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「今月の最下位は江島孝介!」
咎めるような部長の声に、途端に全身が跳ねる。
社員たちはざわめき、その顔には同情や嘲笑、呆れといろんな感情が入り混じっていた。
そして、そんな視線を一身に浴びている江島孝介(えじまこうすけ)という男こそ。
「……すいません」
何を隠そう、俺のことである。
月末の朝礼が終わり、爽やかな青空とは裏腹にどんよりとした気持ちでデスクに戻る俺を待ち構えていたのは案の定。
「江島さん、今月も最下位だってよ」
「部長も意地悪だよな。成績なんて壁に貼ってあんだから見りゃわかんのに。あんなんただの公開処刑だよ」
「でもどうしてこの会社入ったんだろ。営業向いてなさそうなのに」
「…………」
「!?え、江島さん!?いつからそこに……?」
…ずっといました。
ていうか君らより先に座ってました。
影薄くてすみません。
嘲笑と呆れを混ぜながら声をはばかることなく話していたうちのひとりが俺の存在に気づき、
引き攣った顔で「やべ…聞かれてた……?」と目配せを交わせ、「さ、さーて仕事仕事〜!」なんていっそう清々しいほどの誤魔化しようで仕事に戻っていった。
——そんな、白昼堂々年下社員に舐められるおれ江島孝介について。
つまらない話だが少し聞いてほしい。
平凡を絵に描いたような子だった。
これは俺の母の口癖だ。
出産から俺のルーツを辿れば出産予定日に2500gで誕生——普通。
保育園から高校まで勉強も武道も、友人関係も人並み——これも普通。
大学でも大学デビューなんて無謀なことは考えず、パリピすぎる新歓にそっと背を向け大学とバイトを往復する日々——なるほど、ここまでは普通。
転機はそう、就職活動。
平凡の中の平凡…というかむしろオール平均以下スペックである俺にとって人前に立つような仕事などこなせるはずがないことはわかっていた。
目立たずとも誰かの役に立つ仕事。
そういう縁の下の力持ち的職種に俺は就いてみたい。
そう自分のことは理解しているつもりだったのに。
なにをどう間違えたのか。
俺はあろうことか、会社の花形的ポジティブである営業なんて部署に自ら飛び込んでいってしまったのだ。
それはまるで日陰者がスポットライトに焼かれにいったかのように…。
「……はあ」
今日も今日とてため息ひとつ。
先ほど俺の陰口を言っていた後輩のひとりが気まずさに耐えかねたのか「っ外回り行ってきます!」なんて逃げるように飛び出していった。
その姿を横目にしつつ、俺は無心でキーボードを叩く。
ああ…平和だ…。ただ無心でキーボードを叩くこの時間……やっぱ癒される……
指先に伝わる無機質な感触と規則的に響く音。
そして積み重ねる小さな達成感と、自分だけの空間。
やっぱりこういう地道で単調な作業の方が俺の性に合っている。
それなのに、どうして俺なんかが営業を………。
ピタリとキーボードを叩く指が止まる。
すっかり消え失せたはずの曇天が再び胸に広がり始めたとき、ドサリと何かを置く音が耳へと飛び込んできた。
聞こえてきた音の方へとおそるおそる顔を向けると……
「あれ。なんかありました?」
で、出た……!!
やっぱりというか案の定というか。
先ほど聞こえてきた音はどうやら隣のデスクの男が帰社して鞄を置いた音だったようだ。
「あっち〜」と首元を緩め、無造作にスーツを着崩すその様はいちいち様になっているもんだから腹立たしい。
俺が同じ動作をしてみようものなら一瞬でナルシスト通り越してただの痛いやつ認定だ。
…でも悔しいことにそんな動作すらこの男がやれば妙に様になってしまう。
なぜならその男の貼り付けた笑みと端正な顔立ち。
ナチュラルにセンター分けされた黒髪に、体格に合ったベージュのスーツと高そうな革靴はいかにも女性にチヤホヤされそうなルックスをしているからだ。
ちなみに名前は藤沢一也(ふじさわかずや)
…俺の三つ下の後輩である。
不思議そうに見つめてくる藤沢にたっぷり時間をかけて俺は一言だけこう返した。
「…べつに」
某俳優もびっくりの素っ気なさである。
一瞬目を見開いた藤沢が、すぐににやぁと口元を歪めた。
「べつになワケないでしょ。絶対なんかあったーって顔してますけど?」
…っきょ、距離が近い……!!
きらきらとした俳優のような顔立ちが笑みを深めて覗き込んでくる。
その近さはもはや後ろから誰かに押されたらキスでもしてしまいそうな距離だ。
近い…近すぎるよ…!
なんでイケメンはこうも距離感がバグってるんだ?自分に自信があるからか?
……いやまぁイケメンの知り合いなんて俺にはこいつしかいないから全イケメンがそうだという根拠はないけれど。っていやいやそうじゃなくて…!
