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「お腹すいたなぁ……」
シャーリーの腹のが鳴いた。時間の感覚はあやふやで、今が昼か夜なのかもわからない。
食べる物もなく明かりもない暗闇の中。膝を抱えて蹲り、シャーリーは途方に暮れていた。
松明の代わりになるような物はもう何もない。装備、武器、服に至るまで燃える物は全て燃やした。しかし、出口に通じる道の発見には至らなかった。
この暗闇の中だ。明かりがなければ動くことさえままならない。
ゴツゴツとした石が転がっていて裸足ではもう歩くことは出来ず、少し歩くだけでも激痛が走る。
そこに触れると、ぬるぬるとした温かみが感じられ、恐らく流血しているのだろうが、それを視認することすら叶わない。
望みはあった。トラッキングスキルに映るウルフ達が、炭鉱を通り外に出てくれれば、それについて行くだけで出られるはずだったのだ。
しかし、ウルフ達がダンジョンから出る気配はなく、ただただ時間だけが過ぎて行った。
少し前に大きな魔物の反応がダンジョンへと入って行く反応があった。
それについて行けばダンジョンの入口からやり直せると必死に追ったが、見失ってしまった。足が動かなかったのだ。
(恐らく救助が来ることはない。死亡扱いが妥当だよね……)
不法侵入という罪を犯した冒険者たち。それに救助するだけの価値があるかと問われれば、答えは否。
仮に救助隊が結成されたとしても、炭鉱の所有者であるプラチナプレートの冒険者は、リビングアーマーの存在を知っているのだ。二次災害の危険性を鑑みれば、入場許可は出さないだろう。
「あーあ……。こんなことなら、街で大人しくフィリップを待ってればよかったなぁ……」
フィリップはゴールドプレートの|剣士《フェンサー》だ。
ギルドからの依頼で緊急招集され、魔獣の討伐に駆り出された。
シルバープレートのシャーリーはそれには呼ばれず、ただ待っているだけでは暇だからと今回のキャラバンに参加したのだが、それが間違いだった。
「うっ……ううっ……。ぐすっ……」
そう思うと涙が溢れてくる。暗闇の中で独りぼっちは心細い。
泣いてもどうにもならないのはわかっているが、このまま死ぬかもしれないという恐怖と後悔で、シャーリーは泣かずにはいられなかった。
「――ッ!?」
刹那、何かの気配を感じた。すでに生きる道は断たれているというのに、シャーリーは反射的にトラッキングスキルに意識を向けてしまったのだ。
そこに映っていたのは先程の魔物。かなりの強さだが、あのリビングアーマーほどではない。
例えこの魔物が炭鉱を出ようと、シャーリーにはもうそれを追う気力すらないのだが、その魔物は出口には向かわなかった。
少しずつ……少しずつだが、それはシャーリーへと距離を詰めてきていたのだ。
それに一抹の不安を覚えつつ、とにかく隠れなくてはと足を動かすも、激痛でその場から離れることなどできやしない。
闇の奥からにじり寄る気配に、一抹の不安が胸の底で膨らむ。とにかく身を隠さなければと足を動かすも、激痛がそれを縫い止め立つことさえままならない。
その痛みでシャーリーはハッとした。自分の血の匂いが、それを誘っているのだと気付いたのだ。
いずれ死ぬのだと、頭ではわかっている。だが理解と恐怖は別物だ。理屈をすり抜け、底なしの恐怖が沸き立つように体を震わせる。
呼吸は荒くなり、胸がひゅうひゅうと鳴る。気づかれまいとするほど息は乱れ、無駄なことだとわかっていても、両手で口を押え乱れた息を押し殺す。
それはもうすぐそこまで迫っていた。少しずつ近づいてくる灯りは青白く、それが人ではないことを物語る。
「――ッ!?」
声にならない悲鳴。口を押えていても意味はない。
その光の中からぬるりと出て来たのは、大きなキツネの化け物だ。
鋭い視線が交差し、シャーリーは死を覚悟した。
「いやぁ!! やめて!! こないで!!」
どこからそんな声が出たのかと思うほどの絶叫。
必死に抵抗を試みるも、武器も気力も残されていないシャーリーには声を出すことくらいしか出来なかった。
その声に驚いたのかキツネの化け物が動きを止めると、その影から一人の男が姿を現したのである。
「シャーリーさん……ですよね?」
名前を呼ばれ、シャーリーはハッとした。その男の顔には見覚えがあった。
男の名は九条。ダンジョン調査に訪れた際に、この炭鉱の道案内として雇ったコット村の|死霊術師《ネクロマンサー》だ。
