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「竜神様、今日も無事に過ごせましたこと、御礼申し上げます」

屋敷のすぐ前を流れる竜ノ川のほとりの小さな祠。

祖母は毎日掃除し、一日に何度も手を合わせていた。

暑い日も、寒い日も、雨の日も、雪の日も。


『|水緒《みお》、ずっと一緒にいたい。永遠に』

そう言っていたのは誰だっただろうか?

祖母が祠の掃除をしている間、近くにいた人。

覚えているのは着物を着ていたことと、銀色の何か細いものがあったこと。

顔は全く思い出せず、何歳くらいのどんな人だったかも記憶にない。


「祠は絶対に壊してはいけないよ」

病気で亡くなった祖母の最後の言葉は、家族のことではなく祠のことだった。


当時、私はまだ7歳。

祖母の行動も意味もわからないまま、すぐに母まで流行り病で亡くなり、その後は着物の男性に会うこともないまま、あっという間に10年が過ぎた。



「……え? 結婚?」

女学校から帰った水緒は、父から急に持ち出された縁談に困惑した。

手荷物を女中に手渡し、慣れた足取りで廊下を進む父の後を静かに追う。

ギュッギュと音が鳴る縁側を歩き、連れて行かれたのは応接間。

そこで待っていた見知らぬ洋装の男性に水緒は戸惑った。


「娘の水緒だ」

父の紹介で慌てて水緒はお辞儀をする。


「大倉宗一郎です。よろしく水緒さん」

立ち上がり水緒の前までやってきた男性の笑顔は、優しいのになぜか少し怖い。

男性と話す機会があまりないからかもしれないと、水緒は自分に言い聞かせた。


「宗一郎くんは行楽地の開発に力を入れているあの大倉財閥のご子息で、今度この地域の開発を手がけることになったそうだ」

素晴らしい青年だと褒める父と、自信に満ち溢れた宗一郎。


「良好な自然を備えたこの地の文化や経済を活性化させるため、ぜひ古河様のお力添えをいただきたくて」

よろしくと握手を交わした二人は、座布団に座り今後の予定について語りはじめてしまった。


「この川の蛇行を少し変えて、この屋敷を大きな宿泊施設に建て替えましょう」

もちろん最上階の一番良い部屋が古河様の部屋ですと宗一郎に言われた父は、嬉しそうに頷いている。


「川をここからこのように……ここに橋を……枯れた桜も植え替えて……」

景色は最高、川の向こうの商店街も道を整備し、馬車が往来しやすくしようと資料を広げながら熱く語る宗一郎を横目に、水緒は冷めた緑茶に手を伸ばす。

お気に入りの袴に座り皺が寄らないか心配する余裕があるほど、二人の話は水緒には興味がないものだった。


「では大筋合意ということで」

「あぁ。水緒を妻にしてもらえるなら、工事許可証に署名しよう」


え? 私を妻にしてもらえるなら?

水緒は父の言葉に目を見開いた。


この縁談ってお父様から頼んだものなの?