「っだ、からなんもないって……ッ」
「え〜?本当に〜〜?」
こ、こいつわかってやってる……!!
慣れないこの距離感に情けなくも眉根を下げて狼狽える俺に気づいてのこの仕打ち。
その証拠に藤沢はにやにや意地悪く笑いながらさらにその距離を詰めようとしていた。
そんな調子に乗りまくる後輩にさすがに痺れを切らした俺は、よ、よしここは先輩として一喝してやるぞ…!と口を開きかけたその瞬間だった。
「藤沢!」
というよく通る部長の声がフロアに響いた。
その声を合図に、ぱっと藤沢が身体を離す。
そうすると急に空いた隙間になぜか無性に寂しさを覚えた俺は慌てて首を振った。
「はーい。…先輩なにやってんすか」
「っく、首の運動……?」
「はあ…そうすか」
藤沢は「何言ってんだこいつ」みたいな顔をして気だるげに部長のもとへと向かっていった。
そして安寧を取り戻した俺はほっと胸を撫で下ろし、再び癒しの空間に身を投じるのであった。
だがそんな癒しの時間も束の間。
「やっぱ素敵よねぇ、藤沢さん……」
キーボードを叩く手が不意に止まる。
ふいに耳に入ってきた後輩の名前のせいだった。
「今月も営業成績トップだって。見てよ、部長のあの顔。あんな笑顔引き出せるのなんて藤沢さんだけよね〜!」
「しかも仕事できるのにぜんっぜん気取ってないしさ!この前なんて私、給湯室で躓きそうになったところを助けもらったの〜〜!」
「きゃあ素敵!」
「「「ほんと藤沢さんって王子様みたい〜〜!!!」」」
勤務中だぞ…と思わずツッコミを入れたくなるほどの黄色い声に俺は顔を顰めた。
ちなみにこれは僻みなどではない、決してない。
そして部内でも可愛いと評判の彼女たちの王子様へと視線をやった。
そして後悔。
(ほんとだ…部長めっちゃ笑顔……)
にこにこと満面の笑みを浮かべるその姿は、さっき俺に向けてきたものとは天地の差だ。
わかっていたはずなのに現実を突きつけられるとこうも胸が痛い……。
藤沢とのえぐいほどのその好感度の差に俺は死にたくなった。
***
「あれ、先輩ひとりっすか」
営業先から戻った藤沢がきょろきょろと社内を見渡し声をかけてきた。
外はもう真っ暗。
定時を過ぎたオフィスは人気もなく静まり返っていた。
「うん。今日プレミアムフライデーだから」
「なるほど。先輩は帰んなくていいんすか?」
「俺はほら…まだ仕事残ってるからさ」
そう言って、デスクトップを指させば。
藤沢はあからさまに眉をひそめた。
「これエクセルじゃないすか。こんなん事務に回した方が早いっすよ」
理解不能とでも言いたげな表情だ。
若くて有望なこの王子様は思いのほか感情が顔に出やすいらしい。
俺はそっと苦笑いを返す。
「それはわかってるんだけどさ…事務も忙しいだろうし。それに俺こういう地道な作業とかけっこう好きなんだ」
「でも効率悪くないすか?その時間あれば営業かけた方が……」
そう藤沢は言いかけて、はっと口をつぐんだ。
「……いえすいません。今のは失言でした」
そう言って、頭を下げる藤沢の姿に。
俺はとてもとても驚いていた。
今までこいつのことをただのイケすかない生意気な後輩だと思ってたけど。
なんだ、こういう素直な一面もあるんだ。
初めて目にした後輩のその後輩らしい一面に、俺は思わず笑みを漏らしてしまう。
顔を上げた藤沢が不思議そうに俺を見た。
「え、なんです?」
「藤沢」
「はい」
「飯、行こっか」
そう言えば、切れ長の目がかすかに見開かれる。
驚くのも無理はない。
藤沢を…というより、俺が後輩を飯に誘うのはこれが初めてなのだから。
「ありがとうございます」
結ばれていた口元がふと緩む。
相変わらず端正な顔がこちらを見た。
にこりと浮かべられた笑顔に、なるほど…これはたしかに王子様のようだと昼間の女性社員たちの言葉に少しだけ納得しかけた——その瞬間。
「でもお断りします」
「うん、それじゃあ行こ——え?」
(お断……え?聞き間違い……?)
「ご、ごめん。もう一回」
「お断りします」
聞き間違いじゃなかった!!!
ていうかまさかの拒絶!?
予想してなかった展開に絶望でわななく俺を横目に、藤沢は鞄を手に取り踵を返す。
そして振り向きざまにこう言い放った。
「すいません。俺、仕事とプライベートはきっちり分けたいんで」
それじゃお先失礼します。
律儀に頭を下げた藤沢は本当にそのまま帰っていった。
そしてポカンと取り残された俺は、無言でデスクに向き直る。
そして激しくキーボードを叩いた。
前言撤回。
藤沢一也……やっぱりあいつはイケすかない!!!