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「じゃあ夏目くん、もう怪我しないようにね」
看護師は目線を合わせて言う。
あれから1ヶ月が経ち、俺は退院の許可が降りた。
梅雨が裏山へ行った日から、屋上は立ち入り禁止になった。
いぜん梅雨の行方はわからぬまま。
「あ、あの」
思わず看護師に声をかけてしまった。
「ん?どうしたの?」
「この病院に梅雨って女入院してます?」
「え…?梅雨…?居ないわよ?」
「あ…そうですか。どうもっす。」
梅雨は偽名だったのか。
退院手続きを終え、病院を後にする。
「夏目さん、退院おめでとうございます」
「どもっす」
笑顔を繕い、薄い淡白な言葉を並べる。
人間とはこういうものだ。
しかし、梅雨は違った。
梅雨の言葉は深く、どこか不穏で、鮮明で、上っ面だけではなかった。
嘘をつくのも上手かったし、話をするのも上手かった。
もう会えないとなると、なんとも言えない感情が込み上げる。
「あぁ…せめて本名だけでも聞きたかったな」
自動ドアをくぐり、外へ出る。
もう7月の初め。
長かった梅雨も明け、清々しい晴天と、蝉の耳障りな鳴き声が響く。
その時、俺は見た。
混み合った待合席の中に立つ、1人の少女。
1人だけ気が違う。
力強く、凛々しい気だ。
あれは確かに…
「梅雨!」
そう叫ぶと、こちらをくるりと振り返った。
梅雨からは雨と土の匂いがした。
梅雨は口をぱくぱくさせる。
「“あ”“り”“が”“と”“う”…?」
梅雨はにこりと微笑むと、遠くへ歩いて行った。
梅雨の目は白く透明だが、濁っていた。
前のような力強い目ではない。
悲しい、気のない目だった。