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昨年の明和九年は、誠に迷惑(めいわく)な年だったぜ。
江戸を焼き尽くした目黒行人坂大火に始まって、陸奥国(むつのくに)で起きた大地震やら、讃岐国(さぬきのくに)で起こった辰の洪水やらで、みなが、めいわく、めいわくと騒ぐもんだから、天子様も心を痛めて元号を「明和」から「安永」に改めちまった。
そりゃあ、刑場人足のオラにとっても印象深い年だったよ。
何せ、その目黒行人坂大火の付け火の下手人、真秀(しんしゅう)って小坊主の御仕置きに立ち会っちまったんだからな。
まあ、他言無用と命じられているから酒の席とはいえ、細けえことは喋れねえが、オラの人生でも一等に悲しい出来事だったよ。
あんな切ないことはないぜ…
オラは今でも、あの小坊主が下手人だとは思ってねえんだ。
あんな、真っ直ぐな目をした科人なんているわけねえよ。
きっと、火盗の奴らが功を焦って、無実の小坊主に、付け火の罪をなすり付けやがったんだ。
そういやぁ、その真秀って小坊主をお縄にした火盗の長谷川様って頭は、出世して都のお奉行様になられたそうだが、出世と引き換えに無実の小坊主を焼き殺しちまったんだから、さぞや後生が悪かろうぜ。
まあ、出世させた田沼様も同罪ってもんだ。
しかし、この火事で一等割を食ったのは大円寺の和尚だな。
いくら、陰間遊びに興じていたからって、今後、一生涯に渡って寺の再建を許さないってな、いくらなんでも酷すぎる。
まあ、付け火の極悪人を寺から出しちまったんだから、しょうがねえと言えばしょうがねえんだが…
それに、昨年は奇妙な事件も多かったよ。
五百石の旗本、亀井隼人ってお侍が、何の理由もなく女房を手打ちにしたって言うじゃねえか。
しかも、亀井隼人はやっとうが苦手だったから、一刀のもとに袈裟斬りって訳にはいかず、テメエの女房をなますにしちまったって言うから、おっかね話だよ。
奥座敷は血の海だったらしいぜ。
それなのに、お上からのお裁きは「お構い無し」っていうから驚いちまう。
女房の実家は怒り狂って、方々に手を尽くしてお裁きのやり直しを訴えたみてえだが、とうとう覆らなかったそうだ。
まあ、そんな不公平なお裁きなんて、日常茶飯事で珍しくもねえんだが、珍しいのは、せっかく「お構い無し」のお裁きで、お家は安泰だったにも関わらず、当の亀井隼人は、自ら五百石の旗本って大店を畳んで、出家して坊主になっちまったっていうから呆れちまうよ。
偉れえお侍が、何を考えているかなんてオラみてえな卑しい人間にゃあ分からねえや。
まあ、分かりたくもねえけどよ。
そういや、最近は小石川養生所に人が押し寄せてるらしいじゃあねえか。
何でも、古くから天子様を強え霊力でお護りしていた白川王家のお公家様が、神社でも祓えない悪霊を、立ち所に祓ってくれるらしいんだ。
しかも、身分に関係なく祓ってくれるっていうから嬉しいじゃあねえか。
まあ、こんな嬉しい話をたまに聞かなきゃ、オラ達みてえな貧乏人は生きていけねよ。
さて、元号が安永になったからには、この世の安寧が永遠に続けば良いと願ってはいるが、どうなることやら…
刑場人足ごときには関係のねえ話だが、お役人様に聞くと、しばらく田沼様のご権勢が衰えることはねえっていうから、良い年になるはずがねえわな。
まあ、頑張って生きて行くさ。
さあ、一杯やりなよ。
-完-
最後までお読み頂き、ありがとうございます。
霊枢治療師シリーズ 第一部 白川涼雨「雨供養」は全三章の構成になっており、とりあえず第一部の第一章の物語が完結しました。
この物語は、第0部(伯雨編)、第一部(涼雨編)、第二部(時雨編)の三部構成になっており、全ての物語が時代を超えて繋がります。
次回は、第0部(伯雨編)の連載をスタートさせる予定です。
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