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『幸せな日々を胸に』
〈本編〉
「おかーさん、おとーさん、早く早く!」
そう笑う美咲は、母の手を引く。小学校入学祝いで遊園地に遊びに来たのだ。父は笑ってその姿をカメラに収め、幸せそうに笑った。
時間がもったいないと言わんばかりに遊園地を走り回る親子。微笑ましい光景だとは言うまでもないだろう。
回る観覧車に乗っては高い高いとはしゃぎ、回るコーヒーカップに乗っては母親の制止も聞かずに円盤を回す。悲鳴が聞こえるジェットコースターに目を輝かせ、乗ろうと思っても身長制限で乗れない。代わりにメリーゴーランドに乗って、お馬さんだと言いながら笑顔を見せる。美咲の純粋な笑顔が、2人に笑顔をもたらしていた。
そんな楽しい時間もあっという間で、終わりに近づいていった。終わりたくない、そう願っても時を止めることはできない。美咲は渋々手を引かれ、遊園地から立ち去っていく。遊園地のマスコットキャラクターであるリスに手を振った。
「楽しかった?」
「うん!」
楽しかった。楽しかった。楽しかった。いっぱい遊べたよ。いっぱい、いっぱい。
夕日に照らされるその顔は、常に喜びと楽しさで溢れていた。
——しかし、その表情は失われる。どうしてこうなってしまったのだろうか。運命の悪戯というやつは残酷で、非道だ。
「うわぁぁぁぁぁ!!!」
駅を出て、家のはどっちだと美咲を楽しませていた時に、悲鳴が聞こえた。果たして、それは本当に悲鳴だったのだろうか。幼い美咲はそれを知らない。
その悲鳴が近づいていき——
「え……」
固く結ばれているはずの手が、ゆっくりとずり落ちていく。
「おとーさん?」
鈍い音がした。自分の父親が、うめき声を出している。足元に何か赤いものが広がっていき、視界を埋めていく。嗅いだことのない匂いが鼻を突いていく。
「キャァァァァァ!!!!!」
母は急いで救急車を呼んでいるが、恐怖や焦りで何を言っているのかわからない。悲鳴を上げていた男はどこかに消え、他の悲鳴が連なって聞こえる。
美咲はそんなことを気にする余裕はなかった。目を逸らさないといけない。直感的に、見てはいけないものだと理解していた。けれど、目が離せない。父親に目が吸い込まれていく。
その場にへたり込み、せっかく買ってもらったスカートが染められていく。
「……」
やがて救急車のサイレンが聞こえてくるが、どこか遠くで鳴っているようで現実味がない。すぐそばに来ているはずなのに、頭の中を支配していくのに。夢のように朧げで、掴みどころがなかった。
救急車に運ばれていく父を見て、彼女は小さい体ながら理解してしまう。父はもう助からないのだ——と。
・・・
共に救急車に運ばれ、病院についても、美咲の顔は無表情のままだった。父が倒れた時には恐怖で埋まっていたはずなのに、今では表情から何も感じ取れない。
隣で絶望し泣いている母を見て冷静になっていたのだろうか。否、死を理解したがそれに感情が追いつけなかっただけである。
父親は死亡が確認された。
それから色々あって、美咲と母親は一度家に帰ることになった。
母の足取りは覚束ない。今にも人にぶつかるんじゃないか、そう思い美咲は手をギュッと掴む。どこにも行かないように。
車も自転車も通れない道、歩行者で夜も賑わう道。その出口に差し掛かった時だった。
鳴り響く大きな音。迫ってくる光。右からの衝撃。手が離れ、体が投げ出される。
衝突音。ガラスの割れる音。
「キャーー!!」
「おい!救急車と警察を呼べ!」
人々の悲鳴と慌てふためく声。
美咲には何が起きているのか分からなかった。しかし、この人たちの中に母の姿だけない。
「おかーさん!!」
ドン!
