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平和主義とは非常に簡単な言葉であるように見えるだろう。ただし、それをただの安直な政治思想として片付けるのはいささか無茶がすぎると私は思う。つまり、教科書で習うような平和主義=戦争をしない。争いを好まない。という単純な解釈では理解が足りてないのではないのか、そう思う。
まず、平和主義にある根底の考え方とは、平和であってほしいというものではないだろうか?それは争いがなく、諍いや揉め事を力によらず解決することである。ならば争いをしない最も簡単な方法が、争わないと、そう決めることである。ではこれは本当に争いを避けられているのか?例えばクラスで自分はどんなことをされても絶対にやり返さないんだ!と心に決めたとして、あるいはそれを宣言したとして、私があなたに金をせびり、暴力を振るおうとしたらあなたはどうするだろうか?大人しく殴られて金を差し出すのだろうか?そんなことは嫌だろう。誰だって嫌だ。とんでもないドMを除いてそんなことは誰もが望まないのである。
では、あなたはどうするか。おそらく身を守る構えをとるだろうし、周りの頼れる人物にこんなことをされたんだと言いふらすだろう。そうすれば先生はカンカンになって私を怒り、あなたはスッキリとした表情で再び席に着くだろう。
さて、これは平和だろうか?
なんだ、今平和になったところじゃないかと思ったあなたに問う。平和主義とは平和であってほしいという思いであるはずだと私は述べたはずである。あなたがもし”私に手を出したならば私の友達と一緒にソイツをボコボコにして海に捨てる”と言いふらしていたなら、私はあえてあなたに金をせびるようなことをしただろうか?あまつさえ暴力を振るうことに肯定的な要素があっただろうか?
私が思うに平和主義とは、自分が平和の最前線にあるのだとアピールして自分が平和であることではない。私は、みんなが幸せになることが平和主義であると思う。
では平和主義とは=戦争をしない。争いを好まない。のではなく、
「平和主義=戦争を生まない。争いを起こさせない。」
ということなのではないか?
もちろんこの言い換えが言葉狩りを行う人や自分が気持ちよくなりたいために相手のしょうもない批判をしたい人にとって正しくないと言いたい気持ちもわかるし、そうでない人にとっても必ずしも正しいものではないかもしれないことは承知している。ただ少なくとも私にとり、戦争を生まない、争いを起こさせないことは、自分が争いに干渉しないことよりよっぽど平和主義なのである。