テラーノベル
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あの日のことを俺は鮮やかに、昨日のことのように覚えている。
雨の匂い、夏の夕方だっていうのに空は灰色で暗くって、バケツをひっくり返したような急な豪雨と近くで鳴る雷、張り付くような湿度を含気。
メジャーデビュー5周年を迎えたあの日、俺達は歩いて元貴の家に帰ろうと駅から出た瞬間にものすごい雨に打たれて一瞬でずぶ濡れになり、閉まっているお店の軒下で雨宿りしていた。
服も靴の中もパンツまで濡れて髪からはボタボタと水が滴って。
そのまま走って帰っても良かったけどさすがに雷が鳴っているし、と少し様子を見ることにした。
隣を見ると元貴も俺と同じくらい濡れていて···髪は濡れて白いTシャツは張り付いて体の、ラインが透けていた。
その姿は絵画のように綺麗で。
空を見上げるその黒い濡れた瞳も。
暗く曇った中で輝くように白い腕も。
少し走ったせいでのぼせたように染まる頬も。
雨のせいか元からか濡れて赤い唇も。
その全てが鮮やかに綺麗で同時にエロチックだった。
空を見ているフリをしながら本当は肩が触れ合うくらい隣にいる元貴の横顔や···体ばかりを見ていた。
綺麗で、儚くて、煽情的な姿に夢の中かと思うほど意識はトリップしていて本当に思わず、本音が漏れた。
「俺、元貴が好きだ···」
その言葉を発すると同時に更に雨は強くなりザァッと地面に打ち付け、空が光ったと思うと近くに雷が落ちた音がした。
元貴はビクリ、と体を震わしたけど表情は変えずに今の雷凄かったね、とつぶやいた。
俺は雷なんかより自分の発した言葉が怖かった。
なにを言ってしまった?
ずっと心の奥にぎゅっと押し込んでいた気持ちがポロリと言葉になって···俺は本当に口に出して言ってしまったのだろうか。
隣に顔を恐る恐る向けると元貴はまだ空を見つめていて、止まないから濡れて帰ろっか、ってまた小さく呟いた。
···雷と雨の音で聞こえなかったんだ。
俺は心底安堵した。
伝えるべきでも伝えたいことでも無かったから。
「そうだね、もうこんなに濡れてるし」
「ならいっそ楽しもうか」
子供みたいな顔でにやっと笑うと俺の手を引いて大雨の中に飛び出した。
「うわっ···ちょっとあえて歩くの 」
叩きつける雨で目を開けてられないくらいで視界も悪い。
そんな中で俺は元貴の手を握り返して引っ張られるままに歩いて帰った。
そのあとは家の前で服を絞ってその水の量に驚いて2人で笑った。
あとでいいよっていう俺をまた強引に引っ張って狭い風呂場でシャワーを浴びた。
出来るだけ背中を向けて元貴を見ないようしたけど、それ以外はいつも通りの俺だった。
その後も、その後何年も。
変わらない関係でいた。
もう変わることもないと思っていた。あの時言葉にした気持ちはたまに俺を辛くしたけど嬉しくさせられる時もあったから。
何も望んじゃいないよ。
ずっとこのままでいいから。
そんな思いのまま月日は流れてあれから5年。 俺はほんの少しあの日を思い出したけれど、今の幸せを噛み締めてみんなでデビュー10周年を盛大にお祝いした。全てのタスクをこなしてスタッフさんも撤収して3 人になる。
「若井、今日泊まっていってよ」
珍しく、久しぶりに元貴からそんな誘いを受けた。涼ちゃんは1人で寝たいからねってさっさと帰り、俺と元貴2人きりの部屋は いきなり静かになった。
「珍しいじゃん、さては、さっきまでたくさん人が居て1人がさみしくなった?」
ひひっと笑うといつものそんなんじゃないと照れ隠しが飛んでくるかなと思ったけど、元貴は穏やかな顔で微笑むだけだった。
「なになに、怖いな···何か飲む?」
勝手知ったる元貴の家の冷蔵庫を開けてコーラを取り出して2本机に置いた。
「乾杯!10周年おめでとう!」
「おめでとう」
「明日仕事じゃなかったらお酒で乾杯したかったぁ!」
ソファに転がる俺の隣で元貴はどこ宙を見つめしばらく黙ったあと、静かに話始めた。
「ずっと聞きたかったこと、聞いても良い?」
「なんだよ、改まって」
寝転んだまま応える。
なんだか今日は忙しかったから少し眠たくなってきた、元貴の話を聞いたら早めに寝ちゃおうか。
「5年前の今日、若井は僕になんて言ったの?」
ヒュッと喉が鳴った。
5年前の今日、あの時のことを元貴は言っているのか?
