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傘村トータ様より
明けない夜のリリィ
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あなたの夜が明けるまで
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おはよう、僕の歌姫
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(願わくば彼らに夜明けを)
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おはよう、僕の歌姫 Happy End Ver.
ー序章ー
俺達の世界は何処かおかしい。
何度寝ても覚めても夜は明けなくて、君の声しか光が無い。
だから俺は君をこんな檻に閉じ込めているんだ 。
ー第一章ー
俺は王宮にいる貴族。
と言っても数いる兄弟の中で1番遅く生まれたから、仕事やらなんやらがあるわけではない。
何をするにもつまらなくて、生きる意味を見出だせなくて、俺はいつものようにぼんやりと街を眺めていた。
この国は世界の中でも割と栄えてる国だと自負しているが、そんなものは幻想だ。
平民は一生平民として、貴族はなんの苦労もなく生活している。
そんなことが間違っていると思いながらも、今日も何もせずにぼんやりと暮らしている。
俺がまちこと出逢ったあの日はたまたま、城から離れた街の外れの湖へ散歩に出かけた時。
透き通るような、泣きたくなるような歌声が俺の耳に響いた。
決して大きくはない、微かな音色。
木の陰からそっと覗けば、若緑の髪を風に揺らし月明かりの下で流れるように歌う女がいた。
「…君は誰?」
思わず呟いてしまい、彼女は驚いたように後退る。
「…っ待って!」
俺から逃げようとする彼女の柔い手をとっさに掴んだ。
これを逃したら、もう会えないかもしれない。
「もっと君の声が、聴きたいんだ」
彼女は下町に住んでいて、両親と仲が良くないらしい。
ひとりになりたい時によく、静かな湖の周りで歌っているそうだ。
俺は彼女に身分を明かさなかった。
彼女にだけは敬語やしきたりなどを表して欲しくなかったから。
「そう言えば、君の名前は?」
「…ちこ、」
「なに?」
「まちこ」
「そっか、綺麗な名前だね」
そう言うと彼女は白い顔を薄桃に染めた。
「また会えない?」
こんな世界に大切なモノなんて何も無いと思っていたけれど、君を見つけて俺の世界は一変した。
今日もまた夜空の下で二人で話し出す。
「え、また歌うの?」
「頼むって!まちこの歌声まじ好きなんよ」
「しょうがないなぁ…じゃあしろせんせーも歌ってよ」
俺は彼女に本当の生まれを偽りながら、今日まで過ごしてきた。
確か王室直属の講師だかなんだか。
話すうちにどんどん彼女に惹かれて、仲良くなって、だからこそ俺の生まれで離れて行くことが怖かった。
“王族の人間は庶民と関わってはならない”
一体誰がそんな間違った世界を作ったのだろうか。
「せんせー?」
まちこの声にすぐに反応出来ずに、聞き返してしまう。
「すまん、なんて?」
最近どうにも頭がぼーっとしてしまう。寝不足だろうか。
思えば俺が王宮から出られるのは夜も深くなった頃。
そんな時間にいつも来てくれる彼女の健康などに、今更ながらに気がつく。
「いつもこんな遅い時間でごめん…今日はもう帰る?」
「大丈夫!私は楽しいよ。それよりも」
そう言ってまちこが覗き込む。
「最近顔色悪いけど…」
その後に続く言葉を聞く前に、俺は急いで言葉をつなぐ。
「いや、まちこの声聞くと安心するんよ。だから」
明日も側にいてくれる?
