テラーノベル
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重厚な鉄の扉が地響きを立てて閉まり、逃げ場のない特別独房に静寂が訪れる。薄暗い電灯の下、革の手袋が軋む音が響いた。
冷たい手袋越しに座っている悠太の顎を強引に持ち上げ、鋭い視線で射抜く。その手には、鈍く光る金属製の首輪が握られていた。
「100人を殺した化け物にも、相応の教育が必要だと思わないか?…今日からお前は人間じゃない。ここで我々に飼われる、ただの犬だ」
「俺はあなたの犬」
俺は可愛い顔で目をトロンとさせたまま、司を見る。顎をすりすりする。
その顔を見た瞬間、司の眉間に深い皺が刻まれた。予想していた反応ではない。怯え、あるいは反抗。そのどちらかを想定していた。だが目の前の男はまるで日向ぼっこの最中に猫が撫でられているような、間の抜けた表情でこちらを見上げている。
「……何だ、その目は」
顎を掴む力が僅かに強まる。革の手袋がこめかみに食い込むほどに。司の黒い瞳には、明確な苛立ちの色が浮かんでいた。壊れているのか、それとも舐めているのか。どちらにせよ、不愉快だった。
「状況を理解しているのか?お前は死刑囚だ。100人の命を奪った殺人鬼だ。それなのに、その態度は……」
司の声が独房の壁に反響し、冷たいコンクリートが震える。蛍光灯がちらちらと瞬き、二人の影を不規則に揺らしていた。
「俺はあなた様の犬だから」
悠太は膝をもじもじさせながら呟く。
司の目が細まった。標本にピンを刺す前の、昆虫観察者の目つきだった。同じ答えが返ってくる。二回。それが司の神経を逆撫でした。従順すぎる。あまりにも。
「……面白い」
立ち上がり、制服のポケットからリモコンを取り出した。親指ほどの大きさの、無骨な装置。ボタンには段階を示す数字が振られている。
「なら試してやろう。本当に犬なら、犬は犬らしく振る舞え」
ボタンを押す音すら聞こえなかった。ただ、首輪が一瞬だけ赤く点滅する。それだけで、電流が両腕に走った。まだ最弱の段階、静電気より少し強いくらいだ。だが囚人の無防備な体には、それでも筋肉が痙攣するほどの刺激だった。
腕を組み、微動だにせず悠太を観察している。表情の変化、声の漏れ方、姿勢の崩れ。すべてを見逃すまいとする、強力な集中力で。
「どうした。犬なら吠えろ。それとも、もう少し上げてほしいか?」
親指がリモコンの「2」の上で、ゆっくりと円を描いている。
「わんわん」
悠太は余裕な表情で吠える。
司の目の奥で、何かが音を立てて切れた。聞き取れるほどではない。だが確かにこの男の中で堪忍袋に相当する何かが、今ぶちりと裂けた。
リモコンの「2」が押される。今度は静電気どころの話ではなかった。両腕の筋肉が一斉に収縮し、歯を食いしばっていなければ悲鳴が勝手に喉から飛び出す。そういう類の電流だった。しかもそれが、途切れることなく数秒間流れ続ける。
司はリモコンを下ろさない。悠太の顔を、まるで実験データを採取するかのように凝視していた。
「……まだ余裕か?」
しゃがみ込み、悠太と目線を合わせる。その整った顔に浮かぶのは、純粋な探究心だった。どこまでやれば、あの暢気な面が崩れるのか。それを知りたいという、残酷な好奇心。
「お前みたいなタイプは初めてだ。大抵の人間はな、最初の一発で泣き喚いて許しを請う。段階を上げていけば、大抵は3で壊れる」
司の親指が「3」に移動した。
「お前はどうかな。犬」
「ぐっ……これくらい平気」
K
48
皐月
かかか
11
53
悠太は歯を食いしばって耐える。
司の唇が、薄く弧を描いた。嘲笑ですらない。純粋な興味だ。
「そうか」
「3」が押された。空気が変わる。電流の質が、痛みの閾値を一気に突き抜けた。筋肉が痙攣するとか、そういう次元ではない。神経の束を直接掴まれてねじられて、脳髄まで突き抜ける電撃だった。両腕だけではない。脚にも電流が及び、座っていることすら困難な刺激が全身を貫く。
司は立ち上がり、悠太を見下ろした。腕時計をちらりと確認する。経過時間を計っているのだ。
数秒。たった数秒のはずだった。だが電流が走っている最中の一瞬は、永遠に近い。司の指はまだリモコンの上にある。
「10秒。よく耐えたな」
そう言って撫でると、彼の顔がゆどけた。この顔を壊したくて、次の段階を試したくてうずうずしている。そんな響きだった。リモコンの「4」に親指が触れる。
