の方へ職員を誘導する。
「こちらからどうぞ。
今日は少し、人が多いので。」
レイナが歩き出そうとした、その時——
「待てよ!」
鋭い声とともに、
一人の男が列から飛び出した。
フードを被り、
黎明教団のマークの腕章をつけた青年。
男は、
門へ向かう職員の前に
無理やり割り込んだ。
「お前らが、
神の光を壊そうとしてるんだろ!」
肩をつかまれた若い職員が、
驚いて立ちすくむ。
すぐに、
警察官が間に入った。
「手を離して。
ここは“祈る場所”であって、
“掴む場所”じゃない。」
青年は、
警察官の手を振り払おうとする。
「ニュースで見たぞ!
お前らが“キネティックインパクター”だか何だかで——」
その瞬間、
押し問答のはずみで
青年の肘が職員の頬に当たった。
「っ!」
職員がよろめく。
レイナが思わず駆け寄る。
「大丈夫?」
「だ、大丈夫です……
ちょっとぶつかっただけで……」
しかし周囲から、
一瞬でスマホが上がる。
「今、殴ったよな?」
「殴ってない!
ちょっと触れただけだ!」
叫び声とシャッター音。
空気が一気にざわつく。
警察官は、
青年の肩をしっかりつかんだ。
「いいか。
“ちょっと触れただけ”の先には、
“本当に殴る”が待ってる。」
「その線を越えさせないのが、
こっちの仕事だ。」
青年は荒い息を吐きながらも、
どこか怯えた目をしていた。
「……俺たちだって、
怖いんだよ。」
「空から岩が落ちてくるのも、
ロケットが神様に向かっていくのも。」
その言葉に、
レイナの胸が少し痛む。
(怖いのは、
きっと同じなんだ。)
(“怖いときに何を選ぶか”で、
私たちは今、
本当に別の道に立たされてるんだな……)
《総理官邸・危機管理センター》
スクリーンには、
JAXA周辺の警備状況と、
ケープカナベラルのライブ映像。
藤原危機管理監が報告する。
「相模原で、
黎明教団の一部参加者による
小規模なトラブルがありました。」
「負傷者は軽傷。
現場の警察が迅速に対処し、
大きな混乱には至っていません。」
サクラは、
食い入るように映像を見つめる。
モニターには、
正門前で押さえられる若い青年の姿と、
スマホを構える人々。
「……“殴る自由はない”って言い切って
まだ数日しか経ってないのに、
もう“ぎりぎりのところ”まで来てるのね。」
中園広報官が、
別の資料を広げる。
「この映像、
SNSで拡散が始まっています。」
「“科学者が襲われた”というタグと、
“信者が過剰に取り押さえられた”というタグ、
両方が“トレンド”に上がり始めています。」
サクラは眉をひそめた。
「同じ出来事なのに、
まるで別の話みたいに聞こえるわね。」
「これが“分断”か……。」
藤原が静かに言う。
「“誰を殴ったか”“誰が殴られたか”だけで
世界が二つに割れる。」
「ですが、総理——」
彼は
サクラをまっすぐ見た。
「“線を引く言葉”を
先に口にしたのは、あなたです。」
「だからこそ、
この映像がどちらの陣営で広まっても、
“政府はどちらも守ろうとしている”という姿勢を
崩さないことが重要です。」
サクラは、小さく息を吐いた。
「……“守る対象”から
誰かを外した瞬間に、
その人たちは“敵”になってしまう。」
「それだけは、
絶対にやっちゃいけないわね。」
それが、
この日サクラが自分に言い聞かせた
小さな決めごとだった。
《地方都市・古い教会》
日曜でもない夜。
小さな木のベンチに、
十数人がバラバラに座っている。
前には、
年配の牧師が立っていた。
「……オメガのことも、
アストレアAのことも、
ニュースで毎日流れています。」
「“神様に任せるべきだ”という声も、
“人間が出来ることをしなければ”という声も、
どちらも理解できます。」
静かな声が、
古い天井に反響する。
「聖書には、
“人は自分の出来ることをしたうえで、
なお残るものを神に委ねなさい”
という教えがあります。」
「“全部神に任せて、
自分は何もしない”ことも——」
「“全部自分で何とかできると考えて
誰にも委ねない”ことも——」
「どちらも、
少し傲慢かもしれません。」
後ろの席で、
ひとりの女性が
小さくうつむいた。
(……セラ様は、
“全部を光に委ねよう”って言っていた。)
(それは、
やっぱり“何もしない”ことなのかな……)
牧師は続ける。
「プラネタリーディフェンス——
地球を守るための計画も、
人間が与えられた“知恵”のひとつです。」
「その知恵を使うことを、
私は“罪だ”とは思いません。」
「ただし、その過程で
誰かを激しく憎んだり、
殴ったり、
傷つけたりするなら——」
「それは“神様のせい”ではなく、
私たち自身の選び方の問題です。」
教会のステンドグラスの向こうに、
夜空がうっすらと見える。
そこには、
肉眼では見えないオメガの軌道。
(信じる相手が違ってもいい。
でも、
“人を殴らない”ってところだけは
同じでいてほしい。)
誰かが、
そんな風に思いながら
静かに祈りの輪を閉じた。
《黎明教団・クローズドチャットルーム》
参加者は、二十数名。
アイコンも名前も、
本名のものはひとつもない。
画面には、
種子島宇宙センター周辺の地図と
ケープカナベラルの航空写真が並ぶ。
<Day55 当日の動き案>
<“光を守る列”の位置>
一人が書き込む。
<正門前で座り込むだけじゃ、
“ニュースの絵”にはなっても
ロケットは止まらない>
別のアカウントが返す。
<でも“暴力はダメ”って、
セラ様も言ってた>
<“祈るために前に立つ”のは
暴力じゃないでしょ>
<相手が勝手に止まるだけ>
“勝手に”という言葉が、
画面の中で一瞬光る。
<種子島の“制限エリア”の線引き、
誰か詳しい?>
<ケープの現地に知り合いがいる>
<JAXAの正門で
ちょっと押し問答しただけで
ニュースになってた>
<“ちょっと”を増やせばいいだけじゃない?>
モニターの向こうで、
誰かが息を呑む。
(“ちょっと”と“本気”の間にある線を、
超えたい人間が確かにいる。)
しかし、その場に
“絶対にダメだ”と
強く言い切れる人間は
なかなか現れない。
<Day55まで、あと3日>
チャットの片隅に表示された
その数字だけが、
確実に進み続けていた。
その日も、
オメガの軌道は変わらない。
変わっているのは、
地上の“境界線”の方だった。
ロケット発射場のフェンスと、
祈りの列のあいだの線。
科学者と信者、
警察と市民、
信仰と暴力のあいだの線。
誰かが
ぎりぎりまで近づき、
誰かが
必死に押しとどめる。
アストレアA打ち上げまで、あと3日。
本作はフィクションであり、実在の団体・施設名は物語上の演出として登場します。実在の団体等が本作を推奨・保証するものではありません。
This is a work of fiction. Names of real organizations and facilities are used for realism only and do not imply endorsement.
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