※十五話目、続き(少し別の登場人物の視点から始まります)
「ごちそうさま。すごく美味しかったわ。また来るわね」
おしゃれな店の前で、上品な服に身を包んだ女が男にそう言った。見送りのために女と共に店から出てきていた男はその言葉を聞くと、嬉しそうに笑った。
「本当?すごく嬉しいよ!また来てくれるんだね?」
「もちろんよ」
「絶対、美味しい料理を用意して待ってるね!」
「期待してるわ!……それじゃ、ごきげんよう」
「うん、さよなら」
手を振りながら坂を下っていった女を見届けると、男は店の中に入っていった。
店内は、壁も床も暗めの色で統一されており、シックな雰囲気で大変居心地が良かった。壁に掲げられた絵画も下品なものはひとつもなく、全て洗練されたものが選定されていた。流されている曲は、ハイドンの弦楽四重奏曲。これらのことだけで、いかに洗練されたレストランであるかがわかる。
夜はまだこれから、という時間帯であった。しかし、店の中にはもう一人も客はいない。それを不審がるでも残念がるでもなく、男はちょっとだけ再び表に出て、「closed」の看板を掲げ、また店の中に引っ込んだ。
…………否。一人だけ、店内には客がまだ残っていた。店に入った男は、隅の方のテーブルにかけていた一人の男の方に歩き出す。その客はパッと顔を上げると、彼を見た。
「もう……店はいいの?」
随分と懐こい言い方だった。しかし声をかけられた男の方も全く気にするどころか、むしろ昔ながらの友達のように、
「うん!もういいんだ。君のために今日はもう閉めるつもりだったから」
そう言って笑った。テーブルについていた彼は申し訳なさそうに肩をすくめた。
「そんな、わざわざ早く切り上げてくれるなんて……ありがとう、イタリア」
イタリア、と呼ばれた彼は嬉しそうに、
「全然いいんだよ、ウクライナ。君の役に立てるなら」
ウクライナは微笑んだ。その時、彼の携帯がかすかに振動音を立てたので、断りをいれるとウクライナはすぐに携帯を起動させた。画面には、メッセージが一通入っており、タップするとスルスルと内容が表示された。
『電話、気づけなくてごめん。すぐ行く』
ロシアからのメッセージだった。
「お兄さん、もうすぐ来そう?」
イタリアが聞く。ウクライナは頷いた。
「うん。すぐ来るって」
「そっか」
イタリアは軽く伸びをすると、ウクライナを見た。
「じゃあ僕は、店の外に出てロシアが来るの待ってるから。彼が来たら話が終わるまで僕は外にいるから、気にしないでね」
そう言うと、出て行こうとする。ウクライナは思わず立ち上がって引き止めた。
「イタリア!」
「……ん?」
「その……」
数秒、目線を彷徨わせたウクライナは、意を決したようにイタリアを見ると頭を下げた。
「本当に、何から何までごめん……ありがとう」
イタリアは笑った。
「なんだよ、そんな大袈裟な……気にしないで欲しいんね。金輪際の別れじゃないんだから」
イタリアはウクライナに笑いかけると、背を向けて歩き出した。その背が店の外に消えたあと、ウクライナはぽつりと呟いた。
「金輪際の別れ、ね……………」
ストン、と椅子に腰掛けたウクライナの口許に、フッと寂しそうな笑みが浮かんだ。
「…………本当にそうならないと良いけど」
「…………っくしゅんっ」
ロシアと並んで歩いていたフィンランドが、突然、小さなくしゃみをした。ロシアが驚いて隣を見ると、両腕で自身を抱きしめるように縮こまっているフィンランドの姿があった。
「大丈夫か?」
「う……寒ぃ……」
「上着かウシャンカ貸そっか?」
「大丈夫……」
最近寒くねぇ?とぼやきながらフィンランドは鼻を啜った。フィンランドをじっと見ていたロシアは、突然「ふへっ」と笑い声を上げた。
「……なんだよ?」
「いや、フィンランドって意外と可愛いくしゃみすんだなって思って」
「男の可愛いくしゃみなんかどこにも需要無ぇだろ………」
フィンランドはそう言いながら懐からポケットサイズの酒瓶を取り出し、栓を切るなりあおった。その側面に貼られていたラベルの、その度数を見たロシアは目を剥いた。
「え⁉︎ フィンランド、それ割って飲むやつじゃねぇの?そんな強いの飲んで平気なのか⁉︎ 」
「あぁ゛?」
ぐい、と口許を拭って、フィンランドはロシアを睨みつけた。
「お前には言われたかねぇよ、お前には……これより強いのしょっちゅう飲んでるだろうが」
「は⁉︎ 人のこと酒カスみたいに言うんじゃねぇよ」
「酒カスだろうが」
「はぁあ⁉︎ テメェもな⁉︎ 」
青筋を立てて今にもフィンランドに掴み掛からんとするロシアを前に、フィンランドは手をヒラヒラさせた。
