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#文豪
アオ
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鈴 嶺
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「おい」
いきなり声をかけられて、沙雨は再度恐怖に襲われた。男は冷徹な声色のまま続ける。
「家の連絡先を教えろ。身代金を要求する」
さて、困ったものだと少女は思考を巡らせる。
淑やかで端正な和装を見て、金持ちのお嬢様に違いないと踏んで少女を連れ去った誘拐犯達だが、その思惑とは裏腹に、彼女には親も親戚もいないのだ。
長考の末、遠い昔からずっと独りの少女が口にしたのは。
「申し訳ありません。わたくしに連絡先を尋ねるのは、夜空の星に名を尋ねるようなものでございます。お教えしたくとも、わたくし自身、どこへ手紙を送ればよいのか存じ上げないのです」
常に本当のお嬢様さながらの振る舞いをする彼女は、男の質問を、自身が得意とする優雅な言葉遣いにより見事に躱してみせた。
目隠しの向こうから、何を言っているのか分からないという男達の動揺が伝わってきた。
「その朝に目覚めた場所を我が家と呼んでも良いですね。でしたら明日の朝、わたくし達が何処に居るかで、我が家は決まります」
追い打ちをかけるように言う。
「おい。巫山戯るのはそこまでにしておけ」
我慢ならなくなり、リーダーと思われる男が苛立ちを含む声で静かに言った。
「お前は人質なんだ。わかっているのか?」
「ええ。存じております」
「命が大事なら大人しくしていろ」
沙雨の挑発に心を乱す様子もなく、沈着な態度を保ったまま話している。
しかし、暗闇に沈む車内で姿勢を崩すこともせず、その何とも言えない可憐さを全身からほんのりと放ち続ける乙女子もまた、動じることはなかった。
「命など惜しくありません。親族も、大切な人もおりませんので、脅そうとしても無駄ですよ」
それは彼女にとって、切なくやるせない事実なのだ。”普通”の人には理解し難い、孤独を強いられる辛さと、百年余り付き合ってきたその娘は、しかし彼女にしかない強さを持っていた。
男達がどうしたものかと話し合いを始めた頃。
――静かになってきましたね
天の怒りの如く降り注いでいた大粒の雨が、満足したように弱々しくなっていく。
沙雨は思わず笑みをこぼした。勝った、とでも言いたげな、彼女らしくない不敵な笑顔だ。
「とりあえず名前を―」
その場にいた者は、全員凍りつく。そして次の瞬間、車内は驚天動地の大騒ぎになった。真夜中の道路を走る黒い陰が蛇行する。
驚愕のあまり互いに怒鳴り、その様子はさながら嵐中の小舟のようだ。
それもそのはず、車内から少女の姿が消えたのだから。
彼女が座っていた場所には、着けていたはずの目隠しと縄だけが静かに存在している。
まるで少女だけがすっと空気に溶けてしまったかのように。
雨が止んだ。それ即ち、淑女の消失である。
男達の絶叫は、闇の中を絶えず走る陰が朝輝を浴びるまで続くことになるが、最早沙雨には関係のないことだ。
少女は、天に救われた。