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灯りの消えた部屋の中で、俺は天井を眺めていた。
物心付いた赤ちゃんの時からずっと見ている天井……とは少し違う。
家は去年建ったばかりだから。
とはいえ、1年以上見ている天井だ。
見慣れているに決まっている。
それだけじゃない。
今寝ている布団の感覚と、その下にある畳の感覚だって良く分かる。
何も変わらない。いつも通りだ。いつも通りのはずなのだ。
いつも通りじゃないのは、隣からニーナちゃんの呼吸する音が聞こえることだ。
「…………」
寝てはいない……と、思う。
時々、ヒナが俺の布団に潜りに来ることがあるから分かるが、寝ている時はもっと呼吸の音が緩やかになる。ニーナちゃんの息の感覚はそれより早いのだ。だからきっと起きてる。
なんて、そんなことを考えてから俺は目をぎゅっと瞑つむった。
いや、こういうの冷静に考えてるのキモいな……。
強く目を瞑ったまま、俺は深く息を吐き出す。
吐き出してから寝ようと思ったのに、目は冴えるばかりで眠気はこない。
来るはずもない。当たり前だ。緊張してるんだから。
友達とお泊りをするというのは、俺にとってニーナちゃんが初めての経験なのだ。
でもお泊りといっても、今まではお泊りという感じはしなかった。
だってニーナちゃんは客室で寝ているし、起きている時だけ顔を合わせるからお泊りというよりもウチに遊びに来ているといった雰囲気の方が強かったのだ。
だが、流石に同じ部屋で寝るとなると話は別。
こんなことになるなんて聞いていないし、予想もしてなかった。
だから俺はとても緊張しているのだ。
「…………」
さっき『寝るよ』と言ってから灯りを消したので、ニーナちゃんは無言。
俺も自分で『寝る』と言った手前、喋りかけるのも気が引ける。
だから、互いに無言。
……気まずい。
沈黙が気まずすぎる。
ニーナちゃんとは2年続けて同じクラスだし、魔法の練習に付き合ってもらってるし、放課後に家に遊びに行くような仲だ。だが、だからといって同じ部屋に布団を並べて寝ている状態で沈黙を保たれるとどうすれば良いのか、さっぱり分からない。
だって現世は当然として、前世でもこんな経験をしたことは無いのだ。
誰か正解を教えてほしい。
なんて、俺が困っているとニーナちゃんが静かに口を開いた。
「ありがとう、イツキ」
「うん……? 何のこと?」
急に感謝を告げられても、俺には何のことかさっぱり分からない。
でも沈黙が破れたことが何よりも嬉しくて、思わず食い気味に返す。
「昼間のこと。あと観覧車から助けてくれたこと。まだ、お礼を言ってなかったと思って」
「……どういたしまして、なのかな? でも、あれも仕事だから」
「助けてくれたんだから、素直に受け取ってよ」
「……うん。どういたしまして」
謙遜けんそんしようとしたらニーナちゃんにちょっと責められてしまった。
「それに、劇団員アクターの後のモンスターも祓ってくれた」
「……うん。祓ったね」
ニーナちゃんが言っているのは劇団員アクターが消えた後に出てきた2体のモンスターのことだろう。
劇団員アクターが友達と言っていたくらいだから強いモンスターだと警戒していたのだが、そんなことは無かった。多分、強さ的には第二階位といったところか。
もちろん、モンスターはどんな相手だろうと油断は禁物だから気を緩めるわけにもいかないのだが。
「ねぇ、イツキ」
「うん?」
「……どうして私がこの部屋に来たとか聞かないの?」
「……ん」
なんて返そう……?
まさかニーナちゃんからその話が飛んでくるとは思っていなかった俺は固まった。
というか、それはそもそも聞いて良い話なんだろうか。
今まで別の部屋で寝ていたのに急に同じ部屋で一緒に寝たいと言い出すなら、多分それなりの理由があるとは思うんだけど、それって触れづらいセンシティブな話題だったりしないのか。
いや、本人が聞いても良いかどうかを迷ってるなら聞いても良いのかな……?
と、そこまで考えたところで俺は考えを改めた。
そもそも、聞いて良いかどうかを聞けば良いのだ。
「それって、僕が聞いても良い話なの?」
「うん。私がイツキに話しておきたいと思ったから」
そして、ニーナちゃんはそのまま続けた。
「あのね、時々だけど。本当に時々だけど……1人で眠れないって時があるの」
「……?」
「えっとね、説明が難しいんだけど。寝る前とか、お風呂に入ってる時とかに、気がつくの。今日はダメな日だって」
「どうして、そうなるの?」
「……わかんない。ママに聞いたら、昔のことが関係してるかもって言ってたけど。でも、詳しく教えてくれないの」
少しだけ拗すねたような口調で答えるニーナちゃん。
昔のこと。
昔のことってなんだろうか、と考えていれば思い当たった。
ニーナちゃんは、一部の記憶が封印されている。
目の前で父親が殺され、心が壊れたニーナちゃんを助けるためにイレーナさんがその記憶を封じたのだ。
それが関係しているんだろうか。
「1人で寝たら……凄い悪い夢を見るの。ちゃんと覚えてないんだけど目が覚めると、すごく胸が痛くて、苦しくて、泣きそうになるの」
……関係してそうだ。
でも、ニーナちゃんは記憶が消えたことを知らないはずだ。
イレーナさんは『記憶を封印したことは話していない』と言っていたから。
だから俺はなるべくそのことに振れないように、話題をズラすことにした。
「イレーナさんがいるときは良いと思うけど、いなかったらどうしているの?」
「……ぬいぐるみ」
「え?」
「ぬいぐるみと一緒に寝てる……」
ぼそっとニーナちゃんの語ったことが意外すぎて、思わず俺は聞き返してしまった。
いや、確かにニーナちゃんは小学2年生。
ぬいぐるみと一緒に寝ていても何もおかしく無いが、だとしても意外だった。
ニーナちゃんって勝ち気だし、自信家だし、強くあろうとしているし、そういうのとは縁が無いのかと勝手に思っていた。
「ダメなの?」
「う、ううん。別に……。うちにはぬいぐるみ無いなって思って」
「そう。だから、イツキの部屋に来たの」
何が『だから』なんだろうか。
さっぱり分からないが、それでも誰かに頼られるのは嬉しいものだ。
「そっか。じゃあ、良い夢見れたら良いね」
「……うん。ありがと」
俺はニーナちゃんにそう言った。
それは本心だった。
悪夢なんて見ないに限る。
「……ね、イツキ」
「うん?」
「手、握っていい?」
「良いよ」
俺は布団からそっと手を伸ばした。
ニーナちゃんがそれを握り返した。
もし、こんなことでニーナちゃんが悪い夢を見なくなるのなら、俺が断る理由なんてどこにも無かった。