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第一章 once morning
別に君じゃなくてよかった。
このむしゃくしゃする気持ちを一瞬でも忘れることができれば。
私のことなんか気にも留めずに、ただただ、あの夜を一緒に過ごしてくれる人なら、誰でもよかった。
ブーブーブー
枕もとでスマホが鳴っていた。
2年以上使っているスマホはことあるごとに不具合を起こして、
画面に表示されている電池は私の心のバロメーターのように減るのが早い。
なのに、こうして設定したアラームだけはしっかりと動いて、私を憂鬱な朝へと導く。
ゆっくりと起こした体は、まるで鉛のついたかのように重かった。
私の部屋はこの家では一番日の当たらない場所。夏は蒸し暑く、
冬は結露がひどいこの部屋を使うようになってから、もう六年になる。
部屋着から制服に着替えた私は一階のリビングへと向かった。
すでに朝ごはんのいい香りが漂っていたけれど、朝食を食べない私は、いつもみんなより少し遅く下に降りるようにしている。
ガチャっ
建付けの悪いドアは勢い良く開けなくても音がする。
ダイニングテーブルに座っていた三人と目が合い、私は小さく「おはようございます」とつぶやいた。
「おお、海月おはよう」
新聞を片手に愛想笑いを浮かべている人は、この家の大黒柱である忠彦さん。
人当たりもよく、この家では一番私に優しくしてくれるけれど、婿養子なので妻である春江さんには頭が上がらない。
「あなた、また学校からのプリント見せなかったでしょう」
湯気が立つお味噌汁を口につけながら、春江さんは私を見ない。
同じ空間に居て会話もするのに、放たれる空気感で私のことを攻撃してくる感じが凄く”あの人”に似ている。
「いいじゃん、お母さん。どうせ同じクラスなんだし、私が見せたプリントと同じなんだからさ」
甲高い声でしゃべるこの子は、冬香。
この家の一人娘であり、父親よりも母親に媚を打っておけば好きなものが買えるから、春江さんの前では常にいい子でいる。
尻に敷かれている父と、世間体ばかり気にする母に、要領のいい娘。
そんな何処にでもある過程の中で、唯一変わっていることとすれば、家族ではない私が一緒に住んでいることくらいだ。
「行ってきます」
洗面所で身支度を整えた後、私は誰よりも先に家を出た。
…はぁ。
空に向けて吐いた息は冷たい風の中に消えてゆく。
カレンダーが十月になってから随分と気温が下がり、寒がりの私はもうポケットに使い捨てカイロを入れている。
高校に入学して変わったことといえば、髪を伸ばすようになったこと、体重が二キロ減ったこと、異常なまでに静電気が発生するようになったこと、と数えきれないほどある。
変わったと、自分で認めればいくらだって。
「116円になります」
立ち寄ったコンビニで300mlのホットレモンを買うのが最近の日課。
手軽にレモン二個分のビタミンcが補給できるとラベルに書いてあるけれど、体が温まれればなんだっていい。
私はお財布を出して小銭をトレーに乗せる。
初めのうちはレジ袋の有無について尋ねられたけれど、対応してくれる店員がいつも同じだから最近は聞かれなくなった。
「あ、あの…いつも買いに来ますよね!うまいですよね、ホットレモン」
「…」
「え、っと…」
名前は?年は?学校は?聞かれることはいつも同じ。
私は他人に興味がないというのに、何故か周りから興味を持たれる。
こんなにも不愛想で、もらったレシートだってすぐに丸めて捨ててしまう女なのに。
面倒くさい。
顔を覚えられるのも、声を掛けられるのも、いつも買いに来ますよねって観察されるのも、何もかも面倒。
私は店員の返事も待たずに、そのままコンビニを出た。
すぐに冷えていく指先を温まるようにしてホットレモンを握りしめる。
そういえば、”あの日”もこの道だった。
雨が降るなんて予報は出ていなかったのに、私の気持ちを反映するように急に降ってきて。
濡れていく洋服が冷たかったけれど、そんなのどうでもいいくらい思考がぐちゃぐちゃで。
多分、きっと、あんなにも神様を憎んだことはなかった。
なんで私なの?なんで私ばっかりって何度も心で叫んでいた。
でも、もっと不幸なのは、そんな私に出会ってしまったあいつかもしれない。
甘えることも頼ることもしてこなかった人生だったのに、あの日だけはダメだった。
『ねえ、朝まで一緒にいてよ』
縋るようにして吐き出した言葉を、私は今も後悔している。