枕元に差し込む光が、薄いカーテン越しにやわらかく揺れていた。
目蓋を開いた瞬間、晴明は息を詰めた。
――ここは……どこだろう?
天井も、家具も、見慣れているようでどこか遠い。
自分の生活の場であるはずなのに、胸の奥がざわつくばかりだった。
ゆっくりと起き上がり、周囲を見渡す。
落ち着いた色の棚。クローゼットにはセーラーと、適当な服が数枚。
それらは“日常の一部”に見えるのに、まるで自分とは関係のない誰かの部屋のようにも感じられた。
心臓がひとつ強く跳ねる。
――僕は、誰?
昨日、何をしていた?
誰と話した?
どんな生活を送っていた?
どれも、掴もうとするほど霧に溶けて消えてしまう。
ふと、机の上に置かれた一通の手紙が目に入った。
――自分へ。
胸がざわめく。
震える手で、紙を開いた。
***
目が覚めた時、たぶん君は混乱していると思う。
胸の奥がざわついて、世界から取り残されたみたいに感じているはずだろう。
でも、大丈夫。落ち着いて。
ちゃんと説明するから。
まず最初に驚かせてしまってごめん。
君は――僕は、前向性健忘という病気に掛かってしまったんだ。
寝ると、その日あった出来事、以前までの記憶が全て消えてしまうんだ。
でも、怖がらないで。
君の名前は安倍 晴明(はるあき)。
周りには君を大切に思ってくれる人がいる。
だけど、今の君には思い出せないだろう。
それとね、ひとつ、お願いがあるんだ。
このことは、誰にも言わないでほしい。
心配させたくない。
大切な人が悲しむ顔を見たくない。
それが、僕のただ一つの願いなんだ。
そのために…
毎日、寝る前に日記を書いてほしい。
今日あったこと
誰に会ったか
どんな話をしたか
何を感じたか
明日の予定
なんでもいい。全部。
そして、それを読んで“思い出したふり”をしてほしい。
自然に笑って、自然に返事をして、自然にそこにいた人間として振る舞うために。
無理を言っているのは分かっている。
本当は誰かを頼っても良かった。
だけど――僕は、それでも周りの人たちを守りたかった。
笑ってほしい人がいるから。
だから、どうか。
演じて、そして隠して欲しい。
その代わり、ひとりになった時だけは弱くていい。
苦しくなったら、この手紙に戻ってきて。
何度でも読めるように残しておいたんだ。
未来の君が、どうか無事でありますように。
晴明より
***
読み終えた瞬間、胸の奥から震えが上がった。
知らない自分が書いた言葉なのに、どこか切実で、痛いほど優しくて、胸にじわりと染みこむ。
そしてふいに――手紙の一節が引っ掛かった。
「毎日、寝る前に日記を書いてほしい」
晴明はゆっくりと視線を机へ向けた。
机の引き出しに手を掛け、それを開ける。
そこには、一冊の黒い日記帳が入っていた。
まるでずっとそこにあるのが当然だったかのように。
指先で表紙を撫で、そっと開く。
ページには、すでに何日分もの文字が並んでいた。
丁寧で、読みやすくて、けれどどこか必死で。
一行一行が、忘れないようにと爪を立てるみたいに刻まれている。
晴明「……これ……僕が……?」
自分の字なのかさえ分からない。
でも、書いたのは“自分”だ。
そう思わされるほど、そこには“連続した誰かの日常”が存在していた。
ページをめくるたび、胸が絞られる。
昨日の自分が、必死に今日の自分へメッセージを残していた。
震える息を吐き、晴明は日記帳を胸に抱えた。
今日から、自分も続けなければならない。
忘れてしまう未来の自分へ、つなぐために。
誰にも悟られずに生活するために。
コメント
3件
えっ待って最高大好き。 やっぱ天才だよね?あおちゃん。 奇病ってやつかい…??? 初っ端からのシリアス展開私大好きだよ????愛してる。奇病系うちも書こっかな( ᐛ✌︎)ピアノから戻ってきたら新作出されてて発狂しかけたよアタス。愛してるお😘😘😘😘😘😘😘😘😘😘😘😘😘😘😘😘😘😘😘
え、ちょ、好き腕と脳みそ食べます
え、最高すぎなんだけど好きですこれほんとに