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第2節 桐生百合香『知らない街で』③
佐山は三井派だ。
少なくとも、すぐに雄二へ下関行きを示唆したことを伝えるような真似はしないだろう。
佐山の不安そうな顔をあえて記憶の片隅に追いやって、百合香は自分にそう言い聞かせた。
何度目かのトンネルを抜ける。
車窓の外は、少しずつ夕方の色へ変わっていた。
見知らぬ街。
見知らぬ駅。
見知らぬ人たち。
そのすべてが、百合香を過去から遠ざけていく。
そう思うことで、どうにか息をした――。
夕方。
新幹線は、予定通り新下関駅へ到着した。
***
ホームへ降り立つと同時、百合香は小さく息を吐く。
住み慣れた街とは、空気が違う気がした。
もちろん、そんなはずはないだろう。
けれど、知らない土地の空気はどこかよそよそしくて、少しだけ冷たく感じられた。
人の流れに沿って、改札へ向かう。
聞き慣れないイントネーションが耳に入る。
案内表示に出ている地名も、見慣れないものばかりだった。
(本当に遠くまで来てしまったのね)
そう実感した途端、胸の奥がきゅっと縮んだ。
不安がないと言えば嘘になる。
仕事もない。
住む場所もない。
知り合いもいない。
あるのは、いくつかの荷物と、愛猫しろの遺骨と、今まで蓄えてきた貯金だけ。
それでも、後悔はない。
そう自分に言い聞かせた。
改札へ向かう途中、不意に足が止まる。
視線の先には、ふぐを模した無数の提灯でできたゲートがあった。
赤と白・黒と白に彩られた二種類の丸い提灯。
愛嬌のある表情を浮かべたそれらが、天井近くまでずらりと並んでいる。
その光景に圧倒されながら思わず見上げると、上の方へ『おいでませ ふくの国、山口』と書かれていた。
(ふくの国……)
下関では、フグではなくフク。
福にちなんで、そう呼ぶのだと佐山が話してくれたことを思い出す。
南風泊市場。
海峡メッセ。
赤間神宮。
関門海峡。
まるで観光案内をするみたいに、一生懸命説明してくれた姿が脳裏に浮かんだ。
百合香は小さく息を吐く。
あの時の佐山は、やっぱり優しかった。
胸の奥が少しだけ温かくなる。
ふく提灯の間を抜けるようにして、百合香は改札へ向かった。
改札を抜けた先の土産物売り場で、再び百合香は足を止める。
棚に並んでいた、丸々としたふぐのマスコットが目に付いたのだ。
赤や金、緑色――。色とりどりの丸い身体には、大きく〝福〟の文字が刺繍されている。
(可愛い……)
思わずそんな感想がこぼれる。
胸の奥がふっと緩んだ。
今日になって初めて、心の底からわき立つみたいに浮かべた笑みだったかもしれない。
***
改札を抜けた百合香は、案内表示を見上げた。
下関駅まで、あと少し。
今日の宿を探さなければならない。
このまま新下関駅の近くで泊まってもよかった。
けれど、佐山が教えてくれた場所の多くは、もっと先にある。
南風泊市場。
海峡メッセ。
赤間神宮。
関門海峡。
どうせ今日は寝るだけだ。
それなら、もう少しだけ行ってみよう。
そんな気持ちになった。
百合香は在来線へ乗り換える。
夕暮れの車内は静かだった。
窓の外を、見知らぬ街並みが流れていく。
本当に遠くまで来てしまったのだと思う。
それでも不思議と、足を止めたいとは思わなかった。
しばらくして、列車がゆっくりと下関駅へ滑り込む。
ホームへ降り立つ。
新幹線の駅とは違う、人の気配。
仕事帰りらしい人々。
買い物袋を提げた家族連れ。
学生たちの笑い声。
そこには確かに、人々の暮らしがあった。
百合香はバッグを抱え直し、駅の外へ出る。
夕暮れの空の下に、見慣れない街並みが広がっていた。
知らない土地。
知らない人々。
けれど、今夜からはここが自分の居場所になるのかもしれない。
百合香は駅前を見回した。
今日はもう何も考えたくなかった。
とにかく眠れる場所が欲しい。
駅前付近、ショッピングモール近くに見えたビジネスホテルの看板へ向かう。
高価なホテルではない。
広くもない。
けれど、一晩眠るには十分だった。
予約なしの飛び込みだったけれど、幸い空室があって、無事チェックイン出来てホッとする。
コメント
2件
下関に来ちゃった。
うわああ、百合香、ついに下関だ😭💕 知らない街並みに不安になりながらも、ふくの提灯やマスコットに「可愛い」って笑顔を見せたところがもう…! 佐山さんの優しさを思い出して胸が温かくなる感じも切なくて。夜の新幹線の車窓とか、ホテルに飛び込むところとか、ひとりで生きていこうとする強さと寂しさが入り混じっててめっちゃエモいよ…😢🌸
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