驚いた水緒が顔を上げると、にっこりと微笑んだ宗一郎と目があってしまった。


「水緒さんと少し近くを散策させていただいても?」

「えぇ、ぜひ。水緒、ご案内しなさい」

断ることも許されない状況に水緒は溜息をつく。

宗一郎にスッと差し出された手を取りながら水緒は立ち上がった。


応接間から玄関へ、そして屋敷の外へ連れ出される。

歩く速さは水緒に合わせてくれていて、段差も気遣ってくれるので優しい人のようだ。

背は水緒より20cmほど高く、顔も整っている。

艶々な黒髪は男性にしては少し長めだが、長すぎるということもなく、洋装もとても似合っていると水緒は思った。


「急に結婚で驚いたよね?」

「はい」

「俺も今日、君のお父上に言われて驚いたけれど、こんなに美人とは予想していなかった」

お世辞だとはわかっているけれど聞き慣れない「美人」だという言葉に水緒の顔が火照る。


「その淡い水色の着物も、紺の袴もよく似合っているよ」

「この着物は母の形見なんです。とても気に入っていて」

透かし柄が入った水色の着物は、水緒のために裄丈を伸ばし着られるようにしたもの。

似合っていると言われた水緒の胸がドクンと高鳴った。


「水緒さん。良き夫になれるように努めるから、結婚してくれないか?」

財閥の子息と聞き、高慢な人だと勝手に思い込んでいたのかもしれない。

もともといつかは家のために政略結婚するだろうと思っていた。

急だったけれど、相手が優しい人でよかった。


「失礼ですが、宗一郎様はおいくつでしょうか?」

「あぁ、うっかりしていた。何も教えていなかったね。今年23歳になるよ。水緒さんは?」

「17歳です」

「6歳も上では、嫌だろうか?」

「いいえ、とんでもないです」

少し年上に見えると思った勘は間違っていなかった。

6歳年上と聞いて、『大人の包容力』を期待してしまう自分がいる。

優しくて頼りがいのある見目麗しい男性。

結婚相手としては申し分ない、それどころか最高の相手だと友人たちから揶揄われそうだ。


「水緒さん、好きな食べ物は?」

「私は桃が好きです」

「桃の花は今咲いているから、果実は7月頃? その時期になったら持ってくるよ」

一緒に食べようと言われた水緒は「はい」と微笑んだ。


「……それで、求婚の返事はもらえないのかな?」

少し照れた表情をしながら水緒の顔を宗一郎が覗き込む。


「はい。よろしくお願いします、宗一郎様」

水緒は宗一郎と繋いだ手をそっと離し、お辞儀をした。


幼い頃に祖母と母にお辞儀だけは厳しく教わった。

背筋を伸ばして、45度をしっかりと守る。90度の最敬礼は神様へのみ。

ゆっくりとした仕草で腰を折り、その姿勢で少し間をとってから上体を起こす。


「水緒さんは、大和撫子だね」

「そんなことはないです」

できて当然ですと答える水緒に宗一郎は「すごいよ」と微笑んだ。


再び宗一郎に手を握られながら竜ノ川のほとりを二人で歩く。

枯れた桜、生い茂った草、昔は綺麗だった川が今日も濁っている。

母や祖母が生きていた頃は満開の桜と、空を写したような澄み渡った綺麗な川だったのに。


「……祠?」

「竜神様を祀ってある祠です」

小さな祠は今にも壊れそうなほどボロボロだった。

水緒の記憶の中の祠は、祖母が毎日掃除をしていた頃の綺麗な祠。

こんなに汚れているなんて知らなかった。


そういえばここにはずっと来ていない。

祖母と母が亡くなり、もしかしたら誰も掃除に訪れなくなったのかもしれない。


「……手が汚れるからやめた方がいい」

水緒が祠に触れようとすると、宗一郎に優しく止められた。


「川の蛇行を変えたいから、この祠は撤去かな」

「えっ?」

上流と下流を交互に見ながら呟いた宗一郎の言葉に、水緒は驚いて顔を上げた。

『祠は絶対に壊してはいけないよ』

亡くなる間際の祖母の言葉がふいに蘇る。

水緒は、宗一郎と繋いでいない手をギュッと胸の前で握った。


「宗一郎様、この祠はこのままがいいです」

「でもここをもう少し緩やかな川にした方が、桜並木が映えて景色が良くなるから……」

「壊してはダメなんです」

理由はわからないけれど、なぜか絶対に壊してはいけないような気がした水緒は宗一郎に頼み込んだ。


「竜ノ川は1000年前に」

水緒はこの土地に竜ノ川ができた時のおとぎ話を宗一郎に話した。


美しい神子が枯れたこの土地に豊かな川を作ってほしいと願い、竜神様がその願いを叶えてくれた。

その後、神子は竜神様のもとに召されたという伝説だが、そこまで宗一郎に説明する必要はないだろう。


「この川があるのは竜神様のおかげなんです。だから」

祠は壊さないでくださいと言おうとした水緒の言葉は宗一郎に遮られた。


「では、新しい祠を立てるというのはどう?」

「新しい……?」

「その方が竜神様も喜ぶよ」

「そう……でしょうか?」

本当に喜ぶのだろうか?

新しい祠にするのは、あの祠を壊すことにはならないのだろうか?


「竜神様を崇める気持ちは変わらないのだから、新しい祠に変わっても大丈夫だと思うよ」

崇める気持ち……?