その言葉にまちこは静かに頷いた。
ふたりで湖を見つめるこの時間がたまらなく愛おしい。
この時間がなくなってしまえば、俺はきっと正気ではいられないだろう。
彼女はこの世界の救いであり、光だ。
「…今日は月が出てないから随分暗いなぁ」
まちこがぼんやりと眺めてそう言った。
「まちこ、知ってる?」
「ん?」
「明けない夜はないんやで」
何故この言葉を言おうとしたのかは分からない。
ただ、するりと何の違和感もなく口から滑り落ちた言葉は俺とまちこの間で消えた。
もしかしたら正解の見えない暗い世界で、俺なりに彼女を安心させようとしたのかもしれない。
「はは、あのね〜夏至を中心とした夏の南極圏には極夜ってのがあって、1日中太陽が昇らないんだよ。だから明けない日もあるよ」
せんせーなのに知らないんだ。
「はぁ!?知っとるわ!」
その言葉にまちこを擽る。
反撃してきた彼女と馬鹿みたいに擽りあって、原っぱに倒れ込む。
ごろりと上を向けば月がなくても、星明かりがちかちかと点滅する。まるで宇宙が落ちて来るみたいだ。
「じゃあ、今日はこれで最後ね!」
そう言って目を閉じた彼女の歌に耳を傾ける。
白く柔い瞼から伸びる睫毛は艶めいて、歌を紡ぐ唇は優しく微睡んでいた。
らら、らり、るら、と歌い始めた曲は知らない筈なのに何故か懐かしくて俺は瞼を閉じた。
ずっとこうして過ごすことなんて出来ないと分かっていても、やっぱりこうしていたいと思ってしまうんだ。
「ボビーー!いるー !?」
ばたり、と大きな音を立ててニキが俺の部屋に入ってくる。
扉を壊す勢いで入った男を思わず大声で笑う。
「お前!そんな毎回来んなって何回言えば分かんだよ」
ニキは隣国の第一王子であり、気軽に来られる立場ではないはずだ。
今日もいつものようにマントを翻し、黄金の王冠を頭に冠ってやって来た。
「え?仕事仕事」
「いっつも言ってね?それ」
これでコイツの国は繁盛しているのだから、凄いもんだ。
「そういや、知ってる?」
口を開いたニキが問いかける。
「今北の国で流行っている死病」
聞けば、北の方にある国から謎の病が広まっているようだ。
原因は不明、発症してからどうなるかも未だ解明されず。
「どうなるかも分からないってどーゆーことなん?」
「え、なんかぁ虚言?みたいな?あんま分かんない」
あ、オレこれ持ってるわ。
ごそごそと俺のタンスを漁りながらそう言った。
「おいおいおいやめ、」
「てかボビーさぁ、毎日夜中に」
どこ行ってんの?
ニキの視線が鋭く俺を突き刺す。
何故バレたんだ?
このことは出来ればコイツには隠しておきたい。
疑った目を向ける彼に、とぼけようと首を傾げた。
「…なんのこと?」
「誤魔化せると思ってんの?」
ダメだ、誤魔化せない。
コイツは時々とんでもなく鋭い。
「お前だから言うんだけど…」
ニキとは王族関連を除いても、こうやって本音で話せるほどの仲だ。
俺は溜め息を吐いて話し始めた。
「ボビーそれ恋じゃん!」
土足で俺のベッドに上がり、バフバフとシーツを叩くニキに軽く殺意が芽生える。
さながら恋バナを聞いた女子のようにニマニマと笑っているニキが言った。
「え、その子のこと迎えに行かないの!?“俺のお姫様”つってあはは、ははは、あは」
「はよ出てけ!!!」
明らかに茶化したくて仕方ない様子のニキを、ぐいぐいと背中を押して部屋から押し出す。
は、とひとりになった部屋で窓を見上げる。
騒がしい奴がいなくなるだけで、沈黙がいつもより深いような気がした。
「…雨降りそう」
静かな部屋で空を見れば、黒く靄が掛かったように薄暗くなっていた。
まちこと出逢ってから半年が経った。
いつからか季節は巡らなくなり、暗い冬しか来なくなった。
朝も、春も、夏も、秋も、永遠に失われたみたいだ。
この国でもニキが言っていた流行り病が来たようで、家のものも皆自室に閉じこもっている。
見えもしないモノに怯え、国民よりも保身に走るこの国のトップには反吐が出る。
ただ、誰が発症しているのかは確認が取れていないらしく、街も王宮も不気味な程に静まり返っていた。
「…まちこ、歌ってよ」
暗い部屋に蹲る彼女へ、鉄格子越しに声を掛ける。
ヂャラ、と鎖の音が響いた。
「…うん」
泣き腫らした目をゆったりと瞬かせ、まちこは小さくため息を吐いた。
独りが怖くて、俺は君をこんな檻に閉じ込めている。
すでにここの王宮には光がないから、真昼のような澄んだ声しか、俺には希望がないんだよ。
いつまでも明けないこの夜の世界で、彼女の子守唄のような声を聴くとひどく落ち着く。
この選択が君を傷つけていることなんかわかってる。
それでも俺は、そのちっぽけな身体に救いを求めてしまうんだ。
「ねぇまちこ…明日も歌ってくれない?」
自分勝手でごめんと言って鉄格子の隙間から彼女の手を握る。
びくり、と震えた冷たい手は俺の手を振り払わなかった。
「…せんせー」
弱々しく話しだしたまちこの声は、長時間の歌唱と泣き声で掠れている。
「ほんとはせんせーじゃ、なかったね」
王家の出身だったんだ。
「ごめん、許して欲しい。まちこに嫌われたくなかっただけなんだ」
そっと目を伏せた俺に、震える手で俺の頬に手を伸ばすまちこ。
「私の声、聞こえる…?」
するりと撫でるその手が冷たくて、思わず目を開けた。
「…せんせー」
何の曲、聴きたい?