「まぁこっからだとエストニアん家近いしな。いざとなったら泊まらせてもらおっかな」
「……っお前……」
ロシアは胸ぐらを掴まんばかりにフィンランドに詰め寄った。ご丁寧にも目元には濃く影が落ちている。
「エストニアに手ェ出したら殺す………」
対してフィンランドはどこ吹く風だ。
「はは、可愛い可愛い妹には手ェ出すなってか?そりゃ無理なお達しだなぁロシア!俺にとっちゃ可愛い可愛い彼女なんだからよ‼︎ 」
高笑いするフィンランドを前に、ロシアは頭を抱えた。
「どいつもこいつもウゼェ……なんで…?」
「お前も大概のクソガキだよ、ロシア」
「…………ガキじゃねぇし」
「俺からしたらガキだなぁ」
フィンランドが酒瓶をもてあそびながら言う。ロシアはキッとフィンランドを睨みつけた。
「ウザいことの理由になってねぇじゃん」
「それは……」
しばし虚空を見つめたフィンランドは、「あ」と呟くとロシアを見て、ニヤッと笑った。
「分かった。主義の違いじゃね?」
「……それ本当に笑えん」
……とロシアは言ったものの、顔を見合わせた瞬間二人は吹き出し、笑い転げた。まるで友達どうしのように……と言いたいところだが、実際、二人は友達どうしなのだった。
喋りながら数分歩くと、いつしか二人はとある坂の上まで来ていた。ロシアの横を歩いていたフィンランドが立ち止まる。少し行きかけたロシアは慌てて立ち止まり、フィンランドを振り返った。
「……この下にその店があるんだ」
フィンランドが言った。ロシアは真っ暗な坂の下を見た。
その坂は大通りをほんの少しだけ逸れたところにあるので、坂に沿うようにして店もたくさんあった。夜もまだ宵の口だ、閉まっていない店の方が多かった。だから、店から漏れ出る光は十分にあるはずなのだが……
───暗かった。
少なくともロシアは、暗いと感じた。
「……妙だな」
フィンランドがボソリと呟いた。
「なんか静かだな、今日は……」
「……」
一抹の不安が胸を掠めた。ロシアは生唾を飲み込んで黙りこくった。
心配事の九割はおよそ起こらない、というのをよく聞く。だが、と思う。これも心配事に数えてしまって良いのか?もし、残りの一割が生きていたとしたら?
(なんだよ、ただのちょっと暗い坂道だろう……?しかもこの坂の途中の店で、ウクライナが待っててくれてるんだぜ?)
ロシアは自分にそう言い聞かせた。脳裏に、微笑んだ弟の顔が浮かんだ。
「………今度、飲みに行こうぜ。二人だけでも」
重苦しくなりかけていた空気を破るように、フィンランドが突然そう言った。ロシアが彼の顔を見ると、フィンランドはロシアに笑いかけた。
「ほら、行ってこいよ。愛しの弟が待ってんだろ?」
「………うん」
ロシアはフィンランドに向き直った。
「ありがとな、ここまで。……じゃな、フィンランド」
フィンランドが手を振る。
「おう。またな」
ロシアが背を向け、坂道に足を踏み出す。その後ろ姿を眺めながら、フィンランドは自分が今まで息を詰めていたことに気づいた。ゆっくりと息を吐き出しながら、ぼんやりと思考を巡らす。
(……まるでもう会えなくなるみたいだな……)
口から出た息は、寒さのためか白く、周りの闇によく映えた。
「……」
無言で踵を返す。一陣の冷たい風が吹き抜けていく。
夜の街に溶け込むように、フィンランドは歩いて行った。
一人、暗い坂を下りながら思う。
フィンランドが飲みに誘ってくれたことが嬉しい。アメリカと中国と話すのは、すごく楽しかった。それは、国や情勢などと一切関係ない純粋な友達と話しているようにロシアに錯覚させた。
もしかしたら。
俺は、他の国と結構うまくやっていけてるのかもしれない。
現にほら、ベラやカザフや……ウクライナと。決して、兄弟だから、家族だからという理由だけではないはずだ。
(そうか───)
俺は父さんとは違う国だ。だから。
───何も、心配は無いはず───
自分にそう言い聞かせる。そうすることで、今まさに自分の身体が闇に沈み込みつつあるような嫌な感触を、払拭しようとするのにロシアは精一杯だった。
これからちょーっとずつ不穏になっていくかもです…😇
コメント
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めちゃくちゃ騒がしいわけではないけど仲がいいのが伝わってくる 二人の関係が大好きです!「お達し」で今回も語彙力の高さに驚きました これから…さらに不穏に…? フィンランドの可愛いくしゃみなら需要あるので安心して
いやぁぁぁぁぁぁあめっちゃ好きです🥰😭不穏な空気もぜんぶ!!考察も捗ります!!✨️更新ありがとうございます!お疲れ様です!!😍