「じゃあ、特に解決策はないと?」
案外、すぐに息吹は見つかった。会場から少し離れた辺りに描写されている住宅街の、屋根の上に座っていた。
下には低木がいくつか植えられていて、いざとなった時は隠れられそうだ。今の所、葉泣は来ていないが。
「そだねー。いやー、覚異何にはよく言っとくからさ」
「本当に酷い事をしてくれたな。……にしても、桃蘭一人でここまでの規模を巻き込めるか?」
聞いた話によると、覚異何を受け継いだ超異力を獲得した桃蘭が引き起こした幻覚世界が、今いる世界らしい。
しかし、覚異何はともかく元々幻覚を作れたわけではない桃蘭が、怪異討伐部隊全員を巻き込むほどの大災害を引き起こせるわけがないと思うのだが。
その旨を伝えたところ、息吹は少し考え込んで、
「まぁ、そうとは考えにくいけどね。多分、からくりがあるんだと思う。覚異何は本当に何もしてないって言ってたけど、それも嘘かもしんないしさ」
と答える。その後、それよりも脱出案を練らないと、と続けた。確かにこんなことを考察するのに時間を費やすのは間違っているかもしれない。
だが、具体策はない。話が堂々巡りしているのが腹立たしい。結局、脱出する策はないのだ。
「要は、桃蘭に『こいつら外の世界に出さないと』と思わせることをしなきゃいけないわけだ」
「分かんねぇな」
「ね。……まぁ結論から言えばさ」
息吹は腰につけている試験管を取り出す。いつもどういう用途で使っているか不明の怪しい実験器具だ。戦う時に大抵取り出している姿は見かけるが、具体的に何を入れているのか、聞いても教えてくれない。
何も入っていない試験管の中身を確認するかのように軽く揺らし、やがて術のようなものをかけ始める。ついに試験管の活躍シーンが見れると躍起になっていたら、一瞬にして試験管を祭り会場へ落とした。
試験管の割れる音が聞こえ、その後辺り一面が霧に覆われた。その様子を心底つまらなさそうに眺めた後、笑って無光に振り返る。
「ーー荒らして荒らして、惨状を作り上げればいいんでしょ?」
そう言っている割に、明らかに不本意そうだった。無光はその様子を呆然と眺めていたが、ふと背筋に冷たい物が流れた。
無視しようとした。しかしそれは確信に変わった。それと同時に、息吹は無光の腕を引っ張って、観測者と反対側の方へ飛び降りる。
「無光」
「何」
「大丈夫、僕が守るから」
「……そうか」
「だから」
お互いの呼吸しか聞こえない。
「撃ち抜かれないで」
鷹の目は誤魔化せない。
*
「……」
長い沈黙があった。おそらく、二人とも全く同じ場面を反芻している。
こんな状況になることも、店長らと当事者は知っていた。そして、それに同意した。
ただ、幻覚の世界で一生を過ごすことが、自信をもって正しい選択だとは言えないだけ。
「どうする?」
須田の声は、まるで独り言みたいに空に消えていった。なるべく間を持たせたはずだったが、こんなに大きな選択を迫られているのだから、もう少し時間を置いた方がよかったかもしれない。
そう反省していると、春部がか細い声で返答する。
「……僕には決められないです」
おおよそ、想定していた回答だった。
「だよね」
「すみません」
責めてない、と言った。それに対する返事はなかった。
春部は背負いすぎている部分があると思う。周りからよく見られるために優等生を演じている、みたいな。店長になってからそこが顕著になった。久東は真の天才だから春部の年でも色々できると思っていそうだが、実際彼は経験不足だ。
久東のわがまま、というより人事の下手くそさに振り回されて、”久東を継ぐ”ことになった春部。フォローしたい気持ちの方が無論強いが、どこか心の片隅で「この役目が自分じゃなくてよかった」と思っている自分がいる。汚い大人になったものだ。
「久東さんについてはどう思う?」
「……僕は」
