鞍馬と一夜を過ごした次の日、京之介くんを目の前にして、何であんなことしてしまったんだろうと自分を責める気持ちと、何であんなことを私がしてしまうような気持ちにさせたのという理不尽な怒りが同時に湧いた。私は自分が悪くても誰かのせいにしたがる生き物らしい。
けれど数週間も経てばそのような気持ちは無くなった。
鞍馬とはあの後も何度か会い、何度かセックスをしたが、それでも平常心で京之介くんと付き合っていくことができた。
男女にまさかは存在しない。
おそらく京之介くんの目から見ても大学の先生や友達の目から見ても、私は浮気をするようなタイプではないだろう。
実際これまでの人生で浮気をしたことはなかったし、私でも浮気することに私自身が一番驚いている。
浮気などしないと思っていた自分が浮気したことで、誰が何をしているか分からないように思えて、この世界が酷く歪に見えた。
京之介くんとは相変わらず一緒にご飯を食べて、週末はイオンへ出かけて一緒に晩ご飯の材料と朝ご飯の材料を買いに行く。
ほぼ何も変わらない日々だが、唯一変わったことと言えば、最近は京之介くんが手の込んだ朝ご飯を作ってくれるようになったことだ。
私は京之介くんが朝ご飯を作っている間、京之介くんが誕生日に会社の人からもらったコーヒーミルでコーヒー豆を粉砕する。
恋人というよりは家族のようなその生活は幸せだった。京之介くんが私のことを女として好きでなくとも、妹に向けるような愛情は向けてくれている、と思う。
あの旅行からずっとセックスはないので、本当に妹のような感覚になってしまっているかもしれないことを心配にも思う。
でも元からしていなかったし、そもそもあまりそういう欲求がない人なのかもしれない――そう自分を納得させてはいるけれど、あまりにもセックスをしないせいで、直近のセックスの記憶が鞍馬とのそれだから困る。
私は京之介くんを誘うことなんてできないし、したくなった時にまず思い浮かぶのが鞍馬なのだ。
鞍馬とのトークをこっそり開き、自分の【来週の木曜いける?】というメッセージに既読が付いていないのを見てから履歴を全消去した。
ヤる前よりも圧倒的に既読が遅い。
変に頻繁に連絡されても京之介くんに怪しまれる恐れがあるし、それでいいのだけれど。
「京之介くん〜ほろよい取って〜」
炬燵の中から手だけを伸ばしてお願いすると、ちょうどトイレから帰ってきたばかりの京之介くんが呆れ笑いをした。
「ったく、こたつ出すとすぐぐうたらになるんやから……」
文句を言いながらも冷蔵庫からほろよいカルピスサワーの缶を持ってきてくれる京之介くん。
京之介くんがSwitchを持ってきてからというもの、こたつ机の上に置かれた24インチのテレビは専らゲームに使われるようになった。
京之介くんは檸檬堂を持って私の隣に座り、私がラスボスと戦うのを眺めてくれている。
昔もこうして三人でこたつの中でゲームをした。
京之介くんとお姉ちゃんはゲーム上手で、私は下手くそだったのを思い出す。
今だって私は下手くそだ。京之介くんがあっさり勝ったラスボスに苦戦し三回死んでいる。
画面の中のマリオが四回目の死を迎えた時、――……こたつ机の上に置いてあった私のスマホが震えた。
画面に出ていたのは“鞍”という文字とアイコン。着信だ。
予想外すぎて何かあったのかと思い、思わずSwitchのコントローラーを置いて応答してしまった。
『もしもし~?』
「……びっくりした」
『ん?』
「絶対そっちからは連絡来ないと思ってた」
いや、この言い方だとまるで連絡を待ってたみたいだな。
『えー何で?今からちょっと遊ぼうよ。家まで迎えに行くし』
「……この時間帯から?」
時刻は九時を回っている。遊ぼうよは十中八九ラブホでも行こうということなんだろうが……。
ちらりと京之介くんの方を見た。今日はいつも通り泊まる感じの雰囲気だ。
京之介くんがいるなら京之介くんを優先したい。
「今日はいい。また誘って」
手短にお断りして、通話を切った。
横にスマホを置いてコントローラーを再び手にしようとした時、こちらをじっと見つめている京之介くんと目が合う。
「誰」
「……友達」
叱るような声の冷たさをしていたため、答えるのに少し間が空いてしまった。
「大学の?」
「うん。同じ研究室の子」
スピーカーにはしていなかったが、隣にいるわけだし男の声だったのは分かったかもしれない。鞍馬のアイコンもがっつり見られてたし。
まあそれだけじゃ何も分からない。
何でもない風を装ってゲームを再開しようとしたが、ふっと視界が遮られたかと思えば、京之介くんにキスをされていた。
「男?」
ちょっとびっくりして京之介くんの顔を見る。
開けたばかりの檸檬堂はまだ五分の四くらいの量は残っているはずだ。酔っている、わけではない。
「男の子だよ」
「仲ええん」
「ご飯一緒に食べたりするくらいだけど……どうしたの」
こんなに深堀りしてくると思っていなくて、内心ドキドキしながら返す。
何か勘付いてる?
