※第十六話目、続き
「………あ、来た」
いつも通り被った帽子と(カンカン帽というらしい)お決まりの赤いスカーフを風にたなびかせながら、店の前に立っていたイタリアは手を大きく振って叫んだ。
「おーい!ロシアぁ‼︎ こっちこっち!」
ロシアが坂を下ってくる。イタリアは飛び跳ねた。
「ロシア!こっちだよ!」
「そんな主張しなくてもわかってるって!」
ロシアが怒鳴り返した。「えへへ」と腑抜けたように笑いつつもロシアが目の前に来ると、イタリアは律儀に挨拶した。
「こんばんは、ロシア。しばらくぶりだけど、元気だった?」
「ん。まぁ」
「そりゃ良かった!」
(ウクライナは……)
「………」
何かを探すように目線を漂わせたロシアの腕を、イタリアが不意につかんだ。息を呑んで硬直したロシアを、イタリアは、真っ直ぐに見据え、そして、真剣な声で名を呼んだ。
「……ロシア」
「……何だよ?」
いつものイタリアと少しばかり雰囲気が違うことに、ロシアはタジタジとなった。しかしイタリアは何も言わないまま腕を離そうとしない。たまらなくなってロシアは声を上げた。
「えと……イタリア……?」
「………」
「イタリア?」
「ロシア。僕はね、」
数秒の沈黙のあと、イタリアがやっと口を開いた。
「僕はずっと、人と関わり合う仕事をして生きてきた。……僕のお父さんね、料理するのも食べるのも大好きだったの。しかもお父さんが作る料理、何でもかんでも全部すごく美味しかったんだ。だから、小さかったけどレストランも持ってたの。……実は僕ね、僕のお父さんの代からずーっとレストラン手伝ってきて、もうお父さんは死んじゃっていないけど、長年こういうご飯食べる場所で働いてきたんだ。だから……だから、分かる」
「………何が?」
「……レストランに来る人たちの、考えてること」
イタリアは静かに言った。そのはずなのに、その言葉からは、どこかドスの効いているような、凄みのようなものを感じ取れずにはいられなかった。
「……もちろん、脳みその中まで見えるわけじゃないから、詳細なことは分からないよ。でも、あぁこの人本心から嬉しそうだな、とか楽しそうだな、とか。何だかぶっきらぼうだけど本当は嬉しいんだな、とか、逆に楽しそうにしてるけど、この人本当は悲しいんだな、とか。涙を堪えて笑ってる人も、本当に楽しくて笑ってる人も、何となくだけど、分かる。上手く言えないけど」
「何が………言いたいんだ?」
ロシアはちょっとだけ怯えていた。いつものイタリアじゃない。どこか狂気を感じさせるような顔だった。大きく見開いたイタリアの目は自分の心のうちまですべて読み取ってしまうんじゃないかという、変な恐怖に襲われる。しかし、イタリアは決して目を逸らそうとはしてくれなかった。イタリアの言葉は続く。
「だからね、僕、さっきウクライナを見て、彼が何感じてるかも何となくわかったんだ」
ウクライナの名を聞いた途端、ロシアはビクンと身を震わせた。イタリアの顔を凝視する。
「ウクライナ、が……?」
「うん。…………彼ね、……思い詰めてるみたいだったよ。ウクライナってね、多分、自分の感情を押し殺すのがすごく上手な子なんだと思う。だから本当に些細な変化だった。一見気づけなかったし、多分本人も気づいてない。でも、絶対にいつものあの子じゃ無いことは確かだよ。僕の目に狂いは無い。……でもさ、彼が本当は何を考えてたのか、感じてるのか、彼の話を聞いてあげられるとしたら……ロシア、君しかいないんだよ」
「…………‼︎ 」
ロシアは目を見開いた。
イタリアがついに腕を離した。ロシアの肩をトントンと叩く。そのまま少しだけ寂しそうに微笑んだ。
「僕はウクライナの友達だけど、今は何もしてあげられない。だからロシア、大きなお世話だと思うけど……ウクライナの話、ちゃんと聞いてあげなね」
「……っ、」
「じゃあ……行ってらっしゃい」
ロシアが声を上げる間もなく、イタリアはロシアの背中を、レストランのドアに向かって思いっきり押した。「え、待っ………!」と言いかけたロシアに有無を言わさず突き飛ばす。瞬間、レストランのドアがバン!という激しい音を立てて内側から観音開きに開き、ロシアはその中に転がり込んだ。
「イッ………‼︎ 」
バッと振り返ったロシアの後ろ、扉はどんどん閉まっていった。そのドアとドアの狭い隙間から、イタリアが手を振っているのがかろうじて見えた。
(ッ……あいつ……‼︎ )
一言怒鳴ってやろうと身を起こした時だった。
「……にぃさん?」
「‼︎ 」
聞き慣れた声がした。さっきからずっと探し求めていた声。ロシアは振り返った。
店内の奥の方、テーブルにかけたウクライナがこちらを見ていた。ロシアと目が合った瞬間、彼は立ち上がった。
「兄さん」
「……ウクライナ!」
ロシアは小走りにウクライナに近づいた。兄が近くに来て初めて、ウクライナは目元を緩ませた。それを見て、気づいた。
(あ……)
この顔は………知ってる。
ウクライナが安心した時にする顔。
(でも、いつものウクじゃない……)
その顔には翳りがあった。
どこか暗い、翳りが。
照明が付いてはいるものの、店内は暗かった。おそらく二人しかいないため光を落としてあるのだろう。弟の顔にも、影がバサリと落ちている。頭に被られたヴィノクが作りだす、歪な暗影。……暗い。暗色。……暗い坂道。下れば下るほど暗くなる。暗い店。暗い表情。
………心配事の九割は起こらないといった。でも、残りの一割は。
「兄さん」
(………あぁ)
ウクライナの、声がする。
「兄さん」
「ねぇ」
「今日ここに来てもらったのは、他でもない……話が……あるんだ」
「聞いて……くれるよね?」
「兄さん、あのね?」
「僕………………………」
「……………………………………………………………………………………………………」
───心配事の九割は、起こらないといった。でも、残りの一割は。
全ての事象は、同じ確率で起こる。
十分の一とてそのことに変わりはなく───
「…………、………………っ、……ッ…………………」
何も言えない。鼓動が早くなる。自分が今何を考えているのか、何を考えればいいのか分からない。ウクライナが何を言っているのか分からない。………理解、できない。
目の前の弟は───男は───ウクライナは───本当に俺の弟……ウクライナ、なのか………?
走ってもないのに息が上がる。冷や汗が背に滲む。拳を作った手が震えた。
ウクライナによって突きつけられた現実は、あまりにも突拍子もないものに───この時のロシアには───思えた。
そしてロシアはこの日、十分の一という数が意外と大きな数であるということを知った。
次回予告というか…次回から旧国が出まくります…注意です。
そして!おそらくなのですが、この十六話目で一応この話の前編?が終わったことになります!ここまで読んでくださった方々、本当にありがとうございます!(まだ続くのか…ってもう少しだけお付き合い頂けたら嬉しいです。嬉死します。)
閲覧ありがとうございました!
コメント
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イタリアの行動が何から何まで好きです 急に腕掴むの好きだし押し込むの好きだし行動の一つ一つに意味がある感じがする… 店内の暗さから坂道と表情の暗さに繋げてくる想像力が凄い ありがとうございます!!