しばらく口を開いたままだったが、一度口を閉ざした。何か言おうとしたが、待たなければいけない気がして、無言を貫いた。それに観念したのか、それとも決心がついたか、春部は開口する。
「久東さんの考えは間違ってると思います」
またもや、想定していた回答だった。
だって、おそらくあの場の全員、いや久東以外の全ての人が思っているであろうことだったから。
誰もがきっと思うはずだ。久東の考え方は間違っていると。でも、それと同時に、久東を止めようとはしなかっただろう。
彼女の覚悟の決まった瞳を直視して、抗おうとする青二才はいるだろうか。
今まで何度も助けられてきた久東という大きな存在に、異を唱えることなどできるだろうか。
久東の同期はもういない。彼女はもよんマート転移現象の最初期からずっと過ごしてきている。同期と言ったが、一代後も、その一代後もいない。
みんな亡くなったのだ。でも、久東だけは生きていた。……圧倒的な超異力、そしてそれを扱う技量で。
そんな彼女に追いつける奴は次第にいなくなり、皆はこう呼んでいる、最強と。その名を疑う者は誰もいない。
最強にああだこうだ意見することなど、できるわけがなかった。
でも、それでも、絶対に間違っている選択をした。
「俺もそう思う!あの人、責任取る風に見せかけて全然はるっちに押し付けてるよねー、困っちゃうわー」
「……そうかもしれないですね。でも、これからは僕が、その……久東さんの役割になるんですよね?」
彼の言葉の真意はこうだ。
見楽が誘拐された時、それと同時に息吹が消えた。息吹は二年ほど前に北支店から入ってきた隊員だったのだが、そこから彼が怪異側と繋がっているという仮説が生まれた。それを北支店店長の輝煌に問い合わせたところ、特段否定の言葉が返ってこなかった。久東が語気を強めると少しひるんだのか、なんとその噂をあっさりと認めた。
この事件により、北支店がかなり真っ黒だったこと、最低でも輝煌と息吹は確定で怪異サイドにいることが確定した。北支店出身者を洗いざらい調べる仕事などもあり、店長らは大変忙しかった。
つまり、一番強い久東と二番目に強い輝煌を失ったことで、最も強いのは春部ただ一人となってしまったのだ。
だから、彼は「久東さんの役割」になると言いたいのだろう。
「まぁそうかもね!でもさ、俺と君でツートップよ!強いはるっち、それから盛り上げ担当の俺っ!ね!」
「……」
春部は口を開けたが何も言わなかった。そして、少しだけ明るい顔をして、須田の方を向いてこう言った。
「ありがとうございます、須田さん。本当、不甲斐なくてすみません」
『あ、あの、僕の事守ってくれてありがとう、須王さん。ご、ごめんね、いつも不甲斐なくて』
一瞬だけよぎった記憶に引っ張られて、変なことを口走ってしまった。
「あー、えっと……良ければなんだけどさ、俺の事本名で呼んでみてくれん?」
「本名?」
「ほら、俺、源氏名で呼んでもらってんじゃん?須田美王って本名なわけないし」
「ああ、そういう」
「俺の本名、須王未来って言うんだけど」
「……じゃあ須王さん、でいいですか?」
「ベリベリ感謝!よろぴくみん!」
「はい?」
須田、もとい須王はまだ未来と書いてノゾムと読むことを言えていない。
「……なんか勇気出ました」
「えっと、それは何に対する?」
「久東さんの件、ですよ」
「あぁ……」
「ツートップの意見が集まってるんですから、もういいですよね」
話しているうちに自信が湧いてきたのか、今の春部はすっかりいい顔をしている。
「幻覚世界、解除しましょう。それで、事情を説明して、……」
「久東さんを、倒しに行きましょう」
*
「久東さん、あの、それって」
現在から遡る事一週間前。ある晴れた日、一人の女性が決意表明をした。
「せやで。私は……」
久東は少し躊躇うような素振りを見せたが、心を決めたのか上着を脱ぐ。と同時に、彼女の惨状があらわになった。