優しくそう言ってまちこは俺の涙を拭った。
目の下には黒いクマができ、やつれたように痩せてしまった彼女。
それでもこちらを見る瞳は優しく美しかった。
小さな窓から見えるこの国の上には、空の青さを忘れてしまう程の暗闇が渦巻いている。
「私はどこにも行かないから」
そう呟くまちこの声は消える程に透き通っていて、それでも大地に根を張るように力強かった。
本当にごめん。
君を愛した俺を許して。
もうとっくに、君の幸せなんて願っていたあの頃には戻れないんだ。
ー第二章ー
朝も、春も、夏も、秋も、失われたあなたの世界はどう見えているのだろうか。
あの日からあなたには朝がやって来ない。
だからあなたの「おはよう」はもう聞けないんだ。
あなたと初めて出逢った日のことは今も鮮明に憶えている。
その日も親と喧嘩をして、いつものようにひとりで湖の周りで歌っていた時だった。
「君は誰?」
誰もいないと思っていたところから急に人が出てきて、思わず逃げようとすれば「…っ待って!」と引き留められる。
そこには、見るからに上質と分かるような服を纏った、深い藍色の髪の男がいた。
きっと王族関係の人間なのだろう。
滑らかな肌に長い睫毛の影を落として、静かに言った。
「君の声が、聴きたいんだ」
そう言った彼の顔が、泣きそうな幼子のように切なげで「また会えない?」という問いに頷いてしまった。
彼は遊び方を知らない、子どものようだったから。
最近しろせんせーの顔色が悪い気がする。
彼は自分の事を王宮で歴史などを教えている先生
でも、隠してるっていうことは暴かれたくないってことだと思うから黙っててあげる。
私、優しいからね。
いつものように星空の下で歌っていて、せんせーがぼんやりしているのに気がついた。
最近の彼は薄っすらとクマが出来ている。
彼は心配ない、と言って誤魔化すように空を見上げた。
私もつられて上を向く。
「…今日は月が出てないから暗いなぁ」
そう言うと彼はさも特別なことのように、明けない夜はないと言った。
「はは、あのね〜夏至を中心とした夏の南極圏には極夜ってのがあって、1日中太陽が昇らないんだよ。だから明けない日もあるよ」
せんせーなのに知らないんだ、そう揶揄ればしどろもどろに「知ってるわ!」と返ってくる。
いつまでもこんな時間が続くと思っていた。
時が戻ればなんて思いながら、 私はあなたをこんな檻に閉じ込めてる。
声が枯れるまで歌い続ければきっと気がついてくれるよね。
亡朝病と呼ばれる病気が流行りだした、 というのを風の噂で聞いた。
その頃からせんせーは湖に来なくなって、毎日退屈な日々を過ごしていた矢先の事だ。
今日も両親は帰って来ず、家にひとりぼっちでいれば真夜中にこつこつ、と扉が叩かれる音がした。
不安になり隙間から覗けば、驚いたことにそこにいたのは隣国の従者であり、黄色のマントを羽織っている2人の男がいたのだ。
「なん、ですか…?」
そう問いかければ、厳しい声でこう言った。
「着いて来て下さい。朝には必ず返します」
つまりこれは国王命令。
逆らえばどんな目に合わされるかも分からない。
「っ、はい」
震える声でそう言えば、決して傷つけないと約束します。と言い馬に乗るように促した。
「…ごめんなさい、乗り方が分からない」
こちとらただの平凡な町娘なのだ。
馬の乗り方なんて分かるわけがない。
「失礼しました、ではこちらに」
そう言って示したのは彼の後ろで、おずおずと乗れば「掴まっていて下さい!」と言いながら馬を|疾走《はしらせた。
そのまま隣国へ行くのかと思えば連れて来られたのは自国の王宮で。