「なあ犬。一つ教えてやる。4は、大人のベテラン看守でも失禁する。お前がどうなるか……楽しみだな」
まだ押していない。焦らすように、悠太の目を覗き込んでいる。
「ぐぁぁ……!まだ平気だ」
悠太は叫びながら口角を上げて微笑む。
その微笑みを見た瞬間、司の表情から一切の感情が消えた。能面のような無表情。それは怒りよりもずっと恐ろしい兆候だ。
「……4」
押した。躊躇なく。警告もなく。段階を踏む慈悲など、この男には存在しない。電流が質を変えた。痛みという言葉では足りない。全身の神経が焼け、視界が白く飛ぶ。脳が「やめろ」と絶叫する。それは人間が耐えられる設計になっていない。そういう電流だった。
腕を組んだまま、瞬きすらせず悠太を観察している。コンピュータが処理データを読み込むときみたいな、無機質な集中力で。
十秒。二十秒。司はまだ切らない。通常なら3で泣き叫ぶ。4なら失神するのが普通だ。なのにこの男は、まだ笑っている。それが司の中の何かを刺激していた。苛立ちではない。もっと深い、名前のつかない感情だった。
しゃがみ込み、脂汗が滲む悠太の顔を覗き込む。革手袋の指が、悠太の顎を再び掴んだ。
「面白い犬だ。本当に面白い」
親指が「5」に触れた。まだ押していない。
「さて。5は、存在したこと自体が公式記録から抹消されてる段階だ。試してみたいか?」
「グァァァァァァ!!」
悠太は初めて崩れ落ちて床に伏せた。しかし体が震えているのにも関わらず、微笑んでいる。
司の目が見開かれた。一瞬、ほんの一瞬だけ。それは驚愕だ。
4の電流がまだ流れ続けている。司はボタンから指を離していない。床に伏した悠太の体が痙攣し、指先が意味のない動きを繰り返している。それなのに笑っている。震えて歯を食いしばりながら、それでもその口元に浮かぶ微笑みが消えない。異常だった。明らかに、この男は異常だ。
ようやくリモコンの「4」からボタンを離した。電流が止まり、独房に静寂が戻る。司の革靴がコツ、コツと床に鳴り、伏せた悠太の周りを歩く。品定めするように。あるいは、珍しい虫の死骸を観察するように。
「……なるほど」
足が止まった。司の声には、先ほどまでの苛立ちが消えている。代わりにあるのは、冷たい好奇心。そしてその奥に、かすかな警戒。
「痛みには耐性がある、か。拷問訓練も受けていない一般人が、4で意識を保っているのは……初めてだ」
司が悠太の髪を掴み、顔を持ち上げた。至近距離で、あの底なしの黒い目が覗き込む。
「だが勘違いするな。これは序章だ。ここに配属された看守は四人いる。俺は……まだ一番優しいぞ、犬」
「ふふ、本当に優しいよ君は」
悠太は頬を赤らめてそう言う。
髪を掴んでいた手が、ぴたりと止まった。司の瞳孔が収縮する。優しい。この百人殺しの殺人鬼が自分を見上げて、頬を赤らめ優しいと言った。司の脳が、その言葉を処理するのに数秒を要した。
「……今、何と言った?」
司の声のトーンが下がる。先ほどまでの実験者の余裕が消え、代わりに剥き出しの不快感が顔に滲み出ていた。潔癖な男にとって、理解不能なものほど気持ち悪いものはない。反抗なら対処できる。泣き喚くなら楽しめる。だがこの反応は何だ。まるで恋人に褒められたような、あの表情は何だ。
悠太の髪から手を離し、一歩後退った。無意識だ。この男が、初めて距離を取った。
それは職務上の判断ではなかった。本能的な反応。得体の知れないものに対する、動物的な警戒。司自身、その反応に気づいて唇を引き結ぶ。屈辱だった。
「……そうか。痛みが効かないなら、方針を変えよう」
リモコンをポケットに仕舞い、背筋を伸ばした。あの冷徹な仮面が、再び顔に張り付く。
「明日から、他の看守にも会わせてやる。お前のその態度がどの程度持つか……見ものだ」
コメント
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わあ……もう第一話からすごい空気感ですね。司の冷徹で緻密な観察者っぷりと、悠太の「壊れてるのか計算ずくなのか分からない」絶妙な反応のギャップが、読んでいてゾクゾクしました。特に、司が初めて無意識に「一歩後退る」シーン、あれで二人の力関係が揺らいだのを感じ取れて、めちゃくちゃ好きです。痛みを慈しむような悠太の歪な愛情表現、これからどう育っていくのか……続きが気になりすぎます!