※七話目。続き。話の舞台が昔から現代に飛んでます。
『───この世界は、膨大な数の歯車をもとにして成り立っている。ここで言う歯車とは、物質的要因や状況的要因含め、この世の存在すべてのことを指す。それらが互いに何かに影響しあうことによって、物事は成り立ち、かつ進んでゆくのだ。いわば世界とは、その歯車という動力をもとに起動せらる機構のようなものでもある。よって、世界に存在しうるすべてのものに不必要な存在などなく、(その存在が欠けているだけで世界は今のように在ることは不可能だからである)それら・彼らは生まれるべくして生まれ、出会うべくして出会ったのだ。』
何もロマンチックなことを言いたいわけでは無いが……と、この章はそんな言葉で締めくくられていた。
はぁ、とため息をついてページから顔を上げる。読みすぎたのか、少々眉間が痛む気がした。束の間、物思いに耽った。
いくら内容が学術的なものであっても、それら全てを鵜呑みにしてしまうわけにはいかない。ましてや著者は、一度も会ったことのない顔も知らない赤の他人だ、モノの見方も考え方も異なるのは当たり前。もしそんなことをしたら、間違いなく自滅の道に進むよりほかなくなってしまう。そんなことは分かっている。しかし、この本の言うところを、ほんの少しでも信じてみるなら───
目線が泳ぐ。微かな不安が胸を掠めた。脳裏には兄の顔が浮かんでいた。
もし、この言葉を信じるならば。
兄が、本来なら決して交わることのできない、主義も思想も異なる彼らと出会ったのも、そして、行動を共にするようになったのも、必然的な出会いとその結果であったと……運命そのものであったと、言うことができるのだろう か。
「………」
壁にかけられた時計に目をやる。午後八時を回ろうとしていた。
「……………」
まだ、父が生きていた時代から壁にかけられたままの時計。その時から動き続けている、とても古い時計。その朱塗りの木枠は幼い頃の自分には相当高いところにあるように思えた。しかし今では、手を少し伸ばせば容易に届いてしまう。
「……行かなきゃ」
約束の時間まであと少しだ。それまでに、現地に到着しなければならない。
読書好きの弟は、兄のことを思いながら、今まで読んでいた本を閉じた。分厚いそのハードカバーには、金で題名と著者名が彫り込まれている。その“オストワルト・エイザ”の名前を指で思い切り弾くと、彼は立ち上がった。彼の、頭に被ったヴィノク(花冠)から伸びた長いリボンが吹き流されて、部屋を出ていく彼の後方、頼りなく揺蕩った。
───父がいなくなってから、何年も、何年も経った。あの頃とはもう、見える景色が違う。できることも増えた。知らなかったことを知った。自分に何ができて何ができないかを理解した。その上で、兄弟で支え合って生きてきた。そしてついこの前、数多くいた兄弟はそのほとんどが独立した。
しかし、その長い年月の中で少しも変わらなかったものがある。
父の代わりとなり、常に愛情を注いでくれた、唯一の、兄の存在。
皆彼を愛していたし、彼も皆を愛していた。
………筈だった。
だからなのか。
愛しすぎたが故の苦悩など、この時、誰も知る由もなかった───
夜の繁華街、雑多な街。日はとっくに落ち、空は墨を流したように黒く、暗い。にも関わらず、地上は立ち並ぶ店々のまばゆいネオンサインや漏れ出る光などによって、足元のゴミ一つ見つけられるくらいに明るかった。喧騒が常に耳を打ち、道を行く人々の熱気が、そこここに満ちている。
雑多で、猥雑な場所だった。
アスファルトの道路は所々ひび割れ、舗装の跡やら訳のわからぬ液体やらで汚れている。道の窪んだところに形成された汚水の溜まった水たまりは、もれなくケバケバしいネオンの光を反射して赤や緑に輝いていた。
