クッキーを食べ終えたら紅茶でのどを潤し、休憩も程々に受付へ戻った。すっかり平常心に戻ったらしいイアンを前に、彼女はすぐさま「冒険者を雇いたいんだが」と声を掛ける。
「ああ、はい。名簿がこちらにありますよ」
「……ブロンズは多いんだな」
「ええ。冒険者の入り口ですからね」
魔導書じみた分厚い名簿に口端がヒクつく。自分もすぐに同じ場所に名前が並ぶとして、ここから依頼が回ってくるのはどれほどだろう? と。大勢の冒険者たちが仕事を欲しがっているのだ。自分で売り込まなければ、ただ待っているだけでは針の穴ほどの依頼も回ってこないに違いないと選択を間違えた気がした。
「──でさあ、俺はそのときから大賢者様と知り合いなわけよ」
ふと聞こえてきた会話に耳を傾ける。大賢者の知り合いとはいったい何者だと振り返ったが、彼女は眉間にしわを寄せて『いや、誰?』となんとも複雑な気分にさせられた。若い男の冒険者──見るからにお調子者風な──が、自分は大賢者ヒルデガルドと知り合いで、そのうえ仲が良いとまで言いふらしているのだ。
「イアン、あの男は誰だ?」
「ああ、セリオンさんですね」
セリオンと呼んだ若い男を見て、イアンは羨ましそうにする。
「大賢者様と知り合いなんですって。道に迷っているところを助けたことがあるとかで、それからときどき会う仲なんだとか。詳しくは本人に聞いてみると、たくさんお話してくれますよ。いいですよね、僕も大賢者様に会ってみたいなぁ」
まったく記憶にない話で苦笑いをするしかない。
そもそもヒルデガルドが道に迷うなどありえない話だ。彼女の記憶力は、大賢者と呼ばれるだけあって、それこそ魔導師としての腕以上に右に並ぶ者がいないほどだ。セリオンという男の作り話を聞いて呆れる以外ができなかった。
「……イアン、アイツを雇うよ。直接声を掛けてくる」
「えっ? ああ、話が気になりましたか?」
「そんなところだ。いい退屈しのぎになりそうなんでね」
さも事実かのように自分に関わる作り話を披露して誇らしげなセリオンに近づき、いささかの鬱陶しさを感じつつも「君がセリオンか?」と気さくに尋ねる。もし身分を隠していなければ、今頃は青ざめた顔が見れるのにと思った。
「誰だい、あんたは? あっ、もしかして俺の話を聞きに来たのか! いいよ、空いてる席に座りな。ただし多少のチップは払ってもらうぜ」
金をとるのかと目を丸くしたが、今は黙って見過ごす。
「生憎と銅の持ち合わせが今はないんだ。これでいいかな?」
出された銀貨十枚にセリオンが驚いた。
「そ、そんなに……。ずいぶん興味があるんだな」
「ああ。それと君に依頼したいこともあって、前金みたいなものだ」
「ん? 依頼したいことがあるのか?」
不思議そうにするセリオンにヒルデガルドはゆっくり頷く。
「色々あって冒険者を二人連れてゴブリンの討伐に行くよう言われているんだ。そこで大賢者と仲の良い君なら、他の誰より安心して頼めると思ってね」
ごくりと唾を呑んだセリオンが、ふんっと生意気に鼻を鳴らして「それくらい問題ない」と返した。当然、ゴブリンの討伐は彼も行ったことがあるので問題ではなかったが、金額が大きくて戸惑ってしまったのだ。
「話は道すがらに聞かせてもらえるかな。ここからゴブリンのいる洞窟までは近いとはいえ少々距離があるだろう。退屈なのは苦手なんだ」
「これだけもらうんだ、いくらでも話すよ」
テーブルに置かれた銀貨を回収して彼はにやっとする。
「で、いつ出発するんだい」
「もう一人、声を掛けるつもりなんだが……」
ギルド内で暇そうにしている冒険者を探す。そこでセリオンが「それなら」と手を叩く。彼が指をさした先で退屈そうにしている若い女がいる。
「あそこにいる女はイーリスっつってな。俺たちと同じブロンズだが、とにかく仕事を選ぶというか人を選ぶというか。変わり者だから声を掛ける奴もいねえが、魔導師見習いだから腕は確かだ。いちばん暇してるって言えば、あいつ以外にはいないだろうな」
気に入られればの話と付け加えられたが、ヒルデガルドは気にも留めず、カウンター席に座ってウィスキーを飲んで時間を潰しているイーリスに声を掛けた。
「すまない、少し話を聞いてもらっても?」
「……? ああ、いいよ。ボクで良ければ聞こう」
ショートカットの黒い髪が柔らかく揺れた。イーリスの胡桃色をした瞳がヒルデガルドへの興味を示す。ことのあらましを説明して協力を仰ぐと彼女はとても不愉快そうに眉間にしわを寄せ、「あのホラ吹きもいっしょか」と口先を尖らせる。
「君はセリオンがホラ吹きだと思うのか?」
「当然。大賢者様と知り合いなんて嘘に決まってる」
グラスに残ったわずかなウィスキーを飲んで不満げに言った。
「あの男は自分を大きくみせたいだけに過ぎないよ。そのうえ小銭稼ぎまでして……ああいう手合いと組むなんて自分が愚かだと公言するようなものさ」
近くで耳ざとく反応したセリオンがムッとして席を立つ。
「おい、聞き捨てならねえな。誰が小銭稼ぎだって?」
「事実を言ったまでだけど。本当ならここに呼んでみなよ」
それほど関わりのない二人だが、イーリスはかなりセリオンのことを嫌っているようで、それを面白がったヒルデガルドはにやにやしながら指先で机をこんこん叩き、その様子を眺めて楽しんでいた。
しかし周囲の冷めた視線に気づき、彼女は残念そうに言う。
「そろそろ喧嘩はやめようか。その代わり、私も大賢者にまつわる面白いうわさ話をひとつだけ知っているんだが、聞いてみる気はないかな?」
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