赤く燃え盛る炎が目の前に広がる。
「おかあさん!!」
再度呼んだ。返事はない。
待って。置いて行かないで。喉が枯れるまで叫んだ。心が張り裂けるほど叫んだ。何か大切なものがこぼれ落ちていく。
呼んで、叫んで、叫んで——けれど、現実は非情で。
気づけば、どこかわからない場所に連れてこられていた。近くに警察の格好をした人がいる。交番とか、そういう警察の人がいる場所なんだと、理解できた。
「おかあさんは…」
皆、首を振った。—横に。
縦だったら、どれほど良かっただろうか。どれほど救われただろうか。
「…」
沈黙。声が出なかった。掠れた息遣いのみが部屋に響いていた。
不思議と涙は出なかった。両親を一度に失った美咲の心は、壊れてしまっていた。漠然と両親が帰ってこないことを理解してしまった。
それからの事はよく覚えていない。
事実として、施設に入れられ、小学校に入学した。そこで施設に住んでいることを馬鹿にされ、蔑まれ、いじめられて。けれど、どんな事をされても、言われても、何も思わなかったし何も感じなかった。
しばらく経って、引き取り手が見つかった。養子縁組というやつで、無理やり施設を追い出された。ただ手を引かれ、新しい家に案内された。
義父母となった人たちも酷かった。私の事を、遺産目的でしか見ていない。世話をしてやったのだから金を渡せと言うのだろうか。それとも勝手にお金を奪っていくのだろうか。
しかし、両親の遺産はまだ私の手になかった。管理できないだろうとして、警察が預かってくれていた。今思えば、すごくありがたかった。
義父母はそれを知った瞬間、私を見なくなった。邪魔者扱いするようになった。暴力を振るうようになった。家に帰っても食事の用意なんかないため自分で作って食べる。食べようとする前に義母が帰ってきたら夕食はない。勝手に使うなと殴られ、蹴られ、部屋の隅に投げられる。
「気持ち悪い子。」
何をされても無表情、目に光なんかなかった。
1年耐えて、警察のところに行った。痩せ細った体。身長があまりにも低い。平均を10cm以上下回っていた。
到底4年生だと思えなかっただろう。名前を言うと、話を聞いてくれた。
家事を覚えたため1人で暮らせる。家に帰りたいと伝えると、警察は困った顔をした。これだけでは足りないらしい。だったら、と私は服を脱いだ。慌てていたが、虐待の証拠だと言うと真剣な表情を見せた。育児放棄の証拠も、集めてきた甲斐があった。土日に家の事をやっていたため、近所の人の証言も得られた。
・・・
そうして、今に至る。ようやく私は、家に、帰ることができた。
「……ただいま。」
埃まみれの机、写真、棚——ソファもぬいぐるみも、手入れされていない。けれど、けれど、全部、当時のまま残っていた。
「おかあ、さん……おと、さん……」
壊れた心なんて、とっくに治っていた。今まで、押し殺してきたんだ。それがとめどなく溢れてくる。
「私、頑張ったんだよ」
顔が歪み、いっぱい、いっぱい涙が出てくる。
「褒めてよ……頭撫でてよ……」
4年間、ずっと、必死に耐えてきた。
耐えて、耐えて、耐えて、耐えて、耐えて………ようやく、帰ってこれた。けれど、
「……お母さん……」
呼んでも、何も返ってこない。この家には私1人しかいない。
もう、いないんだ。
「わああぁぁぁぁ!!!!!」
今までの分、泣いて良いよね。吐き出して良いよね。呼んでも、良いよね。
「おとぉさん……おかぁさん……」
頑張ったねって、褒めてよ。生きてくれてありがとうって、言ってよ。
抱きしめてよ。名前呼んでよ。頭撫でてよ。
一緒におやすみを言おうよ。また一緒に遊園地に行こうよ。
「おねがい…叶えてよ……」
お母さん、お父さん。
何もする気が起きなくて、もう匂いの残っていないお母さんの布団で眠った。
了。
コメント
27件
もう…めちゃくちゃ重かった。最初の遊園地の幸せなシーンがあるからこそ、その後の一気に奪われる理不尽さが心に刺さったわ。美咲が感情的にならずに生きてきたのに、最後の「頑張ったんだよ」「褒めてよ」で全部溢れ出して、一緒に泣きそうになった。リメイク前を読んでないけど、この1話だけで引き込まれた。続き、絶対読む。飛花さん、ありがとう。