彼女の身体はもうすでに得体のしれない何かに侵食されていた。具体的には、彼女の着ていた黒いTシャツの腹部から貫通して赤い目がついていたのだ。直径15cmはありそうな、大きな瞳がこちらを覗いていた。久東の超異力ではない。完全に外部のものである。
そして、その瞳から根を張るようにしている。ギザギザした薔薇の茎みたいな細い物体が、腹部から枝分かれして生えているのだ。
頭に、一つの可能性がよぎった。久東が抱えている爆弾、怪異化問題である。
「そろそろ、怪異になる」
名前の通り、怪異化というのは人間が怪異になってしまうことである。理由は不明、かつ今の所病状が出ているのが久東しかいない。
久東はとても強いが、一方でこの問題を常に抱えていた。佐鳥からは段々怪異になるまでの期限が迫っていると言われ続けていたが、しばらくその症状は出ていなかった。あくまで北支店出身の佐鳥の超異力による予言だけであり、果たして本当にそんなことが起こるのか、と疑問に思う節はあったのだが、ついに起こってしまうらしい。
久東は最近異様に腹部の不調を訴えていた。それに、顔色が悪そうにしていることも多かった。とはいえ久東は異次元に強いし、久東でしか倒せない敵もたくさんいるから、仕方なく出動させていた。
「今回ばかりは静かに私の話を聞いて欲しいねんけど、ええかな」
誰も反対意見を述べなかったので、そのまま話は進行した。
「まず、私は近いうち怪異になる。んで、このことを話してパニックになるのはよくないから、他人には絶対話さん事。ええな?」
「……だから輝煌さん呼んでないんですね」
「せや、あいつにこのことがバレたらあかんからな。……怪異化は前例がないから、私が人間に戻ってこれるのかも、意識を保ったままいけるのかも、分からへん。せやから、奇跡が起こるのを期待しつつ……」
「私は、死ぬって前提で話を進めるで」
空気に誰かが針を混ぜたみたいに、とても痛々しい雰囲気が漂っていた。かの最強があっさりと死ぬ、という事実が衝撃的でしかなかった。それでも、今は聞くしかない。店長としての責任を果たさなくてはならない。
「まず、私は怪異化直前に桃蘭に相談して、みんなに私が死んだってことを認識させないようにする」
「それって、どういう意味ですか?」
「桃蘭のコスプレ?せぇへん時の超異力って、『苦しみなく敵を倒す』やん?それって、具体的には敵を倒すことの苦しさを消せるならなんでもできるらしいねんな。だから、怪異化したら敵は私になるやろ?それで、私を倒す時に情が移って苦しまないようにしてもらうねん」
つまり、久東が怪異化すれば必然的に我々人間の敵になるため、桃蘭の超異力「苦しみなく敵を倒す能力」を使用した時、敵として認識される。そして、元久東の怪異を倒すのに精神的に苦痛を感じてしまうのを避けるため、久東が怪異になったという事実を消すらしい。となると、
「琳さんと我々店長にのみ、その事実は伝えるわけですか」
「せやな。こんなことばっかで、ほんまに申し訳ないで。……でな?私としても、このまま黙って怪異になるわけにはいかへん。やろ?だから、私はーー」
「ーーエデンホールに、一人で突撃する」
その言葉が意味することは、死を確定したということ。
たとえ久東であったとしても、怪異たちの根城に単独で向かうのは死を意味する。最深部にいる怪異たちは、まだ全貌がわかっていないこともあって、久東でも勝てないやつらがうじゃうじゃいる可能性もある。おまけに、これは一対一の攻防ではない。敵は複数、自分は一人。もはや、人間側に勝ち目などない。
「調査を名目にして、今まで散々試験に落ちた奴をエデンホールに落としてきたやろ?ああ、別に貶してるわけやあらへん。れを始めたのは私やから、全責任は私にあるんやで。それを念頭に置いて、や。……私はこの目で見てきたいねん、自分が犯した過ちの結果を。落とした奴らは今どうなってんのか、私らが倒さなあかんやつはどんな面してのうのうと生きとんのかってのを」
