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その一


「梢、起きて。梢」

ささやく声が聞こえ、梢がゆっくりと瞼を開くと、目の前にはこちらを微笑む笑理の顔があった。

「おはよう」

「おはよう、笑理」

十月も中旬に入り、笑理との同棲が始まり、約二週間が経過している。ワンルームマンションを引き払い、最低限の荷物だけで笑理のマンションへ来たので、引っ越しは案外楽に終わった。

笑理はシングルベッドを処分し、模様替えをしたうえでダブルベッドを用意してくれた。真新しいフカフカのベッドは寝心地が良く、また笑理が隣で一緒に寝てくれて、梢にとっては安眠できる環境が整っている。

「よく眠れた?」

「うん」

「可愛い寝顔だった」

「あんまり見ないで、恥ずかしいから」

梢は照れて布団で顔を隠した。

「隠さないで」

「嫌だ」

と、二人は朝からイチャつくように戯れていた。お互いの顔が至近距離になると、笑理の方からキスをし、梢はそれを受け入れている。

「朝ごはんにしよう、行こ」

笑理に引っ張られながら、梢はダイニングへ向かい、朝食の支度をした。日曜日なだけに、ゆっくりとのんびりできる朝である。

「あのさ、梢。十年前の卒業式の日、キスさせてくれてありがとう」

朝食を食べ始めてすぐ突然言われ、梢は思わずトーストを喉に詰まらせてしまった。

「急にどうしたの?」

「ちょっと、気になっちゃってね。何せ梢からしたらファーストキスだったわけだし」

「憧れの先輩からのキスだったから、むしろラッキーでしょ。私は、あれがファーストキスで良かったって思ってる。あの時から、私はずっと笑理のこと忘れられなかったのは本当のことだし」

梢の脳裏に、再び十年前の卒業式の日の光景が蘇る。あのキスが全ての始まりで、今こうして再会を経て交際をし、同棲までできていることが梢にとっては夢のように幸せな出来事であった。

「ねえ、高梨部長には、どうやって報告しようか?」

梢はまだ、上司である高梨に笑理との同棲はおろか、交際の報告をしていなかったことが気がかりになっていた。

「私からタイミングを見て話すよ。告白したのも、同棲しようって誘ったのも私なんだから。任せといて」

笑理は冷静に答えた。

「反対されないかな?」

「同性パートナシップ制度だってこれから増えていくんだもん。反対される理由なんてないでしょ」

「作家と編集者でも?」

「恋愛は自由でしょ。私たち、一種の職場恋愛なんだから」

職場恋愛という言葉が、梢には嬉しいキーワードに感じていた。



その二


日曜日の午前は長閑なひと時で、梢は笑理の膝枕に頭を乗せて、ソファーで一緒にテレビを見ていた。笑理がチャンネルを変えると、ワイドショーが放送されており、そこには久子がコメンテーターとして出演をしていた。

「また出てるよ、西園寺久子」

笑理が舌打ちをして、不機嫌な顔になった。

テレビに映る久子は、相変わらず歯に衣着せぬ辛口コメントで、政治家の批判をしている。

「この女、政治家にでもなるのかな。そもそも、テレビ出すぎ」

「笑理、本当に西園寺先生のことが嫌いなんだね」

苦笑して梢が言うと、笑理はムッとして、

「大嫌い。梢だって苦手でしょ?」

「まあ、仕事の時も結構緊張するしね。苦手っちゃ苦手かな。友達にはなれないタイプ」

「じゃあ、私のことは?」

笑理が覗き込むように聞いてきた。

「言わなきゃ、ダメ?」

梢は照れながら呟いた。

「言って」

「……大好きだよ」

「よく言えました」

頭を撫でられ、笑理の顔が近づいてきたので、梢はそのまま笑理と唇を重ねた。

すると笑理は思い立ったように、

「ねえ、今日お昼、どっかランチ行こうか? 買い物もしたいし」

「良いよ」

「パジャマ見たくてさ」

「パジャマ?」

「梢とお揃いのやつ。それ着て今日から寝ようよ」

梢は嬉しくなって体を起こすと大きく頷いて、笑理に抱き着いた。


同棲してから初めてのお出かけは梢にとって楽しい時間で、笑理の手をしっかりと握り街へと赴いた。

笑理が襟付きの白シャツにネクタイとデニムジーンズというボーイッシュなコーデに対し、梢は水色のオフショルトップスに白のスカートである。もちろん二人とも、初デートの時に笑理が購入したお揃いのブレスレットもつけている。