「なんの話だよ···5年も前のこと、覚えてない」
「僕は覚えてる。突然の大雨で雨宿りしてたとき、雷が鳴った瞬間に若井が僕に言ったこと」
なんて言った、と聞きながら覚えてる、とはどういうことなのか。
俺は声を絞り出した。
「なんでいまさら···」
「今更、そうだね。あの頃の僕は先が不安で、必死で···余裕が無かった。けど10周年を迎えて、少しだけ自分のことを考える余裕が出来たから···ずっと聞きたかったこと、聞いてもいいかなって」
そうだよ、あの頃の俺達は不安の渦の中にいた、だからあんなことは言うべきじゃない時だった。
「そんなこと聞いてどうするんだよ···一体何になるっていうんだ」
体を起こし、元貴に向かってつい強い口調になった。声が少し震えているのが自分でもわかった。
「これからの幸せに繋がるんじゃないかなって。勝手だと思うなら忘れてくれていい、いまさらって思うならそれでもいい。ただずっと後悔してたから···僕があの時ちゃんと返事をしてたらって」
なんだよ、幸せとか返事とか。
そんなのまるで···まるで···。
「俺のことを好きって言ってるみたいだ」
元貴がすっごく優しい、愛おしいものを見るような顔で俺を見る。
「そう。僕は若井が好きなんだ」
「うそ···」
気付けば頬が冷たくて、俺は泣いていた。止めようと思ったけど感情が溢れて後からどんどん涙が溢れて、しばらく止まらなかった。
「嘘じゃないよ。僕はずっと若井が好きだった。けど5年も経って遅すぎたかな···ごめんね、泣かせるつもりはなかったんだけど」
遅すぎるなんてあるもんか。
あの時のことや、あの時の気持ちが過去や思い出になったことはない。
今でも心の奥にしっかりと抱いている。
「あの日俺は···雨に濡れる元貴を見て、気持ちが溢れて···本当は言うべきじゃないって思ってたけど、つい声になってて」
「···うん」
「ずっと俺も好きでこの10年···ほとんど元貴に恋してて···好きで好きで···昨日も今日も明日も···きっと俺は元貴がずっと好きなんだ···」
「···うん、僕も同じ」
5年がどうとか、長い時間片思いだったとか、苦しい時もあったとか、そんなことが全部消えてなくなるくらい、元貴の声が優しくて、気付けば重なっていた手は暖かかった。
「なんか一番嬉しい10周年のプレゼントかもしれない、若井とこうして2人きりだし」
「ちょっ、いきなりそういうのやめてって、恥ずかしい、からさ···」
いつもの高音で元貴が笑った。
落ち着いていたようで実は元貴だって緊張してたのかもしれない。
「僕も恥ずかしいよ、けど若井から好きって言葉が聞けて嬉しいの」
「〜っ、ほんとにやめろよ···はずっ···俺も、嬉しいけどさ···」
泣いて照れてとにかく忙しいけど···俺は今、幸せなんだ。
「これからも僕とずっと一緒に居てよね、滉斗」
「···あったりまえだって。ね、あの日をしたかったことしていい?」
「なに?」
そっと腕を元貴の背中にまわして抱きしめる。
あの雨の中、誰も俺たちなんて見てはいなかったから···本当は濡れて冷たくなった元貴をこうして抱きしめてあげたかった。
「あったかいね···それに幸せだ」
「うん···夢みたいだ、こんなことって···いいのかな、幸せすぎて」
「いいよ、きっと···僕たち頑張ってきたんだもん」
元貴が俺を抱く手に力がこもった。
いつもより近い元貴の匂いと、体温がじわりと俺の胸を熱くさせた。
「今日は恋人としての記念日でもあるんだね」
「一生忘れられない日だ」
これから先も、もっと頑張って歩いて行ける、そんな自信がみなぎってくる。元貴が居れば俺は進んでいける。
「ふふ、涼ちゃんどんな反応するかな」
「案外すんなり受けいれてくれそう」
元貴と俺は顔を見合せて笑った。その後、俺たち時間が許す限り語り合った。 これまでのこと、これからのこと、どこが好きか、いつから好きなのかなんてことも、手をつなぎながら時には抱きしめながら。
今日から恋人同士でもあるなんて。
語り合ううちに先に眠気が来てしまった元貴をベッドに寝かせて自分もそっと身を寄せた。
何一つ無駄じゃなかった。
いろんな日々がこうして今の幸せに繋がっていたんだ。
幸せな匂いと体温に包まれて、俺は愛しい人の隣で眠る。
「ありがとう···これからもよろしくね」
俺は今日のこともきっと鮮やかに覚えているだろう、この先もずっと。
コメント
2件
素敵なお話を、ありがとうございます😭 描写がとっても美しくて、涙が出そうになりました😭