病室の明かりは落とされ・・・直哉のベッドの柔らかな照明だけが照らされていた
初め目が覚めた時はここはどこかわからなかったが、廊下の方から声が聞こえたので、どうやら直哉は自分がとうとう病院に運ばれたのがわかった
直哉は起き上がろうとして腕を動かしたら、点滴のチューブに引っ張られた
着ていた服はなくなり、薄っぺらな病院の手術着だけを素肌に着せられていた
その時胸に「ヤバイもの」が込み上げて来た、ガバッと起き上がりトイレに駆け込もうとしたが、体がぐらりと揺れた
「ぐっ・・ごほっ・・・」
慌てて口を手で押えた、今ここで吐いたら大惨事だ
「ああっ!目が覚めたんですか!さぁ・・ここへ吐いて・・・大丈夫ですよ」
その声はお福だった、直哉は渡された洗面器に顔を突っ込んで盛大に吐いた
胃も腸もひっくり返り、体の内臓すべてを口から吐き出そうとしている、お福は何かを言いながら、直哉の背中を優しくずっとさすってくれた
涙も鼻水も全て出し、ようやく落ち着いた頃には、直哉をベッドに寝かせ、転がり落ちないことを確認すると
まるで看護師のように直哉の口を拭き、水を飲ませた
そして点滴が終わるまで、動いてはいけないと直哉に釘を刺し、有無も言わさず洗面器の吐しゃ物を片付けに行った
直哉は「急性アルコール肝炎」と診断された
まだめまいがして部屋が回る、それに脇腹は相変わらず痛かった
「よかったですね・・・まだ初期の症状で、1週間入院してキチンと治療をすれば、大したことないそうですよ」
直哉が目を丸くしてお福に言った
「・・・本当に?癌とかじゃなくて?」
お福は眉に皺を寄せ怖い顔をした
「それでも悔い改めないと、今度こそひどい目に合いますよ、肝臓は怖いですからね」
直哉はじっと天井を見上げたまま、考え事をしていた、てっきり自分は治らない不治の病を、患っていると思っていた
「先ほどまで旦那様達がいらっしゃったんですがね、一度直哉坊ちゃまの入院グッズなどを、揃えにお帰りになりましたよ。何か飲み物がいりますか?売店で・・・・ 」
よっとお福が立ち上がった時、直哉が福の手首をギュッと握った
「行かないでよ・・・・ 」
直哉は天井をじっと見つめたままそう言った
お福は不思議な顔で直哉を見つめた、それでも掴まれた彼の手を、振りほどこうとはしなかった
ゆっくりと再びお福は椅子に座った
「旦那さんと息子さんが亡くなってたなんて・・・知らなかったんだ・・・ 」
ふふっ「そりゃぁ・・言ってませんもの」
「ひどいことを言ってごめんなさい・・・・ 」
天井を見つめたまま直哉はボソリと言った、お福さんのその細い手首をぎゅっと握った
ああ・・やっと言えた・・・死ぬ前に言えてよかった
「・・・・ハイ 」
お福の優しい声で、直哉はもう駄目だった
「俺のお袋は親父に口答えなんてしたことがなかった、んで、いつも親父に泣かされて・・殴られていた・・・俺は親父が憎かった、殴り返したらいいのにとずっと思ってたんだ・・・でもお袋は・・・だだ・・ずっと我慢して耐えていた
俺は思った・・結局はクソな親父に黙って耐えている母親もクソだ」
「夫婦というものは複雑なものですからね・・・それにしてもお辛かったでしょうね・・・直哉坊ちゃま・・・」
「俺と兄貴とアキで・・・・ずっと三人で・・・このまま行くんだと思ってた・・・もう誰も俺達を脅かしたりしない・・でも・・・アリスが来て・・・兄貴もアキも変わった・・・・もちろん良い方だ・・・それはそれでいいんだ」
直哉は手の甲で目を隠した、しかし涙が耳にまで流れて行くのをお福はしっかり見た
「ただ・・・俺だけが変われない・・・親父はお袋と俺が何をしても、気に入らなかった、そして暴れた、あの頃から・・・俺は取り残されているんだ・・・」
「お可哀想に・・・・」
お福が鳥の巣のようになっている、直哉の頭を優しく撫でた
ずっと過去という牢獄に閉じ込められ、本当はいつでもそこから出れることに気付かなかった、両親が犯した罪に苦しんだだけではなく、みずからもその罪を背負いながら生きてきた
そんなことをする必要はないのに、自分も両親と同じ轍を踏むのではないかと怯えた
傷ついた心も、すべて捨ててしまえばいいだけの話なのに
そうすれば兄貴がアリスを愛するように・・・・自分も誰かを愛し・・・愛されて幸せになれるだろうに
ヒック・・・「奈良になんか行かないでよ・・・・お福さん・・・俺・・・この病気を治したいんだ・・・・手伝ってよ・・・ 」
お福も直哉にわからないように、そっと自分の涙を拭いた
「直哉坊ちゃま・・・・」
「僕からもお願いお福さん、どこにも行かないで!僕お福さんのごはんもっと食べたい」
その時ペタペタスリッパを鳴らして明が病室に入ってきて、お福の胸に抱き着いた
「まぁ・・アキ坊ちゃま?もうお戻りになったんですか? 」
お福は驚いたが明を抱きしめた、明がキラキラの瞳でお福に言う