ランチのハンバーグを食べた後、二人は近くの交差点でちょっとした人だかりができていることに気が付いた。

「あれって……」

二人の視線の先には、通行人たちと握手や写真撮影をしている久子の姿だった。

笑理は不機嫌そうに腕を組むと、

「もう、すっかり有名人気取りだね」

「あ……高梨部長」

一方の梢は、久子のすぐ後ろに高梨がいることに気が付いた。

「梢、行こう」

笑理に手を引っ張られ、梢はその場を去らざるを得なかった。

「私たちのことは、まだ高梨部長には言ってないんだもん。あのままあそこにいたら、面倒なことになるところだった」

「そうだね……」

笑理の言うことは一理あったが、それよりも梢は、日曜日に何故久子と高梨が一緒に出かけていたのかが気になっていた。



その三


梢に発熱の症状が出始めたのは、外出をした日の晩のことだった。

購入したばかりの、全身リボンの模様をあしらった水色のパジャマを着た梢は、熱さまシートを額に貼ってベッドに休んでおり、同じ柄の色違いでピンク色のパジャマを着た笑理が、付きっ切りで看病をしている。

「三十八度か……」

梢は体温計を見て、小さく呟いた。

「外で風邪菌でももらったかな。やっぱり、西園寺久子と遭遇したのが悪かったかな」

眉間に皺を寄せた笑理がぼやく。

「そうかもしれないね」

「おかゆ作るから、ちょっと待っててね」

「ありがと」

しばらくして、梅干しを乗せたおかゆを笑理が運んできた。笑理に介助をしてもらいながら、梢はゆっくりと体を起こした。

「食べさせてあげるね。はい、あーんして」

と、笑理から促され、梢はおかゆを口にした。梅干しの酸味と、おかゆの塩分が良いバランスを保っている。

「美味しい?」

「うん。笑理って、本当に料理上手だね。どこで覚えたの?」

「家庭環境かな。うち、母子家庭でね。母親がずっと働きに出てたから、家にいる間、お姉ちゃんと一緒にご飯作ったりして。自炊しなきゃいけない状態がずっと続いてたの」

これまで笑理の家庭のことを聞いていなかった梢は、少し驚いた。

「そっか。でも、そういう環境の中で育っても、笑理が小説家として活動してるのを見たら、お母さんだって嬉しいんじゃないかな」

笑理はそのまま黙り込んでしまった。

「どうしたの?」

「……もっと喜ばせてあげたいんだけど、もう無理なの」

「何で?」

「二年前に、癌で亡くなったの。今年の冬で、ちょうど三回忌」

「ごめん……」

梢は小さくうつむいた。

「気にしないで。私も言ってなかったもんね、お母さんのこと」

「お姉さんは、今どうしてるの?」

「母方の実家、岐阜で温泉旅館やっててね。お母さんは旅館を継ぐのが嫌で家を出たけど、お姉ちゃんは後を継ぎたいからって、今おばあちゃんと一緒に旅館経営頑張ってるの」

「じゃあ、いずれは旅館を舞台にした小説を書くのも良いかもね。お姉さんをモデルにして」

熱がありながらも仕事のことを考えてしまう自分は、やはり編集者なんだということを、梢は改めて実感していた。

「そしたら、みんな喜ぶかもね」

苦笑しながらも笑理は頷いた。

「今日、私はソファーで寝るから。梢は、ゆっくりと休んでね」

「ごめんね。お揃いのパジャマで、一緒に寝れなくて」

梢はじっと笑理を見つめ、優しく頭を撫でられた。



その四


梢が眠ったことを確認した笑理は、その夜リビングのソファーで横になった。梢に尋ねられて話してしまった家族との出来事が、笑理の脳裏をよぎっている。

物心ついた頃から、笑理や姉は両親の口論を耳にしていた。姉妹で同じ部屋を使っており、夜になるとほぼ毎日、階下から両親の声が聞こえ、口論があまりにも酷いときは姉が笑理の耳を塞いでくれた。

小学三年生の時に両親が離婚。笑理と姉は母親に引き取られ、この離婚に伴って小学校も隣町へ転校することに。

「この本、面白いから読んでごらん」

と、ある日たまたま姉に勧めてもらったのが、笑理にとって小説との出会いだった。以後、笑理はすっかり文学少女となり、小学校でも図書室で本をよく借りたほか、中学校や高校では図書委員を務めた。