「おい、何者だ」
城の門番が私の前の2人に言う。
「第4王子の…ニキ様から伝達は御座いませんでしたか?」
「…失礼、どうぞ」
門番は扉を開けると私達を中に入れた。
馬小屋に馬をつなぐと明かりを持ってこちらへやってくる。
「足元、ご注意下さい」
そう言って案内されたのは暗い螺旋になった階段で、下へ行くほどキィィンと耳が痛くなるほどの沈黙があった。
ここは。
「地下牢…」
その言葉に誰も返事をしなかった。
地下室の突き当りまでいけば、人が入った牢獄があることに気がついた。
「…っ、しろ、せんせーっ!」
鉄格子にしがみついて名前を呼ぶ。
彼は灯りのない部屋で手脚を鎖に繋がれ、口には猿轡のようなものを噛まされていた。
よく見れば打撲や擦り傷のようなものまで見える。
まるで凶暴な獣のような扱いに、責めるような口調になってしまう。
「なんでせんせーが、こんな…」
「亡朝病です」
重々しく、ひとりの門番が言った。
この国で一番初めに罹ってしまったのがこの第4王子です。
頭がぼんやりと霧がかかったように働かない。
手がカタカタと震えだす。
「彼は朝を失いました。今はまだ正気を保っている時がありますが、この先どんどん忘れてしまうでしょう。…今までの記憶や季節を」
彼が言った途端、繋がれた手脚をがむしゃらに暴れせるしろせんせー。
「下がって下さい!」
「っ…やめて下さいッ!!」
思わずそう口に出す。
狂獣のような扱いに、私は堪えられなかった。
「お願いです…!この鎖を外して下さい。…鉄格子の外には出しません、私がずっと側にいます!だからっ、」
ぱたぱた涙が溢れて、冷たいコンクリートの床を濡らす。
「なんで拘束なんてするんですか、!」
「人を傷つけます…ご自身の身体さえも、」
「…固定器具を外せ」
後ろから聞こえた若い声。
黄色いマントを翻してこちらへと向かう彼はどう見ても隣国の第一王子で。
「…っ」
「いやいい、そういうの」
慌てて跪こうとすれば止められる。
「今ここにいる間はただのボビーの…白井裕太の友達だから」
あぁ、彼もせんせーが大切なんだ。
固定器具を外されたせんせーがゆっくりと寝かされる。
「コイツから聞いた。すっごい歌が綺麗な人がいるって。毎日こそこそ会いに行くくらい好きなんだって」
初めてだった。ボビーのそういう話を聞くのは。
「なのに…こんな、」
彼は涙ぐみ目を赤くしたが、涙は見せなかった。
「…ボビー」
そう言えばニキ、と言う弱い声が小さく返ってきた。
「ほら、お前が好きなまちこりだよ」
その言葉に私を捉える。
「せんせー…」
「まちこ、ごめんほんとに。こんな、ことになっちゃって
「謝らないで…っ!!」
せんせーのせいじゃない。
「またさいつか…光の降る町を二人で、手を繋いで歩こうよ」
泣いていたことを悟られないように、無理矢理明るい声を出す。
空の青さを忘れるなんて
全く本当にあなたは馬鹿ね
「こんな暗い部屋に閉じ込めてごめん、ひとりが怖くて」
何故かせんせーは、自分が私を閉じ込めていると思っているようだ。
「…」
私はそのことを伝えられないまま側にい続けた。
嘘で固められた世界でも「 ごめんね、あなたに生きてて欲しいの」
眠ってしまったせんせーの髪を優しく撫で、そう囁く。
けれど。
時が戻ればなんて思いながら、 私はもう少しだけ諦めてる。
私が彼を閉じ込めてからどれだけ時間が経っただろう。
最近は正気を保っている時間のほうが少なくなってきた。
何度も檻の中で暴れては窓から青空を見つめ「…まだ、夜か」と絶望していた。
違うよせんせー。
今は朝だよ、太陽が見えないの?