いや、そんなはずはない。
浮気の証拠なんてどこにも――……。
「瑚都ちゃん」
いつの間にか倒されていて、私の上に京之介くんが居た。
「俺自分で思っとるより嫉妬しいかも」
え、という声が漏れるより先に、唇を押し付けられていた。
キスはどんどん深くなっていき、互いの唾液が混じり合う。――瞬間、自分の唾液を飲ませてきた鞍馬の顔と香りが鮮明に浮かんで、きゅっと心臓が縮むような心地がした。まるで本当にあの香りがここにあるように感じられて、どれだけ覚え込まされてるんだと自分に呆れた。
セックスをした回数で言えば鞍馬の方が多い。それも一晩で何度も体を重ねているのだから、こういう場面になった時思い出してしまってもおかしくはない。私が悪いわけじゃ、ない。
私は鞍馬の残感覚を掻き消すように京之介くんの背中に手を回した。
「――私が好きなのは京之介くんだよ」
「……もっと言って」
その日、京之介くんは珍しくお風呂にも入らずに私を抱いた。
こういう時先にお風呂に入りたがるタイプだと思っていたから驚いた。
「好き、……好きだよ、好き」
最中に何度も好きだと言いながら、自分が好きという言葉で罪悪感を消そうとしていることに気付く。
女が男に不自然なくらいにやたらと好きだと言う時――――それはきっと、不安な時か、悪いことをしている時なのだ。
土日を挟んで、次の登校は月曜だった。
休み明けの休憩室の前の廊下で、たまたま鞍馬がこちらに歩いてきているのが見えた。
珍しく一人のようだから、少しくらい挨拶をしてもいいだろうと思って立ち止まって待つ。
できれば口頭で軽く次いつ会うかの約束もしたい。返信遅いし。
そう思ったところで、一夜限りで十分だと思っていた鞍馬に対してすっかりセフレにしたいという感情を抱いてしまっていることに気付いて苦笑した。
「鞍馬、」
鞍馬がやってきたその時、確かにそう呼びかけた――のだが、鞍馬は私と目を合わせることなく通り過ぎていった。
え、何で?
「鞍馬?」
背中に向かってもう一度名前を呼ぶと、鞍馬はようやく振り返り、「……ああ、」と今気付いたように微笑んだ。
「おはよ。早いね」
それだけ言って休憩室の隣の学生室へ入っていく鞍馬。
違和感、と言えるほどの変化ではないはずだ。
なのに冷たいと感じたのは、鞍馬ではなく私の変化なんだろうか。
一日を過ごすうちに、疑念は確信へと変わる。明らかに鞍馬との距離感が遠くなった。
休み時間休憩室に居ても鞍馬は私と目を合わせない。
【次いつ遊べそう?】というメッセージも既読無視だ。元々連絡不精な男だから気にならないが、一体どういうつもりなんだろうと思った。
――しかし、その後数日経っても連絡が返ってこなかったあたりでようやく理解した。
鞍馬は私に飽きたのだ。
いつも研究室に来ていたあの子が来なくなったように、鞍馬の男女関係にも終わりはある。
何度かセックスをしただけなのに、鞍馬とはいつまでも都合よく続けていけるなんて錯覚に勝手に陥っていたのは私だ。
私と鞍馬はまた他人になった。
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