祖母は毎日祠に手を合わせていたけれど、私は……?


返事に困った水緒は、ボロボロの祠を見つめることしかできなかった。


「すぐではないから、また話し合おう。次は向こうの商店街を案内してくれる?」

「……はい」

小さな橋を渡り、川の向こう側へ。

簡単に商店街を案内し屋敷に戻ると、そのまま宗一郎は隣街にも挨拶に行くと去っていった。


宗一郎を見送った水緒は、女中に桶と雑巾を借り、竜神様の祠へ戻った。

祖母が昔掃除をしていた姿を思い出しながら、祠の汚れを拭き取っていく。


長年の汚れは1日では落ちず、水緒は毎日女学校が終わったあと祠の掃除に向かい、少しずつ綺麗にしていった。



掃除を始めて1ヶ月。

棚を水拭きし、周りの草を取り、小さな花を飾るうちに、なぜか竜ノ川が綺麗になってきたような気がする。

ただの妄想だけど。


たまたま上流で雨が降らない日が続いたのだろうとわかっているけれど、キラキラ輝く竜ノ川を久しぶりに見た気がした水緒は、雑巾を桶に入れたあと、ぼんやりと川を見つめた。


「……あの男はダメだ」

「えっ?」

低い男性の声に驚いた水緒が振り返ると、すぐ後ろに和装の男性が立っていた。

だが、髪の色は銀色で、目は青く、この辺りで見かける容姿ではない。

異人さん?

こんなところに?


「この祠は竜穴。だが、穢れのせいで悪い者が来てしまった」

「……竜穴?」

とは何だろうか?


男性の銀の長い髪がサラサラと風に揺れ、水のような青い眼は吸い込まれそうだ。

こんな容姿なのに、和装が似合っていると思ってしまうのはなぜなのだろうか?


「綺麗にしてくれてありがとう」

青い眼を細めて優しく微笑む男性は、この世のものとは思えないほど美しく、思わず見惚れる。


……あれ?

この感じ、前にもどこかで……?

こんなに綺麗な男性に会ったら、忘れないと思うけれど。


和装?

銀色の……。

思い出せそうで思い出せないもどかしさが水緒を襲う。


水緒は手を口元にあてながら、しばらく悩んだ。


「……緒さん、……水緒さん!」

肩に触れられた水緒は、驚いて顔をあげた。


「えっ? ……宗一郎様?」

だが、なぜか目の前は銀髪の男性ではなく、黒髪の宗一郎。


えっ? さっきの銀髪の男性は?


「大丈夫かい? 何度呼んでも反応がなかったけれど」

「え? 何度も?」

「急に肩に触れて、驚かせてごめんね」

申し訳なさそうにする宗一郎に、水緒は首を横に振った。


「あの、さっきの男性はどこに……?」

「男性? ……水緒さんは一人だったけれど?」

水緒は急にいなくなってしまった男性を探そうと、キョロキョロと辺りを見回す。

だが、この見晴らしのいい堤防のどこにも、銀色の長髪の男性を見つけることはできなかった。


え……? 消えた?

竜穴って?

それにありがとうって?

祠の掃除はしているけれど、ありがとうってこの祠のこと……?


「水緒さんはどうしてこんなところに?」

「あ、祠の掃除を」

水緒の足元に置かれた桶を不思議そうに眺めた宗一郎は、冷たい水緒の手をギュッと握った。


「そんなことしなくても。あぁ、手が冷えてしまっている」

「そ、宗一郎様」

真っ赤な顔で狼狽える水緒に宗一郎は優しく微笑む。


「今日は専門家と川の蛇行を変える相談をしに来たんだ。この祠も新しいものに建て替えるから、もう掃除はしなくていいよ」

「いえ、建て替えはしなくても」

「竜神様だって綺麗な祠の方がいいはずだと、この前話したよね」

さぁ、身体が冷えているからすぐに屋敷へ行こうと手を引かれた水緒は祠の方を振り返った。


『祠は絶対に壊してはいけないよ』

建て替えはしてもいいの?

綺麗な方が竜神様も喜ぶ?