………雑多で、猥雑な場所だった。
だから当然、卑猥でいかがわしい店も存在するわけで。
無駄に明るい店の前で、メイド服のような、白いフリルのたくさんついた、黒っぽい服を着た女が呼び込みをしていた。極端に布の面積の少ない服だった。顔には厚ぼったい化粧までほどこしてある。もちろん同じような格好をして店頭に立っている女など、そこかしこにいるのだが……ここでは特別に、彼女に焦点を当てることとする。なぜなら彼女が客の呼び込みとして、この話において重要な立ち回りをするであろう人物の一人に、その時たまたま声をかけたからである。
「あ‼︎ ねーおにいさぁん、ちょっと寄ってかない?今ならめっちゃ安くできるからさー!」
「………は?」
下品な格好をしたその女は、目の前を歩いて通り過ぎようとした男に、馴れ馴れしくも声をかけ、腕を絡めた。しかし一方の絡められた方の男は、露骨に嫌な顔をした。
「………何、お前…」
苛立ちのはっきりと混ざった低音だったが、女は気にするそぶりもなく男の隣に目をやり、
「あ!おにーさんたち、三人組なんだ〜!いいよいいよ、みんな寄ってってよ!」
と甲高い声を上げた。
「ねぇねぇどうする?コースは何がいい??中にもいっぱいいるからさ!多分サービスできると思う!ねぇいいでしょ、みんな来てよ!」
女は一人、キャンキャンとまくし立てる。しかしそんな声も、周りの喧騒に吸い込まれてしまう。それほどにその繁華街はうるさかった。
唾を飛ばしながら喋り続ける女に目もくれず、三人の男たちのうち、一人がぼそりと呟いた。
「……下品な女だな」
「ハッ、同意」
もう一人がそれに応じる。女には聞こえていないようだった。その時その女が、
「てかおにーさん、なんで夜なのにサングラスしてんのぉ?とりなよ!」
と言ったので、最初に呟いた彼がすかさず手を伸ばし、男のサングラスをとった。取られた男が、動揺も顕に怒鳴る。
「はっ⁉︎ テメェざけんじゃねぇよ何勝手なことっ………」
「わぁあおにーさん超イケメンじゃん!もったいないよ、外してなよ〜!!」
女がかぶせるようにそう言った途端、まるで堪えられない、とでも言うふうにサングラスを手にした男は吹き出した。
「ギャハハハハ!マジかよ!!おいアメ公、かっこいいだってよ、まじ笑える!!!」
「るっせぇなぁ!かっこいいのは元からだろーがよ!!!」
「何言ってんだよ頭沸いてんのか?アハハハ!!」
「目ぇ腐ってんのはそっちだろうがよロシ公!!」
「ロシ公っての初めて聞いたアル……」
アメ公、ロシ公と互いのことを罵り合った男二人は、顔を見合わせた刹那、二人して盛大に吹き出した。バカ笑いがその場に爆発する。一方、気勢を削がれた女は、所在無げに引き攣った笑みを顔を貼り付けて突っ立っていた。
「……あ、そーだ」
サングラスを取り返した男はいきなり、隣にいた男に一方的に肩を組み、
「すまねぇけどオネーサン、俺らこれから行くとこあんだわ。だから今日は勘弁。それじゃな!!」
と言い放って、絡まれていた腕を無理やり解くと歩き出した。肩を組まれた男がよろけて歩き出す。残った一人も、遅れながらついていった。残された女が声を上げる。
「なんで!?どこ行こうってんだよ!」
「あちゃー……めっちゃ怒ってるゥ……」
チャイナ服と思しき服の裾をパタパタさせながら、一人が振り返って女を見た。サングラスを頭に乗せ直した男が面倒臭そうに振り返る。
「みっともねぇ。本性剥き出しじゃねーか」
「アメリカ、どうするネ?」
チャイナ服の男にそう聞かれ、アメリカと呼ばれた男は、ニヤッといたずらっ子のような笑みを浮かべると、