そんな時私は彼が好きだった歌を歌うのだ。
力の限り。
声が枯れるまで。貴方に届くように。
そうすればだんだんと大人しくなりやがて静かに、泣きながら眠る。
薄っすらと涙の跡が残る頬に、私はそっと触れた。
らら、らり、るら
またいつか、光の降る街を、手を繋いで歩きましょう
声が枯れるまで歌い続けるのは、 貴方だけのためじゃない。
私のためでもあるのだ。
壊れてしまった貴方を見て、正気でい続けるための歌。
「…きみは、だれ?」
何も知らないあなたでいいの。
私はどこにもいかないから。
「…君の幸せなんて、 願ってたあの頃に戻れないんだ」
「知ってるよ、どうにもならないことも。 でも嫌いになんてなれなかったよ」
そう伝えれば安心したように微笑んだ。
きっともう、元のせんせーには戻れないんだろう。
「あけないよるはない、んだってさ」
誰かから聞いたようにそう口にしたしろせんせーに胸の奥が引き裂かれるように痛む。
明けない夜はないと教えてくれたくれたのはしろせんせーじゃないか。
「あなたを忘れないよ」
きょとり、と不思議そうな顔をする彼に言った。
「まちこ」
「なに?」
「ねぇ、俺本当に君が好きだよ…まちこ」
「なぁに?」
「君はどう?」
「私もあなたが好きよ」
ー第三章ー
ここはどこだ…?
目が覚めると見知らぬ暗い部屋にいた。
起きたばかりで働かない頭を振ると、 目の前に若緑の髪の透き通るような女の子がいることに気がつく。
視線を動かせば、テーブルには少しの食料や本…楽譜のようなものが散らばっており、彼女がここで生活していることを考える。
「随分暗いところに住んでるんだね」
おれがそう声を掛けると彼女は静かに俯いた。
まちこ。
おれの頭の中に唐突にその名前が浮かび上がった。
そうだ。
「君…まちこのこと、知らない?」
とっても綺麗な声で歌う彼女。
思い出せば今すぐにでも聴きたい気分になってしまう。
彼女はそんな声の持ち主なのだ。
おれはそんな彼女が好きなんだ。
「どこにも行かないって言ってたのにさ、おれを置いて消えちゃって…ひどいね」
なんて、冗談っぽくあははと笑う。
初対面の人間にこんなことを言われても困るだけだろう。
「でもいいんだ、おれはさ」
まちこが幸せなら、 それでいいよ。
またいつか、ひかりのふるまちを、 てをつないで、あるき、ましょう
誰が歌った、うただったっけ、
えっと、えっと。
おれの目の前に女の子がしゃがみ込む。
こちらを伺うような、気遣うような目で見た。
「君は…そっか、ここにいてくれるの?」
そう言えばこくり、と頷く彼女。
暗い部屋で彼女の肌は白く滑らかに映る。
そこでおれは、彼女が声が出せないことに気づいた。
だからこんなところに閉じ込められているんだろうか。
小さく震えている彼女の手をおれは優しく握った。
「夜が怖いときのおまじない、教えてあげるよ」
そっ、と握り返した手は異様な程に冷たい。
「明けない夜はない」んだってさ。
いつか誰かが教えてくれた気がする。
どこにもいかないって約束して、 指切りしたのは誰だっけ。
思い出すように口に出せば、目の前の女の子が悲しそうな顔をすることに気がついた。
心が張り裂かれるような悲痛な面持ちで眉を歪ませる。
「あれ、なんで…」
熱い何かが頬を伝うことに気がつく。手の甲で拭えば、透き通った液体がぽたりと床へ落ちた。
あれ、どうして
おれは、おれ達は、泣いてるんだ。
ぽたぽたと彼女の薄紫の瞳から涙が溢れる。
次から次へと珠のように流れる涙が冷たいコンクリートの床を濡らす。
「っ、ひく、っぐす、」
目の前の女の子が泣いていることが、何故かおれを苦しめた。
誤魔化すように空を見上げれば、雲一つない水彩画のような青空が目に入る。
「…ねえ、空が明るいよ。 そろそろ朝なのかな」
彼女がつられておれの見ている窓を見る。
「あぁ、空って青いんだね」