「水緒さん?」

「あ、いえ。すみません」

宗一郎と屋敷へ戻った水緒は、桶と雑巾を片付けながら祠の前で会った男性を思い返した。


銀色の綺麗な髪、青い眼。

初めて会ったはずなのに、ずっと昔から知っているような不思議な感覚がした。

あの人は誰だったのだろう?


もう一度会いたいなんて、浮気者だろうか?

私には宗一郎様がいるのに。


でもなぜかまた会いたいと思ってしまう。

なつかしいあの人に。

また会えるだろうか……?


父は結婚式よりも先に街の整備を始めることを宗一郎に許可した。


結婚式は最高の着物を準備してやりたいから二年後にと。

宗一郎も快諾し、いつの間にか日取りまで決まっていた。


「では来週から河川工事に着手して、まずは景観から変えます」

「そうか。桜も植え直してくれるのだろう? 満開の桜の中、水緒を嫁に出せるのはうれしい。妻もきっと喜ぶよ」

「桜に囲まれた水緒さんは、本当に綺麗でしょうね」

俺は幸せ者だなと笑う宗一郎に、父は上機嫌で酒を注いだ。


「そういえば水緒さんが掃除をしている祠ですが」

「あぁ、あれはな、壊してはダメだぞ」

すでにほろ酔いの水緒の父の言葉に宗一郎は眉間にシワを寄せた。


「……そうなのですか?」

水緒も父親も壊すなという祠。

あれが一体なんだというのか。

ただの古い祠じゃないか。


実はあの祠の場所が一番工事したい場所だ。

この屋敷を宿泊所に建て替えた時に、山と桜と川が最も美しく、まるで絵画のような景色にするためには川の向きを変えなくてはならない。


「壊すとどうなるのですか?」

「どうなるかは知らん。壊してはならないと先祖代々伝えられている」

へぇ〜と感心しながら宗一郎は水緒の父の盃に酒を注ぐ。


「家の前の竜ノ川の主は、神子と添い遂げることができなかった。神子は病に侵されていて、みんなのために川がほしいと願いながら亡くなった」

「竜ノ川の主というのが水緒さんが言っていた竜神ですか?」

「そうだ。亡くなった神子を想い、竜神が流した涙が竜ノ川になったと」

だから竜神の祠には神子の服の一部も一緒に祀られているんだと、水緒の父は祠を守る一族にのみ伝わる話を宗一郎にうっかり話してしまった。

酒が回り、何を話したかさえ記憶になさそうなほど上機嫌に酔いながら。


「悲恋なんですね」

俺には関係ないけれど、と思いながら宗一郎は水緒の父に酒を勧める。

どんどん飲ませ、呂律も回らなくなった水緒の父に宗一郎は尋ねた。


「祠を壊していいですか?」

泥酔した水緒の父の前に念書を広げる。

署名する水緒の父の姿に、宗一郎はニヤリと笑った。


その日は朝から雨だった。

水緒は祠の掃除に行くか迷ったが、祖母は雨の日も祠へ行っていたことを思い出し、水緒も傘をさして祠へ向かった。


「……え?」

新しい祠を建てるとは聞いていたが、祠の場所を移動させるとは聞いていない。


「待ってください!」

縄をつけ、今にも祠の台座を横に引っ張ろうとしている男たちを水緒は止めた。


「この祠は壊してはダメなんです」

「なんだい? 嬢ちゃん」

「ここは工事が始まるから入ったら危ねぇぞ」

男たちは身なりの良い水緒を上から下まで眺め、お嬢さんがこんなところに来るんじゃないと肩をすくめる。

水緒は必死で祠を守ろうと、男たちと祠の間に割り込んだ。


「お願いします。祠は壊さないでください。このまま引っ張ったら祠が壊れてしまいます」

「そう言われてもこっちも仕事だからなぁ」

小雨に濡れながらボリボリと頭を掻く男。


「壊してはダメだと言い伝えがあるんです」

「でもここの地主の許可もあるしなぁ」

「……え?」

地主ってお父様?

どうして許可を?

お父様だってこの祠は壊してはダメだと知っているはずなのに!


「ほら、これ」

「どうして……?」

父の署名が入った念書を男から見せられた水緒は顔面蒼白になった。


そんなはずはない。

父が祠を壊すことに同意するなんて!