「お福さんの作った大根とブリの粗炊きおいしかった、ひじきの煮物おいしかった、肉じゃがおいしかった白菜とちくわの焚いたんおいしかった・・・里芋のにっころがしおいしかった・・・」
へぇ~・・
「アキ君は煮物が好きなのね~」
入口からぴょこっとアリスが顔を出して言った
う~ん・・・「確かに俺は煮物は作らないからな、アキは初めてのお福さんの、煮物料理に開眼してるじゃないか 」
北斗もアリスの上から顔を出した、二人の顔がトーテムポールのように縦になっている
「北斗さんはにんにくとスパイスを効かせると、何でもおいしくなると思っているから・・・」
「おいおい!さんざん俺のメシを、上手い上手いと食っておきながら、その言いぐさはないだろ~アリス~」
ペロ・・
「ごめぇ~ん・・・口が滑っちゃった・・・ 」
アリスが舌を出して言う
「まぁ・・・みなさん、お早いお戻りですね」
ぎゅっと抱き着いてくる、明の頭をポンポンしながらお福が言う
「手羽の黒酢煮おいしかった、小松菜と油揚げの煮びたしおいしかった、ささ身のポン酢和えおいしかった、イカとキムチの・・・」 ←まだ言ってる
プイッと照れた直哉が、みんなに背中を向けて寝っ転がる
泣いて行かないでくれと懇願してる所を聞かれて、どうにもこうにもカッコ悪い、これでは明と同じではないか
なので直哉は寝たふりを決めた
「しばらくはナオは入院して不摂生改善だな 」
「頑張ろうね!ナオ君!」
「お福さんのごはんじゃなくて、病院のごはんなの?ナオかわいそう~~」
「しかたがないんですよ!全てこれも直哉坊ちゃまのしてきたことの、ツケが回って来たんですからね」
直哉はそんな口々に勝手な事を言う三人を無視して、ただひたすら寝たふりを決めた
..:。:.::.*゜:.
それからお福は毎日10時キッチリに、直哉の病室に見舞いに来るようになった
朝の病院の回診に立ち合い、治療の経過を担当医ときちんと話し合い
そして直哉のパジャマやタオルを新しいものに取り換え、身の回りの世話をして帰る、直哉が入院してからのお福の新しいルーティーンだった
「今日はバスで来ましたのよ!アリスお嬢様がアキ坊ちゃまの授業参観でね、乗せてきてもらえなかったので、でもバスでも意外と早く着きましたわ 」
「あら~~~~!お母さんいらしてたんですかぁ~ 」
「おはようございます看護師長さん 」
さっそうとした恰幅の良い看護師長が、ドスドス直哉の病棟に入ってくる
ペコリ「いつもお世話になります、これ・・・つまらないものですが・・」
お福が看護師長に菓子折りを渡す
「あら~~~お母さん困りますわぁ~~」
ヒソッ・・
「ですから内緒で・・・ね?」
ホホホホと二人で笑う
ケッ
「何が面白いんだか!」
直哉が背中を向けて寝る、その時ガバッと師長に直哉の掛布団をはぎ取られる
「さぁ!成宮さ~ん!血圧測りますよぉ」
「あんたの測り方痛てぇんだよ!」
直哉が無駄な抵抗を試みる
ホッホッホッホッ「またまたそんなご冗談を~~~もう~~~面白いんだから成宮さんはぁ~」
「冗談なんかじゃねぇ!」
「それじゃ!直哉ぼっちゃまあたくし帰りますね、大人しく治療してくださいよ!」
「フンッ」
背中を向けている直哉だが、チラリとお福を見る
ニッコリ「また明日来ますね」
バシンッ「良いお母さんじゃない!大事にしなさいよ!」
「いってぇ~(泣)」
看護師長がホホホと高笑いをして直哉をひと叩きすると、またドスドス帰って行った
暫くして暇になった直哉は、お福の持ってきた紙袋の中身をのぞいてみた、すると母屋のリビングに置きっぱなしにしていた読みかけの漫画が入っていた
「これ・・・続き気になってたヤツだ・・・どうしてわかったんだろう・・・ 」
その時ふわりと着替えたばかりのパジャマからは、洗いたての柔軟剤の効いた良い香りが漂った、タオルも枕カバーも良い匂いがしている
ふと直哉は自分の入院している四人部屋の、ベッドにいる病人を見渡してみた
みんな年寄りで生気が無く、とても天気の良い真昼間から、横になって寝ている、病人なんだから当たり前だけど・・・
直哉が入院してから気が付いたが、同じ病室の住人には見舞いに来てくれる人など、一人もいなかった
この病室の見舞い客は、毎日自分に会いに来るお福だけ・・・・
病室の窓から外を眺めてみる、するとバス停に座ってバスを待っているお福が見えた
直哉は不思議な気持ちで、お福がバスに乗り込んでいく姿を見守った
お母さん大事にしなさいよ
..:。:.::.*゜:.
看護師長の言葉が直哉の心にこだまする
ボソッ「・・・母親なんかじゃね~っつーの・・・」
直哉はバスがいなくなっても、いつまでもお福の事を考えていた
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