母は二人の娘を育てるためにパートを掛け持ちし、三人で暮らすアパートにも寝に帰ってくるだけがほとんどだった。そのため笑理には、これといった家族の思い出がなかったのである。この環境下で、夕飯の支度をする姉の手伝いをしていくうちに笑理は料理を覚えた。姉が母方の実家の旅館を手伝うために高校卒業後に家を去った後は、母との二人暮らし。

だが長年の心労が重なり、笑理が高校進学後まもなくから体調を崩し、寝込む日々が続くことになる。笑理は昼食の弁当の支度を始め、掃除や洗濯など家事全般を母の代わりに行った。俗に言うヤングケアラーである。現実逃避をしたいときは小説を読むか、夢中になっていたテニス部での活動に没頭していた。

男子生徒から何度も告白をされたが、家庭の事情のこともあり、受け入れることは一度もなかった。また、家庭のことは同級生にも部活の部員たちにも決して公表することはなく、村田家の事情を把握していたのは担任ぐらいである。

大学に進学後、在学中に小説家デビューが決まった際には、母は自分事のように喜んでくれて、これからは母を喜ばせるために小説を書こうと決めたほどだ。母の静養のために空気の良い都心から離れたマンションに引っ越したが、今から三年前の春、母は膵臓癌が見つかり、余命半年と宣告。母の生命力もあってか、宣告された半年よりも二ヶ月長く生き続けた。

母は容態急変後にすぐに息を引き取り、祖母や姉が病院に駆けつけたが間に合わず、結果的として笑理一人が母を見送った。

「ごめんね……」

朦朧とする意識の中で母が呟いた最期の言葉が、今でも笑理の記憶にはっきりと残っている。



その五


二日の静養を経て、梢は職場に復帰した。早々に梢は、高梨から個別で呼び出されたのだが、内心は穏やかではない。日曜日に笑理と出かけていたところを、もしかしたら気づかれたのではと思っていたからである。

「え、本当ですか?」

「ああ、先週配給会社のほうから連絡があって、上層部で正式なGOサインを出してから連絡しようと思ってね」

高梨から伝えられたのは、梢の担当でもある久子の小説を原作にした映画化企画の話であった。梢はふと、日曜日に高梨と久子が街で会っていたのは、この件のことだったのかと合点がいった。

「山辺君には西園寺先生の担当編集者として、配給会社との調整役をお願いしたい。今やメディア出演が著しくなった西園寺先生の作品が映画化になるんだ。これは、『ひかり書房』においても重要なプロジェクトだと思ってる」

「分かりました。ぜひ、やらせていただきます」

「ありがとう。俺も後方支援に回るから、何かあったらいつでも相談してくれ。元々癖の強い西園寺先生だ、映画化となれば、またどれだけ天狗になるか分からんからな」

高梨は苦笑して呟いた。確かに久子の動向は見当がつかず、梢もひやひやすることが多々あったため、今回もどんなことになるのか少し不安な気持ちであった。


その夜、梢が帰宅すると、エプロン姿の笑理が迎えてくれた。

「おかえり、梢」

「ただいま」

今や帰宅時のハグは、二人の恒例となっている。

「今日のご飯は何?」

「秋っぽくしようと思って、栗ご飯にした」

「すごい! 楽しみ」

料理上手な笑理の夕飯が、梢にとっては同棲が始めってからの楽しみとなっていた。笑理には執筆活動に専念してほしいと思いながらも、梢は時期によっては残業になることもあったため、家事の手伝いがあまりできないことを内心申し訳ないと感じていた。

だが笑理は気にしていない様子で、梢のおかげで自分は執筆活動ができているとむしろお礼を言われたほどだ。数日前に聞いた笑理の家族の話を聞いてからというもの、梢は自分が笑理の一番近い存在になりたいと思っていた。

深夜になり、ようやく色違いの同じパジャマを着た笑理と一緒に眠ることができた梢は、ベッドで体を密着させながら、思いの丈をぶつけた。

すると笑理は一言、

「もうなってるよ、梢は」

と、耳元でささやいた。ホッとした梢は、嬉しさのあまり自ら笑理に顔を近づけて唇を奪い、笑い合った。病気明け最初の夜は、最高に幸せなひと時であった。

私と先輩のキス日和

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