雨音が、村の屋根を細かく叩いていた。薪の炎がくすぶり、湿気を含んだ空気の中で、ふたりは同じ部屋にいた。
勇者が神官の肩に手を伸ばす。
ほんの指先ひとつ分の距離にいるのに、その手が震えて止まる。
勇者はゆっくりと首を振った。
「……だめだ。……触れたら、また……お前を……」
「もう呪いは解けたよ。きみの手は、ぼくを壊さない」
「けど、壊したんだ。あの時……お前の顔が崩れていくのを、見たんだ。
俺のこの手で……お前を殺した」
声が低く、震えていた。
自分を抑え込むように、唇をかみしめ、握った拳がわずかに震える。
神官は一歩、勇者に近づいた。
静かに、でも確かに、勇者の膝に手を乗せる。
そして、潤んだ目で見上げるように囁いた。
「だったら、もう一度……ぼくにきみの手で、触れて。
きみの“いま”で、ぼくに触れてよ」
勇者の目が揺れる。
神官は、手を滑らせて勇者の胸元に触れた。
その指先は熱く、呼吸が浅くなっているのがわかる。
「ぼくは、きみの手に触れられたい。壊されてもいいって、本当に思ってた。
でも……こうしてまだ生きてる。だから……今度は、ちゃんと、ぼくを抱いてほしい」
次の瞬間、神官は、勇者の首筋に唇を寄せた。
その吐息は熱く、震えていた。
勇者は目を閉じ、拳を固く握る。
「……そんな顔、するな……お前の声が、頭から離れないのに……」
「だったら……ぼくの声で、きみの中を書き換えてあげる」
神官の指が、勇者の腰に触れる。
布越しのぬくもりに、勇者の身体がぴくりと揺れた。
「……おい、やめ……」
「やめないよ……だって、ぼく、きみが触れてくれるの、ずっと待ってたんだ……っ」
声がかすれ、息が漏れる。
神官の吐息が熱を帯び、勇者の肌に伝わるたびに、
記憶の中の“罪”と、“今ここにいる欲望”が、ぐちゃぐちゃに溶けていく。
「もっと……きみに、触れて欲しい……の……」
息が乱れて、耳元で吐息が跳ねる。
喘ぐように声を震わせる神官に、勇者の理性が、少しずつ崩れていく――
神官の声が喉を震わせ、熱を帯びた吐息が勇者の耳元に落ちる。
勇者の腕が、迷うように、怯えるように、神官の背にまわされた。
触れた。
崩れない。
息を吸い込む。
恐怖と、安心と、どうしようもない愛しさが、いっぺんに押し寄せた。
神官は、そっと目を閉じてその腕に身を預けた。
触れられるたび、身体が火照って、肌が熱に溶けていく。
それでも、怖くなかった。
「きみの手で、ちゃんと……ぼくを、抱いて……」
呟いたその声は、震えながらも確かで、
勇者の心の一番深い場所に、刃のように刺さった。
布がずれて、肌と肌が重なる。
声が漏れるたびに、勇者の手が震えた。
それは欲望のせいじゃない。
“壊してしまうかもしれない”という、長く続いた呪いの残像。
けれど、神官は壊れなかった。
熱を持ったまま、勇者に身を委ねていた。
「はぁ……っ、……きみが、触れてくれるの……ほんとに……うれしい……っ」
名を呼ばれるたびに、勇者の罪が一枚ずつ剥がれていく。
赦されないままで、それでも、触れ合うことが許されているという事実だけが、今はすべてだった。
夜は静かに、更けていく。
二人の影は、交わって、揺れて、何度も重なった。
外の雨音すら聞こえなくなるほど、ただ息と声が空間を満たしていった。
やがて、声は小さくなり、触れる手は柔らかくなる。
熱が落ち着き、呼吸が静かに重なり合う。
⸻
勇者は、神官の背に腕をまわしたまま、そっと囁いた。
「……本当に、壊さなかった……」
「うん。……もう、きみの手は、だいじょうぶだよ」
「でも、まだ怖い。……次に触れたらまた、お前を……」
「だったら、怖がりながらでも、ちゃんと触れて。
ぼくは、きみに触れてほしいから」
言葉よりも、指先の体温が心を癒していく。
それは償いでも、赦しでもない。
“ただふたりで、生きていこう”と願う、あたたかい夜の約束。
窓の外、雨がやみかけていた。
遠く、雲の隙間から小さな星が、ひとつだけ、光っていた。
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