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万事屋最高👍
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江戸の空は抜けるように青く、戦いの傷跡を塗りつぶすように陽光が降り注いでいた。
「銀ちゃん、お買い物行ってくるネ!」
酢昆布の箱を抱え、神楽が万事屋を飛び出したその時だった。
「おや、リーダーではないか」
聞き慣れた、けれど今は少しだけ質感が違う声に呼び止められ、神楽は足を止めた。振り返れば、そこにはトレードマークの長い黒髪をバッサリと切り落とした男、桂小太郎が立っていた。
「……ヅラ」
「ヅラじゃない、桂だ。そして今は、江戸の夜明けを夢見る一介の……」
「わかってるネ、そんなこと。……それより」
神楽の視線が、桂の首筋に落ちる短い髪に釘付けになる。
これまでは風になびく長い髪が彼の象徴だった。それが今は、うなじが露出し、どこか少年のような、あるいは精悍な剣士のような、不思議な清潔感を漂わせている。
(……なんか、変な感じアル)
いつもは「変な奴」としか思っていないのに、髪が短いだけで、その整いすぎた顔立ちが嫌でも目に入ってくる。
神楽の頬に、自覚のない熱がふわりと灯った。
「……なんだネ、その頭。やっぱり変アル。似合ってないネ!」
「ほう、そうか? 幾松殿には『若返った』と言われたのだが」
桂がふっと目を細めて笑う。
その爽やかな笑みに、神楽は思わず一歩後退りした。心臓が少しだけ、いつもより速く太鼓を叩く。
「ま、眩しいネ! どっか行くヨロ! その短い毛が刺さって痛そうアル!」
「刺さるわけなかろう。それよりリーダー、顔が赤いぞ? 暑いのか?」
桂がひょいと顔を覗き込んできた。端正な顔が至近距離に迫り、神楽は「ひっ」と短い声を上げた。
「赤くないネ! 夕焼けのせいアル!」
「今はまだ真昼間だが。……ふむ」
桂はしばし神楽の様子を観察していたが、やがて何かを察したように口角を不敵に上げた。天然ボケの皮を被ったこの男は、時折、こういう「隙」に対してだけは妙に鋭い。
「なるほど。さてはリーダー、この桂小太郎の新しい髪型に見惚れたな?」
「ハァ!? 誰がそんなこと……!」
「隠さずとも良い。やはり男の魅力は短髪に限るということか。これほどまでにリーダーを動揺させるとは、私の髪も無駄死にではなかったな」
「うるさいネ! 黙るヨロ!」
神楽は顔を真っ赤にして叫び、桂の胸元をドカドカと叩いた。しかし、桂は避ける様子もなく、面白そうに彼女の頭をポンと撫でる。
「そんなに照れるな。髪はまた伸びるが、今はこの新鮮な私を堪能するがいい」
「誰が堪能するかネ! ……でも、」
神楽は俯きながら、桂の羽織の袖をぎゅっと掴んだ。
「……前よりは、侍っぽくなってて、ちょっとだけ、マシアル」
消え入りそうな声で呟かれた言葉に、今度は桂が虚を突かれたように目を見開いた。
「……そうか。ならば、しばらくはこのままでいるとしよう」
少しだけ耳を赤くした桂と、茹でダコのように真っ赤な神楽。
紅桜の後の静かな町角で、二人の間には、切り落とされた髪の分だけ縮まった、新しい距離の風が吹いていた。
「銀ちゃん! ヅラを連れて真選組に行くネ!」
神楽の唐突な宣言に、死んだ魚の目をした銀時が鼻をほじりながら返した。
「……は? お前、寝ぼけてんのか? あそこは税金泥棒の巣窟だぞ。自分からマヨネーズの海に飛び込むバカがどこにいるんだよ」
「違うネ! 今のヅラは髪が短いから、あいつらには絶対にバレないアル! 私が保証するヨロ!」
「いや神楽、その自信はどこから……」
隣では、短髪になってから妙に自信満々の桂が、腕を組んでフンスと鼻を鳴らしていた。
「銀時、リーダーの言う通りだ。今の私は、かつての狂乱の貴公子ではない。ただの『爽やかな好青年』だ。これなら屯所の門をくぐって、奴らの便所に落書きをするくらい造作もないこと!」
「お前ら、短髪を魔法か何かと勘違いしてねーか!?」
結局、神楽に引きずられる形で、三人は真選組屯所の前へとやってきた。
「……あ、あの。誰か来ました。副長」
門番をしていた山崎が、三人の姿を認めて声を上げる。
「あぁ? ……万事屋か。それと……」
奥から出てきた土方が、タバコをくゆらしながら不審そうに目を細めた。神楽は心臓が口から飛び出しそうになるのを必死に抑え、桂の背中に隠れる。
(……バレるネ。絶対バレるネ。でもワンチャンあるネ!こいつら目は節穴だらけアル!)
「……おい。隣の短髪の野郎、どっかで見たことあるな」
土方の鋭い視線が桂を射抜く。銀時は冷や汗を流しながら「あ、いや、これは俺の親戚の……」と適当な嘘を並べようとした。
しかし、桂は恐れるどころか、一歩前に踏み出し、神楽を守るように立ちはだかった。
その凛々しすぎる後ろ姿に、神楽と銀時は嫌な予感を察知し、冷やせを流し始める
((……ヅラアアアアアアアア!余計なこと言うなよ!!))
だが、桂小太郎という男は、「それ」をやってしまう男だった。
「おい、テメェ。名前は何てんだ」
土方が刀の柄に手をかけ、低く問い詰める。
一瞬の沈黙。
神楽が「待て!」と叫ぼうとしたその時、桂は最高に爽やかな、そして最高に堂々とした声で言い放った。
「テメェじゃない、桂だぁぁぁ!!」
「「「言っちゃったァァァ!!」」」
銀時と神楽の叫びが重なる。
一秒前まで「いい感じの空気」を醸し出していた短髪のイケメンは、自らその正体を爆破四散させた。
「……野郎、やっぱり桂じゃねーか! 全員捕まえろォ!!」
土方の怒号が響き、屯所から隊士たちが雪崩のように飛び出してくる。
「銀ちゃん、逃げるヨロシ!!」
「だから言っただろーが! このバカヅラがァァ!」
「待て! 今のは不可抗力だ! 魂が勝手に叫んだのだ!」
大焦りで桂の襟元を掴んで走り出す神楽と、それを追いかける真選組、そして最後尾で汚い高音を上げる銀時。
江戸の町に、いつもの、けれど少しだけ髪の短い逃走劇が幕を開けた。