テラーノベル
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恐ろしく長いです。頑張ってお読みください。浴衣出したら根付けなくしてました。泣きそう。なくていいけどさ。
苦手な外回りの帰り道。
ビルの自動ドアが閉まる音を背に、深く息を吐いた。
慣れない接待と蒸し暑さで、指先まで疲労が絡みついてくる。
時計を見ると、定時には少し早かった。
うめき声を漏らしつつ、鈍い足取りでオフィスに向かう。
「………に〜ほんっ。」
不意に、やわらかい声が耳に触れる。
視線を上げると、フランスさんが立っていた。
ゆるやかな笑みを形取る唇に、そっと細められる瞳。
無防備なほどの甘さに網膜をやられた。
「お疲れさまです、フランスさん。」
「ボロボロなのはそっちだけどね。」
優雅な動きで指先がベンチを示す。
「今日外回りの日だっけ?」
「はい………会食で……。」
「うわ〜、きっつ!……腰とか痛くない?ずっと座ってたんでしょ。」
労わるように腰を撫でられた。
ちょっとだけ、と答えると両目の宝玉が不安げに揺れる。
「僕も苦手だな〜、お偉いさんとご飯とか。」
「お料理楽しみだったんですけど、あんまり味覚えてないです………。」
「もったいなっ、じゃあ今度一緒に行こうよ。」
上書きしようよ、と笑顔で添えられる。
どうやったらこんな100点越えの答えを思いつけるんだろう。
彼の輝きのせいで水晶体が濁ってしまいそうだ。
「ねぇ日本。これあげる。」
手のひらに落とされたのは、光を孕む琥珀の小瓶。
巻かれたラベルには、フランス語らしき文字が踊っている。
デザインやらなんやらを検分していると、香水だよ、とささやかれた。
「リラックス効果あるやつだからさ、疲れたらつけなよ。」
「えっ、いいんですか?」
「うん。だって僕、疲れるまで働かないし?」
冗談めかした声に思わず笑う。
「ありがとうございます。」
わずかな重みと、まだ彼の温もりが残る瓶。
キャップの隙間から立ちのぼる香りに、アメリカさんの花束を思い出した。
じゃあね、と去っていく彼に甘い香りが尾を引く。
「………よし。」
フロアに響く足音が、少し軽くなったような気がした。
***
香水をつけるようになったのはそれからだ。
残業で一息つきたい時や、会議でくたびれた日。
胸ポッケから小瓶を取り出し手首に落とす。
そっと肌に染み込んでいく香りは、暑さや疲れを溶かしてくれるようだった。
そして、癒しがもうひとつ。
「日本、甘い物持ってきたよ。」
「フランスさん!」
白い箱を手に、それはそれは甘美な笑みをたたえた美丈夫。
また来てくれたと胸が踊った。
差し出された玉手箱には、艶やかな焼き菓が並んでいる。
そばのイスを転がして、いつものようにお茶を淹れた。
「ここ最近、いつも癒しに来てくれますね。」
マドレーマのバターに油を差された口が回る。
「残業中なんてドイツさんと交代で仮眠を取ってたので……ひとりじゃないの、何だか新鮮です。」
フランスさんは一瞬目を丸くしてから、ふっ、と笑った。
長い指が手首に触れる。
「ちょっと違うかなぁ〜……。君が、僕を呼んでるんだよ。」
「………え…?」
「ふふっ。だって、君から僕の匂いがする。」
ふわり、と鼻を撫でるフローラルな香り。
僕の匂いと混じったそれは、一緒になって周囲の空気を満たしていた。
香水だと思い当たり、すんすんとシャツに鼻先を押し当てる。
「うぁ……つけ方間違えたのかな……。すみません、そんなに匂いますか……?」
「………じゃあ、一回僕がつけてあげる。」
軽口を叩くように笑いながら、その声音はひどくしっとりとしていて、脳に直接届きそうなほど近い。
赤くなったり青くなったりしていると、フランスさんは僕の胸元から瓶を取り出した。