「ほらな、許可があるだろ?」

だから諦めろと言われた水緒は首を横に振った。


「この工事は大倉宗一郎様の命令ですか?」

「あぁ、そうだ。よく知っているな」

「私、宗一郎様の許嫁です。今日は雨ですし、工事は中止してください」

お願いしますと水緒は男たちに頭を下げる。


「今日だけだぞ」

ずっと頭を下げたままの水緒に困った男たちは、渋々今日の工事を中止した。


急いで屋敷に戻った水緒は、父に祠の念書について尋ねたが、父は「書いた覚えがない」と言った。

でもあの字は確かに父の字だった。

宗一郎様は一体いつどうやって父にあの念書を書かせたのだろうか?

本人が知らないうちに書かせるなんて、一体どういうことなのかわからない。


水緒の気持ちを察してなのか、その日から雨は日に日に強くなり、降り続くことになった。



雨が降り始めてから今日で18日目。

竜ノ川がこんな水位になっているのを見るのは初めてだ。

比較的晴れている日が多いこの街で、こんなに長い間止まない雨も初めて。


街の人々からは工事が良くないのではないか、竜神様がお怒りだとウワサになり始めた。あまりにも雨が続くため工事業者も一旦撤退。晴れたらまた来ると、彼らは別の街の仕事に向かっていった。



「……っ!」

今日も祠の掃除をしにやってきた水緒は、祠の前に立つ銀髪の男性に駆け寄った。


「どうして傘もささずに!」

水緒が急いで傘に男性を入れると、びしょ濡れの男性は長い銀髪をかきあげながら「ありがとう」と水緒に微笑む。

その笑顔に水緒の頬は赤く染まった。


「傘はないのですか?」

こんな大雨の日に。


「雨は嫌いじゃない」

「そういう問題では……」

風邪をひきますよと水緒は男性に手拭いを差し出したが、なぜか男性は受け取らなかった。


「この祠を壊すとこの辺りは濁流に飲まれる」

「……どうして?」

「この祠が水を止めているから」

祠がなくなった瞬間に水が溢れるだろうと男性は川を指差しながら水緒に説明する。

この地域で洪水など一度もないのに、なぜか男性の説明が嘘だとは思えなかった。


「……この祠を守ってくれ」

そっと水緒の頬に触れた男性の手はとても冷たい。


「会いたかった、ずっと待っていた」

「……え?」

会いたかった? 私に?

きっと深い意味はないのだろうが、言われ慣れてない水緒は急に恥ずかしくなる。


「やっとまた会えるようになったのに、祠が壊れたら……」

銀髪の男性の切なそうな顔に思わず水緒は見惚れる。


壊れたら……?

その先を聞きたかったのに、大きな女性の声に驚いた水緒は聞きそびれてしまった。


「それでね、白い洋装で結婚式をしてみたいのよ」

「ウエディングドレスってやつだろ」

「そう! それよ!」

相合傘で堤防を歩いてくる洋装の男女の声。

大きな傘で顔は見えない。

だがこの声は……。


「宗一郎様?」

「……水緒さん?」

しまったという顔をする宗一郎。


水緒は相合傘の中でピッタリとくっついた女性に視線を移動する。

花柄の薄いひらひらとした綺麗な布の洋装をしている女性は、着物に袴姿の水緒を鼻で笑った。


「宗一郎、この地味な女、知り合い?」

「あ、あぁ。このあたりの地主さんの娘だよ」

「ふぅん」

そうなんだと口の端を上げた女性から水緒は目を逸らした。

地主の娘。許嫁ではなくて。

宗一郎の説明にガッカリした水緒はキュッと口を横に閉じる。


あれ? 着物の男性がいない?

いつの間にいなくなったの?

今までここにいたのに。


「……汚い祠。これのせいで工事が出来なくて、私との結婚が伸びているの?」

こんなの壊せばいいと言う女性に水緒は目を見開いた。


「……結婚?」

目が合った宗一郎は気まずそうに顔を背ける。


『あの男はダメだ』

急に銀髪の男性の言葉を思い出した水緒は、なぜそう言われたのかようやく気づいた。


……騙されていたってこと?