そんな当たり前のことすら今まで忘れていたようだ。
何か大切なことがあった気がする。
何にも思い出せない…
いいや、きっと何もない。
忘れるくらいなんだから。
そういえば。
「君の名前は?」
おれの問いに彼女は押し黙る。
しまった、声が出せないんだっけ…
申し訳なくなって声を掛けようとすれば、掠れた声が彼女の花びらのような唇からもれた。
「…ちこ」
掠れた声が聞き取りづらくて聞き返す。
「…なに?」
「まちこ」
「そっか、綺麗な名前だね」
そう言うと彼女は静かに俯いた。
ふる、と震える睫毛を濡らす彼女に話し掛ける。
「ねぇまちこ」
「… なぁに?」
「君は、えっと…」
なにを言おうとしたのか自分でも分からない。
当たり前のように唇から滑り落ちた言葉は続きを紡ぐことなく、2人の間に消えていった。
「私はあなたが好きよ」
ー第四章ー
この歌声をよく知っている。
ピクリとも動かない俺の身体。
しかし聴こえてくる美しい歌声は覚えている。
辛い時、苦しい時…いつも傍で歌ってくれていたから。
この泣き声をよく知っている。
意外と泣き虫で、人のために泣ける君。
そんなに泣けば綺麗な声が枯れてしまうだろ。
この呼び声をよく知っている。
君に名前を呼ばれるたびに俺の気持ちは晴れるんだ。
ちゃんと聞こえてるよ。
俺が助けに行かなくちゃ。
ぬらりと重たく絡まった闇に、目を塞がれているようだ。
何も見えない。
病に吸われ尽くした心はとっくに枯れている。
きっともう、俺はダメだ。
未来もないし希望もない。
でも君を助けに行かなくちゃ
また明日、もし今度があるのなら。
今度こそまた明日…
鮮やかな光の下で君に言うんだ。
「君を愛した、俺を許して」
その言葉が口から出ることはなかった。
静かな啜り泣きがやがて聞こえる。
泣かないで、泣かないでよ。
この手のひらをよく知っている。
する、と優しく頰を撫でられる感触。
この足音を、よく知っている。
あぁ そうだ。
お前は何回言っても勝手に部屋に入って来るんよなぁ。
おまけに足音はうるさいし、声もデカいし。
この呼吸をよく知っている。
頼むから早く目覚めてくれよ…
幸せも、愛も、十分すぎるくらい貰っているのに俺はどうして壊れたままなんだ。
静かな部屋に君の泣き声だけが響く。
あぁ君どうか、許しておくれ。
俺はとっくに夜に飲まれてしまったのに。
名前も忘れた君に、 「僕を捨てて、どこかへ行け」 と言えないんだ。
「…っ! 」
突然突き刺すような鋭い痛みが俺の眼球を襲った。
目を覚ませと早く起きろと殴りつけるように。
ばちりと目を開けば眩い光が視界に広がる。
鮮明な世界なんて、もう二度と見ることはできないと思っていたのに。
ふと横を見れば、大粒の涙をぼろぼろと零して呆然としているまちこが目に入る。
「まち、」
「せんせー…」
掠れてほとんど吐息のような声。
でも俺には、はっきりと聞き取れた。
「ひく、明けないっ、夜は、なかった…っ」
ぎゅ、力強く抱きしめられ俺はそっと背中に手を回す。
「ごめん、まちこ。待っててくれてありがと…っ、」
ぽたりと瞳から涙が溢れた。
一体どれだけの時間を、待たせてしまったのだろう。
「っ、貴方を信じてたよ…」
俺の腕の中でぽつりとまちこが言った。
しばらくおたがいにただ、体温を感じている時間が過ぎた。
風景と化したニキを見れば、ぐすぐすと鼻水を垂らしながら泣いていた。
お前そう言うキャラじゃなかっただろ。
「お前も…ありがとな」
「…許さない。まちこりと結婚して、子どもの名前をニキ2世にしないと、一生許さねぇから…っ」
「死ぬほどダサいわ!」
そう言って腕の中にいるまちこを見る。
ぱちりと濡れた瞳が重なった。
「まちこ」
「…なぁに」
「まちこ、そうだ…まちこ。君の名前だ。ねぇ、まちこ」
「なぁに」
「怒って…る?」
「あなたは馬鹿ね」