その時の記憶が流れ込むように頭の中を支配し、シャーリーの中で一つの解答が出た。
――絶望的かと思われていた救助が来たのである。
目には涙が溢れ、足の痛みなど忘れて安堵と嬉しさのあまり、シャーリーは九条に抱き着いた。
「ぐじょぉー!」
「良かった……。もう大丈夫です」
その行動に戸惑いはしたものの、九条は安堵の溜息をついた。
丸一日炭鉱を彷徨っていたのだ、その心細さも頷ける。
それはシャーリーに向けた言葉でもあり、九条自身に向けた言葉でもあった。
(コクセイには後で謝らないとな……)
シャーリーの正確な歳はわからないが見た感じ十七、八位。九条の半分程度しか生きていないと考えれば、まだまだ子供。
何時までたっても泣き止まないシャーリーを仕方なく抱き寄せ、落ち着くまでそのままにしていた。
しばらくすると、落ち着きを取り戻したシャーリーは涙を拭い顔を上げる。
「ありがとう九条。助かったよ」
シャーリーが九条から離れると、狐火に照らされ浮かび上がったのは、若く清らかな女性の肢体だ。
その首にシルバープレートが下げられているだけの一糸纏わぬ姿である。
光りに反射してキラキラと輝くブロンドの髪。白く透き通った素肌。それでいてあまり主張しすぎない双丘。
無言で立ち尽くしていた九条の視線が、忙しなく泳いでいる事に気が付き、シャーリーはようやく自分が裸であったことを思い出す。
「きゃぁぁぁぁ! 痛ッた……」
余りの恥ずかしさに上げる悲鳴。慌てて身体を隠そうとするシャーリーであったが、それよりも先に足を庇う結果に。
急激に動いた所為で脳に伝わる激しい痛み。それは九条に足の怪我を気付かせるには十分であり、耐えきれなくなったシャーリーはその場に座り込んだ。
「酷い怪我じゃないですか!」
九条は革袋に入っていた水で患部を洗い、昼食用のサンドイッチを包んでいた布で患部を縛る。
(応急処置だが、しないよりはマシだろう)
そんな中、炭鉱内にぐうぅと情けない音が響く。シャーリーの腹の虫である。
九条が顔を上げると、シャーリーの視線はサンドイッチに釘付けだった。
丸一日何も食べていないのだ。今にも涎が垂れそうな開けっ放しの口を見て、九条からは笑みがこぼれる。
「どうぞ食べてください。俺は帰ってからでも食べれますので」
それを差し出すと、シャーリーは小さな声で礼を言い豪快にかぶりつく。
その食いっぷりは味わって食べていると言うにはほど遠いが、元気な証拠である。
「なんで裸なんです? 岩盤浴?」
「そんな訳ないでしょ! 松明の代わりに燃やしたの!」
「じょ、冗談ですよ……。そんなに怒らなくても……」
足の応急処置も終わり、シャーリーもサンドイッチを食べ終えた。
腹は膨れ、その表情は満足気だ。
「カガリ、頼めるか?」
「もちろんです」
カガリはシャーリーにお尻を向け、その場に伏せる。
「え? 何!? ちょ……ちょっと……。うわぁ!」
九条は意味がわからずキョトンとしていたシャーリーの両脇を持ち上げると、カガリの上へと降ろした。
「掴まるなら首筋の辺りの毛を掴んでいてください。その辺りは痛くないそうなので」
シャーリーを乗せたカガリが立ち上がると、そのままゆっくり歩き出す。
まさか魔獣の背に乗れるとは、夢にも思わなかったシャーリー。その感触はモフモフでふわふわ。馬とは違う優しい乗り心地に感動すら覚えるほど。
カガリの上で揺られていると、助かったのだという実感から余裕が生まれ、シャーリーは色々なことに考えを巡らせた。
(なぜ、九条は助けに来てくれたのだろう……)
九条は|死霊術師《ネクロマンサー》だ。ダウジングで炭鉱内のダンジョンの入口をも探し当てる実力があるのは知っているが、モーガンが捜索依頼を出したのであれば、救助費用の請求がくる。
現時点で何人が生き残っているのかは不明だが、相当な額になるだろう。
それよりも、ここの管理をしているプラチナプレートの冒険者がカッパーの九条に入場許可を出したというのが、シャーリーには信じられなかった。
(あんなに強い魔物が蔓延っているのにカッパーを向かわせるなんて……。二次災害を考えなかったの……? それにこの魔獣もミアというギルド職員が従えてたはずなのに、なんで九条の言うことを聞いているんだろう……)
考えても答えは出ない。カガリから伝わる温かさと心地よい振動。それとサンドイッチの満腹感と昨晩寝ていなかったのも相まって、シャーリーの瞼は重力に負ける寸前であった。