私もお父様も。

父が書いた覚えがない念書。

どうやって書かせたかはわからないが、この男が欲しかったのはここの土地だけ。


この人は私と結婚するつもりなんて初めからなかったんだ。


「宗一郎様、どういうことか説明してもらえますか?」

「あとで屋敷に行くよ」

その笑顔にはもう騙されない。

水緒はグッと唇を噛んだ。


「私と結婚の約束をしておきながら、その女性とも約束しているんですか?」

「なんですって?」

隣の洋装の女性も驚き、目を見開く。


「どういうことなの、宗一郎!」

「説明してください、宗一郎様」

先ほどまでは敵同士のような関係だった女性二人が急に自分に歯向かう状況に、宗一郎はグッと傘を握る手に力を入れた。


「そもそも、お前が祠を壊させなかったのがいけないんだろ!」

意味のわからない言いがかりに水緒は唖然とした。


「お前が工事の奴らを止めて、そのあとずっと雨で、工事の奴らが竜神が怒っているとか意味のわからねぇこと言い出して逃げちまったから、隣街の金持ちに頼みに行く羽目になったんだろ!」

悪いのはお前じゃないかと八つ当たりをする宗一郎は、優しくしてくれていた姿とはまるで別人。


でもこちらがきっと本当の姿。

結婚前に気づいてよかった。

とてもではないが、こんな人とは結婚できない。


「なんですって? 隣街のお金持ちってもしかして私のお父様のこと? じゃ、お金目当てで私に求婚を?」

「お前たち二人ともパッとしないただの田舎娘だろ! むしろなんで俺と釣り合うと思ったんだよ」

「騙すなんてひどいじゃないのよ!」

「……最低だわ」

宗一郎の言葉に洋装の女性はバシバシと腕を叩き、水緒は呆れて溜息をついた。


「うるさい! 全部この祠が悪いんじゃねぇか!」

くっそ! とヤケになった宗一郎が祠を川の方へ思いっきり押しつける。


「やめて!」

水緒の手は間に合わず、古い祠の木は宗一郎の手でバキッと折れた。


御神体だけは!

水緒は手を伸ばし、竜の置物を掴む。

でもその後のことは何も考えていなかった。


『この祠を壊すとこの辺りは濁流に飲まれる』


今まで聞いたことがないゴオォと鳴る音と、地響き。

だが、そんなことよりも、川に落ちそうな自分。

水緒はギュッと御神体を握りしめた。


竜神様ごめんなさい。

祠を壊してごめんなさい。

守れなくてごめんなさい。

スローモーションのようにゆっくりと水緒は濁流の中へ。

最後に見たのは宗一郎の引き攣った顔と、洋装の女性の驚いた顔だった。


絶対に御神体は離さない。

上も下もわからない濁流の中、水緒は御神体を抱えた。


苦しい。

息ができない。

助けて!

誰か助けて!


激しい流れで身体が浮き沈みする。

押さえつけられるような水に恐怖を感じながらも、水緒にはどうすることもできなかった。


「……水緒」

御神体が光り、銀髪の着物の男性に変わる。


……竜神……様?

あぁ、銀色の長い髪はまるで川のようで、透き通るような青い目は空を写した川の色。

着物も違和感なく、この土地に馴染んでいたのはずっとこの街を守ってくださっていた方だから。


濁流の中、抱きしめられた水緒はグイッと引っ張られるような感覚に思わず目を閉じた。


急に入ってくる空気に思わず咽せる。

ゆっくりと目を開けると、目の前は今にも濁流に飲まれそうな我が家。

橋の向こう側の民家はメキメキと大きな音を立てて濁流に飲まれていく。

震えながら腰を抜かしている洋装の女性の横に、なぜか宗一郎の姿はなかった。


「……っ!」

このままでは家が流されてしまう。

お父様や街のみんなは無事だろうか?

流された民家に人はいなかっただろうか?


「なぜそんな顔をする?」

辺りを見渡す水緒の泣きそうな顔を竜神は不思議そうに覗き込んだ。


「……みんなが、街も無く」

いつもの穏やかな景色は一変し、茶色の濁流と凄まじい音が響く。


「祠がなくなったら、濁流に飲まれると教えたであろう?」

確かに教わった。

でも、教わったからといって、納得できるものでもない。


「……水緒の願いは?」

「え?」

「水緒の身と引き換えに願いを叶えよう」

透き通った青い目に見つめられた水緒は、目を逸らすことも息をすることも忘れて立ち尽くした。


身と引き換えに?

