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広場に那由多達の姿はなかった。典晶が彼らを探していると、宇迦が神所から出てきた。
「デヴァナガライ達は、私たちの方で持て成しています」
「持て成すって……」
言いかけたとき、離れた小屋の中から素戔嗚の馬鹿笑いが聞こえてきた。続いて聞こえて来るのは、美神萌子の持ち歌、『小学生だもの!』が、ガラガラ声で聞こえて来る。
「……じゃあ、行ってきます」
今回は那由多にも素戔嗚にも、文也にも迷惑を掛けた。これ以上、彼らを巻き込むのは気が引ける。それに、イナリに会いに行くのに彼らがいたら、イナリも興ざめしてしまうだろう。
「そこの正面の道を真っ直ぐ行って下さい。イナリのいる湖まで行けるはずです」
「はい」
歩み始めた足を典晶は止め、心配そうに宇迦を振り返った。
「あの……、そこは安全なんですか?」
行く途中に何があるか分からない。ここは人間界ではない。那由多が言うには、此処には妖怪の類いが沢山居るようだ。話が通じない相手だった場合、典晶に為す術はない。
「ここの周辺は私の神域です。湖までは、私の力もある程度ですが届きます。それほど、凶悪な妖怪達は近づけないはずです」
「そうですか。行ってきます。那由多さん達には、宜しく伝えて置いて下さい」
「はい……、行ってらっしゃい。イナリを宜しく頼みますよ」
典晶は広場を出て再び常世の森に入った。
那由多達と歩いてきた道とは雰囲気が違っていた。先ほどは獣径の様だったが、ここはちゃんとした道になっている。左右に生える木々は天を抜くように背が高いが、枝葉の間から差し込む幾筋の光は美しく、典晶の上に降り注いでくる。
宇迦の言う通り、この周辺から異質な気配はしない。まるで、爽やかな高原の様に、空気は透き通っていた。
「イナリ……」
彼女は、典晶を見てどんな顔を浮かべるだろう。驚くだろうか、怒るだろうか、それとも、素っ気ない態度を取るだろうか。いくらシミュレーションをしても、結局は典晶の都合の良い事にしかならない。典晶は、イナリに糾弾されて当然の男だ。罵られ、愛想を尽かされてもおかしくない、女々しい男だ。ただ、彼女が典晶を糾弾する姿も想像できない。
考えるだけ無駄だろう。何をどう考えたところで、典晶が上手く話せるはずがないのだ。
典晶は逸る胸の鼓動を押さえながら、イナリがいるという湖へ向かっていた。
静寂だけが支配する森。先ほどは、様々な生き物の息吹が森から感じられたが、この辺りは何の気配も感じられない。まるで、造花の森、イミテーションの森の中を歩いているかのようだ。
程なく歩くと、正面に光り輝く湖が見えてきた。常世の森という名前からは、想像もできない美しい湖だ。透明度の高い湖面には、青空が反射して写り込んでおり、縁には湖岸より迫り出した木々が鮮やかな緑色を与えている。
「イナリが何処かに……」
周囲を見渡すが、イナリの姿は見えない。
「イナリ!」
叫んでみるが、典晶の声は森に吸い込まれるかのように響きが無い。
「……」
妙な感じがしたが、典晶は道から外れて湖畔を歩き始める。
道から一歩外れると、そこは深い草が生い茂り、複雑に入り組んだ木々が行く手を遮る。典晶は草を踏み倒し、木々を乗り越えて湖畔を歩く。時折イナリの名を呼ぶが、はやり典晶の言葉はすぐに消えてしまう。余りにも静かなため、そう感じてしまうのだろうか。
ハァ……ハァ……ハァ……
息が切れていた。呼吸の音がまるで他人の物のように聞こえてしまう。
疲れたのだろうか。酷く頭が痛んだ。頭の奥深い場所に楔でも打ち込まれているかのように、ズキン、ズキンと一定間隔で痛みが走る。