「……ホテルだよホテル‼︎‼︎ 」
そう大声で言い返した。女がポカンと口を開けて間抜けヅラを晒したのを見るや、アメリカと、チャイナ服を着た男は二人同時に爆笑しだした。
「あ゛はははははははははは!ホテルってお前っ………腹痛いアル‼︎ 」
「ヒャハハハ‼︎ 見たかよ中国!あいつの顔ったら!!あーまじでおもしれぇ‼︎ 」
「ぅお゛ぇえっ…」
「お前吐くな!ごめんって!あ゛はははは!!!」
「アメリカテメェ言っていい冗談と悪い冗談ってのがあってだな……」
「ロシアお前馬鹿か?んなこと俺だって分かってらぁ!」
「まぁそうだよなww」
ゲラゲラ笑いつつよろけつつ、三人は歩いて行った。
明らかに場違いだったかの女は、声をかける人選を完全に誤ったようである。
言わずもがなこの若い男たちは、中国、アメリカ、ロシアの三人組である。まあ彼らは国の化身ともいうべき存在なので、ある程度のところまで成長したら、その後何年経とうと見た目は青年のままあまり変わらなくなるという暗黙の了解があるのだが、無論彼らにもそれが適応されていた。
まず、アメリカ。チャームポイントのサングラスをかけており、ファー付きの上着を羽織っている。上着の下に来ているものと言えばNATOのロゴ入りTシャツ。こればっかりはご愛嬌だ。 対してロシアは、決して飾り物などではなく本物のファー付きの上着を着込んでおり、頭にはいつも通りウシャンカを被っている。背はこの中ではダントツに高い。(先程までウォッカの瓶を片手に持っていたのだが、ここに来るまでの道中チンピラに一方的に絡まれ揉み合いになり、その際、相手の頭に瓶を叩きつけて粉砕したため今は持っていない。十数人いたチンピラどもに対し、たった三人で圧勝してしまったのはこの際触れないでおく。)最後に、中国。ややもすれば女物を着ていると思われかねない、どっちつかずのチャイナ服を着ているが、それをなぜか着こなしてしまっているのが彼である。いつも糸目でにこにこと笑っているような柔和な顔立ちだが、怒ると怖い───とか。
一見するとただの好青年三人組だが、その実、国力も軍事力もトップクラスの“絡んだらやばい奴ら”なのである。そこらの女にはまったく靡かない、下手に手を出せば再起不能になるまでやり返される。先ほどのモブらが良い一例だ。
「なぁなぁこのあとどうする?」
無邪気な声を上げたのはアメリカだった。肩を組まれたままだったロシアが苦労しながら腕を解きつつ、
「はしごすんのはさんせーだけど、別にどこでもいいぜ……な、中国もいいだろ?」
「構わないアル」
中国は二人に笑いかけた。途端にアメリカが嬉しそうに声を上げる。
「おっ、まじで!?こないだ良い店見つけたんだ、連れてってやるよ!」
「もちろんお前の奢りだよな?」
「ふざけんな!」
アメリカに思い切り頭を叩かれたロシアを見て、中国が笑った。ロシアが泣き声を上げる。
「い゛っっっだぁ‼︎‼︎ お前、力の加減もできねーのかよ!馬鹿力かよ!」
「わざとに決まってんだろ、お前だからだよ」
「うざい‼︎ 」
「………ふふ、馬鹿アルね」
「中国がバカって言ったぁ!」
「どうせお前のことだろ、ロシア」
「どっちもアルよ」
「はぁあああ⁉︎ 」
三人の笑い声は、辺りの喧騒に飲み込まれて消えて行った。
学校が始まってしまったため、今後、投稿頻度がガタ落ちすると思います。
すみませんが、よろしくお願いします。
ここまで読んでくださった方、ありがとうございます。
コメント
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そんな…ほんとに嬉しすぎます……ありがとうございます😭