止められなかった。普段ちょけている久東の本気の瞳に、もはや敵なんていないように思えた。でもそれは自分たちが井の中の蛙なだけで、本当は化け物がたくさんいる。それを確かめるために、彼女は死地へ赴くのだから。
「この行動で、私の運命が変わるかは分からへん。怪異化する前に死んだら、人間のまま死ねるかもしらへんし、死んだ後に怪異化するかもわからん。やけどな、どっちみち私は死ぬ。そんだけや」
一度話を切った後、久東は何か言おうとしてやめた。そして、
「康明も美王も、すまんなぁ。助かる可能性があったら、そっちに賭けりゃええだけの話やったのに。こんな結末、誰も望んでへんよな。最期まで振り回してもうてなぁ」
「じゃ、明日にでも出発やから。……こっからって時に、申し訳ない。頼んだで、私は……本当は」
今になってやっと、久東が瞳から水を流していることに気付いた。
「もうちょい、生きたかってんけどな」
*
「あっかんなぁ……このペースは流石、なんかな」
エデンホール、最下層。王宮、といった形の建物に遭遇してから、怪異の出現頻度が極端に上がった。おまけに、今まではただの怪異しかいなかったのに、人型怪異しかいない。それも、かなり強い奴ら。
そう、怪異には王がいる。怪異達を統率する王が。
詳しくは知らないが、言葉一つで何百もの怪異を動かす力があるとかなんとか言われている。
何より、怪異討伐部隊の最大目標である。今回は、死ぬ前にその面拝みにきたわけだ。
「あー……キッツいなぁ……」
鈍器ちゃんの一太刀にキレがなくなってきた。大抵こういう時は、剣道有段者の父が飛んできて、あれこれ駄目出しする。それを思い出しながら剣をふるえば、自然とここまでの地位にたどり着いていた。
脳内で、父が指導してくる。……「如何なる時でも最高の一振りを目指せ」、「弱音を吐くな」、「精神を研ぎ澄ませ」と。
最近、”目”の振動が酷い。体の主人を交代しようとしているのだ。そして、それに負けそうになっている。でも、それでも、きっと父が見てくれているから。娘の最期のあがきを、いや、勇姿を。
扉の前に立つ。普段なら泣きそうなほどの感動の波が押し寄せているのに、不思議と涙は出てこない。むしろ、何も感じていないかのように冷静だった。
少しばかり重い扉を開ける。向こう側に広がる景色は、まさに桃源郷だった。金で装飾された建物内は、王座に佇む一人の怪異、ただそれだけのためにあるのだと確信させられる。そして、その王が、
「ようこそ、久東流瑠。余を待たせるとは、不躾な奴め」
「待たせようが待たせまいが、どうだってええやろ。……こちらとしても逢いたかったで、仇桜慚愧」
息子と同じように、長い白髪をたなびかせ、王たる威厳を見せつけている、仇桜慚愧である。
「護衛は」
「護衛?あんた、人事のセンスないなぁ」
「お互いさまではないか?」
「……」
やはり、息吹や輝煌から流れて来た情報で、こちらの手の内は知られているらしい。
久東は身構える。やはり赤い目の痛みが激しい。呼吸も荒い。それでも、勝たねば。死力を尽くさねば。
「貴殿は録音機器も録画機器も保持しておらぬな。おまけに、もう手負いと見える。いったい何が狙いなのだろうか、愚かなニンゲンの思考はいつも読めんものだ」
「簡単に言えば自己満足や。私が、死ぬ前に最高峰を見ときたいって、そんだけや」
「……では」
唐突に、今まで輝きを放っていた金が消えた。視界が暗転する、いやおそらく照明が落ちたのだと思われる。
暗闇は慣れてしまえば余裕だが、慣れる前に攻撃されれば一巻の終わりだ。鈍器ちゃんと日本刀ちゃんを握りしめ、臨戦態勢に入る。が、一歩及ばなかったらしい。
「貴殿の望みはもう叶えた。余の配下となれ、久東流瑠!」
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