生贄ということだろうか?

まるでこの土地に竜ノ川ができた時のお話のようだ。


神子が祈りを捧げ、この土地に豊かな川を作ってほしいと願った。

竜神様は願いを叶え竜ノ川を作ってくれたが、その後、神子は竜神様のもとに召されたという伝説。

ただのおとぎ話だと思っていたけれど。


私の命でたくさんの人が助かるなら――。


「お願いします。もとの穏やかな川に」

「ではこの時を以て、水緒は私のモノだ」

眩しい水色の光の中、着物の男性の姿だった竜神は御神体と同じ竜の姿に。

大きく美しい竜が空に舞う光景に水緒は目を見開いた。


濁流がいつもの綺麗な色に。

枯れていたはずの堤防の桜の木は蘇り、薄ピンクの花をつけた。

濁流で土を被ったはずの土手にはシロツメクサやレンゲが咲き、子供の頃の風景が目の前に広がる。


「……奇跡だ」

「竜神様が助けてくださった」

空を見上げる者、手を合わせて拝む者、腰を抜かす者。

対岸の街の人々の反応に水緒は安堵する。


「キレイ……」

男性の髪と同じたてがみの、同じ青い目をしたこの地を守る竜神は、雨が止み、澄み渡った青空の中で美しく輝いていた。



「み、水緒……!」

「お父様! ご無事でよかった」

駆け寄る父と抱き合った水緒は、父に別れの言葉を告げた。


竜神様は願いを叶えてくれた。

この身と引き換えに。


「そんな、なぜ水緒が犠牲に」

今から竜神様に水緒を助けてくれるように頼むという父に水緒は首を横に振った。


「祠を守れなかったから」

「壊したのは宗一郎くんなのだろう? ……そういえば彼はどこへ?」

「そ、宗一郎は濁流に、」

自分だけ逃げたのかと怒りを露わにする水緒の父に、腰を抜かしたままの洋装の女性が震えながら教えてくれた。


水緒が御神体を抱えてすぐ、水に引き摺り込まれるように消えたと証言する女性。

まるで水が意志を持っているようだったと聞いた水緒と父は顔を見合わせた。


「水緒、約束通りお前をもらうぞ」

空の上から声が響く。


あぁ、このまま食べられるのかな。

でもみんなが助かったから後悔はない。

不思議なくらい落ち着いたまま水緒は目を閉じた。


「竜神様、お願いです! 水緒を見逃してください」

代わりに私の命を! と父が叫ぶ。


「ありがとう、お父様」

必死な父の姿に、水緒は自分が愛されていたことを実感した。


「神との約束を反故することは許さぬ」

着物の男性の姿になった竜神に、水緒はグイッと腰を引き寄せられる。


「水緒はもう私のモノ、私の妻だ」

「つ、つ、妻?」

生贄として食べられるのだと思っていた水緒は、竜神の言葉に目を見開いた。


「妻……ですか?」

川の底にでも引きずり込まれるのではないかと想像していた父も、「妻」の言葉に驚く。


「あぁ、清らかな心を持つ水緒でないと、私の妻は務まらぬ。幼い時から待ったのだ、ずっとこの時を」

水緒の頬に手を添え、透き通るような青い目を細める竜神に、水緒は真っ赤な顔になった。


「幼い頃……?」

「毎日会いに来てくれたであろう?」

祠の掃除をする祖母の横にいた着物の男性。


……今ならわかる。

あの時、横に立っていたのは銀色の長い髪の竜神様だ。

どうして忘れていたのだろう?