「主」
「ん?」
カガリに呼ばれて振り返る九条。そこにはウトウトと船を漕いでいるシャーリーの姿。
自分の身体を隠そうともしないのは、それに気付かないほど限界が近いからだ。
「眠いなら、カガリに身体を預けて寝ちゃってください。落とさず運んでくれるはずですから」
「……うん……ごめん……。ちょっとだけ……寝るかも……」
カガリに覆いかぶさるシャーリーは、すぐにスヤスヤと寝息を立てた。
カガリの上に素っ裸の女性が乗っているのだ。なんというか魔獣に育てられた野生児のようにも見え、九条からは笑みがこぼれる。
(まるでもののけ……。いや、これ以上はよそう……)
――――――――――
シャーリーは夢を見ていた。ぼんやりと聞こえてきたのは誰かの話声だ。
先程まで見ていた背中……。九条が獣たちの前で何かを話していた。それを行儀よく聞いている獣たち。
白いキツネ……、蒼いウルフに黒いウルフ……。シャーリーは、それをただ後ろから眺めているだけ。
夢の中特有のボーっとした感覚が、現実味のない不思議な空間に居合わせているよう感じていた。
――――――――――
「シャーリーさん……。シャーリーさん? 起きてください」
九条の声でシャーリーは目を覚ました。急いで体を起こすと、そこは覚えのある風景。
剥き出しの岩肌ではない。ブロックを積み重ねたような人工的な壁は、一目瞭然。ダンジョンの中だ。
「なんで戻ってきたの!?」
シンと静まり返ったダンジョンに、シャーリーの声が響き渡る。
「大丈夫です。安全ですから静かにしてください」
トラッキングに意識を向けるシャーリー。しかし、リビングアーマーの反応はどこにもなく、そこに映るのは獣たちだけ。
ひとまずはその事実に安堵し、大きな溜息。
「安全なのはわかったけど……。なんで?」
「その……。裸のまま村まで連れて行くのも憚れるかと……」
シャーリーの顔が真っ赤に染まる。九条に見られていることを意識するととたんに恥ずかしくなり、手で大事なところを隠しながらもシャーリーは九条をキッと睨みつけた。
「残念ですが、着替えの持ち合わせはなく……。そこの冒険者たちから、必要な物を自分で選んでもらえると……」
九条が指さした場所は小さな部屋。その中には一緒に来た仲間達の遺体が安置されていた。
「……そっか……。しょうがないよね……」
薄々はわかっていたことだが、シャーリーは胸が締め付けられるような感覚を覚えた。
そこに並んでいる遺体の数は十三。もう動くことはない仲間たち。といってもたった数日の付き合いだ。名を知らぬ者も多い。
シャーリーだって冒険者。仲間の死は何度か経験している。
悲しくはあるものの、明日は我が身。皆自分の意志で行動し、その結果がこうなってしまっただけなのだ。
これを教訓に冒険者は強くなっていくと言っても過言ではない。
カガリから降りたシャーリーは、一体の亡骸から外套を剥ぎ取った。
使える物は何でも使う。冒険者の間では普通のこと。死者には必要ない物だ。
シャーリーはそれを身に纏い改めて辺りを見渡すと、床に置かれた一張の弓に視線が奪われた。
銀色に鈍く輝くそれは、鏡のようにシャーリーの姿を映している。
「アレン……」
それを手に取り振り返る。
「九条。これも持って行っていい?」
「ええ。好きにしてください」
「ありがとう……」
九条に所有権がある訳でもないのに、自然と礼を口にしたシャーリー。
仲間たちの遺体を集めてくれたのは他でもない九条。そう言う意味での礼だと捉え、シャーリーは気にしないことにした。
「そろそろ帰りましょう。モーガンさんもタイラーさんも心配しているはずですから」
「うん」
カガリはシャーリーの近くに移動すると、乗りやすいよう再び伏せる。
「いいの?」
「何を今更……。足、歩くのもキツイでしょう? 我慢しているのがまるわかりですよ」
図星であるが故に反論できない。シャーリーは口を尖らせ不満気味。
九条はカッパーの冒険者。このままでは格下相手にマウントを取られてしまうと無理して強気に振舞ってはみたものの、やはり痛いものは痛かった。
シャーリーは素直にカガリに跨ると背中を撫でる。
「この子、名前なんていうんだっけ?」
「カガリです」
「カガリ。ありがとうね」
カガリからの返事がないことはわかっていたが、この想いがどうか伝わりますようにと願い、シャーリーの短い炭鉱生活は幕を閉じた。