くるくると開けられたフタから、彼の指先にとろりとした液が落ちる。
「手首に少量つける、まではできてるみたいだね。」
そう言いながらフランスさんは自分の手首にそっと香りを撫で込む。
「正しいのはね、それから………」
伸びてきた指が、そっと僕のうなじを撫でた。
思いがけない刺激に背筋を電流が走る。
「……ごめん、ちょっと近付くね。」
デスクに押し付けられるような形で近寄られる。
襟元に香水が垂れないよう、フランスさんはこちらへ身を乗り出した。
ぎっ……とイスが苦しげに喘いだ。
ひと撫で、ふた撫で。
甘くやわらかい気配が、消えない印をつけるかのように肌の奥へと染み込んでいく。
触れられたことのない場所に指先が触れた。
制御も効かず、反射のように肩が跳ねる。体の奥がひくりと脈打った。
「フランス、さん……っ、……」
どうにかその手を振り払おうとした瞬間、どろりと溶けた声が鼓膜を伝う。
「………ねぇ、今日は誰の匂いをつけてきたの?」
脳髄に入り込もうとするようにねっとりした声。
「せっかく染めてあげたのに。……ねぇ、勝手に香り、混ぜちゃダメでしょ?」
意味を持たない声を漏らす。
「僕は、死にゆく花なんか贈らない。僕はもっと………」
甘い吐息に腰が抜けそうだ。
「深く、愛してあげる。」
フランスさんはそう言って身を離した。
突然の終わりに目を白黒させる僕に、フランスさんは無邪気に笑う。
「こっから先は君が僕を選んだら、………ね?」
じゃ、と去っていく軽やかな足音。
ただただ、香りだけが逃げられないほど強く残っている。
***
長い廊下に、空調の風が緩やかに流れる。
鼻歌まじりで浮き足立つ男……フランスは、見知った気配に足を止めた。
見ると、エレベーターの前にイギリスが立っている。
「自由なのは、権利だけではないようですね。」
エレベーターの所在を示すランプをみつめ、言葉だけを寄越される。
わざわざお前なんかに、という態度が滲み出ていた。
「そっちこそ。ジメジメなのはロンドンだけで十分だよ。」
フランスは笑みを崩さず一歩だけ近付いた。
ふたりの間をソードラインのように冷たい空気が流れる。
「随分と長い時間をかけられたようで。……ルールに触れていないか心配です。」
「あぁ、『触れてのアピールはひとり一回』ってやつ?……安心して。僕、さっき初めて触れたけど?」
フランスは悪びれもせず、無邪気にイタズラを明かす子供のように言いのけた。
「それはそれは。安心しましたよ。……大事な友の恋路に関わりますからね。」
挑発に応じる気はないとばかりの淡々とした返事。
しかし、イギリスはわずかに眉を動かした。
フランスはそれをチラリと視界に入れると、飾り立てた笑みを深める。
「アメリカに先越されて、内心焦ってんでしょ。……ど?僕に触られる日本、綺麗だった?」
「フランス。」
じり、とイギリスの足先がフランスの影を踏んだ。
「何、嫉妬?ルール知ってて動かないお前が悪いんじゃん。」
鼻で笑ってその揺らぎを一蹴するフランス。
イギリスは冷え冷えとした目を向けた。
「『他者のアピールの妨害は厳禁』、でしたか。……早い者勝ちという意味ではないでしょう?流石は鶏。トサカに夢中のようだ。」
チン、と陽気な音を立てて扉が開く。
「どうぞ、お先に。」
イギリスはにこやかな笑みを浮かべると、長い指先をエレベーターに向けた。
フランスはゆっくりと背を向ける。
「あんまりキレんなよ、古狐。」
最後、ひとつに戻りゆく扉の前でフランスの唇が不敵な笑みを形取った。
「図に乗るな、ピエロ如きが。」
イギリスは小さく舌を打つと、廊下の先へと歩んでいった。
(続く)
コメント
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最後にあからさまな毒を吐く二人好きだぁ…ドラマチックすぎる