「ずっと一緒にいると、永遠に一緒だと幼い頃に約束したが覚えていないか?」

祠が綺麗なら川も綺麗に。

川が綺麗なら竜神の力も増え、水緒の前に姿を現すことができた。

だが、いつの頃か水緒は来なくなり、祠も汚れてしまったと竜神は悲しそうに目を伏せた。


「だが、水緒のおかげで再び会えた」

もう離さないと竜神は水緒に微笑む。


「婚礼衣装はいつ出来上がる? 最高の着物を準備すると言っていただろう?」

「最短でも、あと一年半はかかると」

「では二年ほどお前の屋敷に住もう。祠も無くなってしまった。桜が咲く季節に、嫁に行かせたかったのであろう?」

異論はないなと言われた父は信じられないと目を見開いた。


「竜神様を我が家にお迎えできるなんて。二年と言わず、この先もずっと……!」

「お父様、それはさすがに……」

古い我が家ではあまりにも失礼ではと止めようとした水緒の手を竜神はギュッと掴んだ。


「その方が寂しくないか?」

「え?」

「水緒が望むのなら、それでかまわないぞ」

ただし一部改装すると竜神に言われた父は「お好きなだけ改装してください」と快諾。


「祝言は二年後だが、水緒は願いを叶えた瞬間から俺のモノだ」

「えぇっ?」

「片時も離れるな」

「水緒をよろしくお願いします」

「ちょ、ちょっとお父様」

未婚の娘なのに、同じ部屋で過ごすことまで同意してしまった父に水緒は呆気にとられた。


……妻だと言っていた。

私が竜神様の妻!

今更ながらその重大さに心臓がバクバクする。


「水緒、愛している」

もう離さないと言われた水緒は真っ赤な顔になりながら甘い口づけを受け取った――。


下流で発見された宗一郎は詐欺師として逮捕された。


水緒と隣町の洋装の女性だけでなく、もっと上流の街の女性も、下流の街の女性とも結婚の約束をしていたことが判明。


街の再開発計画はもちろん白紙。

川の蛇行を変える工事も中止、よみがえった桜並木は植え替えの必要もなく、もちろん水緒の家を宿泊所に建て替えるという計画もすべて中止となった。



二年後、満開の桜並木を歩く新郎新婦は多くの街民に祝福された。


新郎は竜神。

美しい銀色の長髪に、川のような青い眼。

それなのに着物に違和感がない姿はさすがこの地をずっと守ってくれた神。

大洪水の時に街を救ってくださった竜ノ川の主の仮の姿だ。


新婦は代々、祠を守ってきた地主一族の娘。

幼い頃、祖母と祠の掃除をしていたことを年配者たちは知っている。

着物がよく似合う、凛とした姿勢の美しい娘だ。


「竜神様、街を救ってくださってありがとうございます」

「水緒の側にいたかっただけだ」

白無垢も良かったが、色打ち掛けもよく似合うと微笑む青い眼は優しい。


「……でも、我が家が神社になってしまったのはなぜなのでしょう?」

水緒は川の横に立つ我が家を見ながら首を傾げた。


普通の古い日本家屋だったはずなのに、家の前には鳥居ができている。

鳥居を寄贈したのは、隣街の洋装の女性の父。

娘が詐欺師と結婚しないですんだのは、竜神様のおかげだと寄贈されたそうだ。


たった二年しか経っていないのに、家を守るかのように木が生い茂り、空気が澄む不思議な空間に。


「一部改装すると伝えたはずだが?」

「あれは改装、というのでしょうか?」

たしかに雰囲気は変わっていない気もするが、日本家屋が神社に変わるなど誰が予測できただろうか。


父は神主に。

水緒の従兄弟が神主を継ぐことが決まっている。


竜穴だと言われた祠があった場所には新しい祠と石碑が置かれ、この街を救った竜神と水緒の物語が刻まれた。


二人は祝言のあと、人々の前に姿を見せることはなかった。

だが、輝く川と美しい桜並木を毎年楽しむたびに、街の人々は竜神様と水緒が仲良く過ごしているおかげだと、神社に感謝を述べに訪れた。

神社はいつの間にか「水緒神社」と呼ばれるように。


「……自分の名前の神社だなんて、なんだか恥ずかしい」

「水緒神社は竜ノ川のほとりから移してはならぬと神主に告げておこう」

こうやって先祖代々伝わっていくのかと水緒はクスクス笑った。


「水緒、永遠に我とともに」

「はい。竜神様」

いつまでも二人で――。


そして今年も見事な桜が咲き乱れる。

川と神社と桜と石碑。境内にはなぜか桃の木まで。

遠くには山がそびえたち、空は綺麗な青空が広がる。

この先もずっと二人の仲が良い限り――。


END

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