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親戚の家の天井は低かった。
布団は清潔で、湯は熱く、食事は温かい。
なのに芹沢彩人は、
どれにも体温が移らない感覚を抱えていた。
眠れたか、と聞かれれば眠れたのだと思う。
目を閉じた。意識は途切れた。
だが心は休んでいない。
休むべき器官が、そもそもどこにもない。
綾斗の頭の中では、
昨夜の“事実”が何度も再生される。
ソファの2人。
3枚目の皿。
グラスが2つ。
そして矢島刑事の言葉。
「防犯カメラが生きてるのも気持ち悪いな。
事件の時刻だけ、ちゃんと映ってやがる。
…不審者がいない事を“証明”するみたいに」
証明。
綾斗は、
その単語がどこが決定的に 正しいと感じた。
説明ではない。
証明だ。
つまり――誰かが結論へ誘導している。
誘導とは、情報の配置である。
情報の配置とは、意図である。
(意図があるなら、行為がある)
行為があるのに痕跡がない。
だからこの事件は、行為の密室。
朝、矢島刑事から電話が来た。
声はいつもより硬い。
『坊主――いや、綾斗。今から署に来れるか』
「行きます」
『…来客用の皿の話。
あれ、現場の連中が気にし始めた。
もう1つ気になるのがある。カメラだ』
綾斗は息を吸った。
情報が増える。矛盾が減る。あるいは増える。
いずれにせよ、進むしかない。
所轄署の会議室は、書類の紙の匂いがした。
扇風機が回っている。冬なのに。
矢島刑事は机の上に、
封筒とDVDケースを置いた。
「これが防犯カメラの映像。
お前が言った通り、玄関と廊下だけ。
リビングは死角。
で――問題は“死角”じゃない」
矢島はリモコンを押し、
モニターに映像を出した。
玄関。廊下。静止画のような静けさ。
時刻が右下に表示されている。
21:46
21:47
21:48
綾斗は、まず“正常”を確認する。
フレームレートは一定。
ノイズも一定。
タイムスタンプも規則的。
映像は途切れない。
矢島が言う。
「この映像、事件の夜だけじゃなく、
前後の日も見た。全部、同じように動いてる」
「つまり、故障ではない」
「そう。故障じゃない。…じゃあ、何だ?」
綾斗は映像の“何も起きない時間”を見つめた。
何も起きない。
そのはずだ。
侵入者がいないのだから。
しかし――綾斗の頭は別の角度で問う。
(侵入者がいない事を証明する映像は、
何故必要だった?)
カメラがある家で犯罪を犯すなら、
通常は避ける。
壊すか。
視界から外れるか。
録画を止めるか。
あるいは映像を改ざんするか。
だがこの事件は違う。
「壊してない。止めてもいない。
改ざんも…ない」
矢島が言った。
「鑑識曰く、改ざん痕も見当たらないってよ。
少なくとも“映像の切り貼り”はない」
綾斗は頷く。
ここで重要なのは、
映像そのものの改ざんではない。
改ざんがないなら、映像は“正しい”。
正しい映像が示す結論は、“誰も入っていない”。
つまり――
犯人は、カメラが示す結論を利用した。
(犯人は、カメラの存在を邪魔だと思ってない)
(むしろ、必要だと思っている)
綾斗は口に出した。
「このカメラは、犯人の味方です」
会議室の空気が止まった。
矢島が眉をひそめる。
「味方?」
「侵入者がいないと証明する。
侵入者がいないのに人が死んだなら、
外部犯行は否定される。
結論が“自然死”に寄っていく」
矢島が低く言う。
「…自然死に寄せるために、カメラを残した」
「はい。壊すと“壊した理由”が生まれる。
止めると“止めた理由”が生まれる。
だから犯人は、正常を残した」
矢島は腕を組む。
「つまり、犯人は“自然死に見せたい”」
「自然死に見せたい、ではない。
自然死に“しか見えない”ようにしたい」
綾斗は、机の上の現場写真を指で揃えた。
ソファの2人。
争いの痕跡なし。
整い過ぎた姿勢。
穏やかではない、硬直した表情。
そして、食卓の3枚目の皿。
「皿がある時点で、自然死は不自然になります。
だから皿は矛盾。
でも矛盾が残るのに、
何故犯人は皿を片付けなかった?」
矢島が言う。
「片付ける余裕がなかった?」
「余裕がないなら、
尚更カメラを壊す余裕もない。
でもカメラは正常。
カメラが正常な時点で、犯人は“余裕がある”」
矢島は黙った。
綾斗は続ける。
「矛盾が残ったのは“失敗”じゃなくて、
“誘導のための情報”の可能性があります。
つまり、皿は“誰かがいた”事を示す。
でもカメラは“誰も入っていない”事を示す。
この2つを同時に置くと、僕はこう考えます」
綾斗は白板に書いた。
来客がいた
しかし侵入者はいない
なら来客は「侵入」ではない方法で来た
→家族として入れる人物
矢島が、ゆっくり息を吐いた。
「…家族」
綾斗は頷いた。
「“家族として入れる”のに、
“家族として数えられていない”。
その矛盾が、この事件の核です 」
矢島は別のファイルを開いた。
法医・榊(さかき)の詳細鑑定の速報。
「薬物反応はやっぱり陰性。
睡眠薬も、一般的な毒物も検出されてない。
窒息初見もなし。刺し傷もなし。
ただ――榊が気にしてる点がある」
矢島は紙を指で叩いた。
「“死亡推定時刻が正確過ぎる”」
綾斗は目を細めた。
死亡推定時刻は通常、幅を持つ。
体温、死後硬直、眼球の混濁、胃内容物。
そこから推定するが、誤差は必ず出る。
矢島が言う。
「なのに今回、誤差が異常に小さい。
榊曰く、
“同時に何かの刺激が入った可能性がある”」
刺激。
綾斗はその言葉を“情報”に置き換えた。
「視覚刺激、聴覚刺激、嗅覚刺激、接触刺激…。
でも接触は痕がない。
嗅覚刺激なら薬剤が残る。
嗅覚刺激だけで2人を同時に殺すのは難しい。
となると、視覚――つまり“見た”」
矢島が頷く。
「そうだ。榊もそう言ってた。
『2人は同時に、同じものを見た可能性がある』」
綾斗は紙に線を引いた。
同時刻
同反応
同死因(循環停止)
刺激=視覚情報
「同時に見て、同時に死ぬ。
その情報は2人にとって等しく致命的。
つまり――
2人が共有している“過去”に関係している」
矢島が言う。
「夫婦の共有する過去なんて、山ほどある」
「致命的なものだけです」
綾斗は、静かに言った。
「罪。
あるいは、封印している事実」
矢島は、視線を逸らした。
刑事という職業は、
善悪よりも“隠されたもの”に慣れている。
だがそれでも、
家族の罪に触れるのは胸が悪いのだろう。
綾斗は自分に言い聞かせた。
(感情は混ざるな。混ざると歪む)
会議室のドアがノックされ、
鑑識の若い男が顔を出した。
「矢島さん。食器の指紋、出ました」
矢島が身を乗り出す。
「誰のだ?」
「父母の指紋は当然として…
3枚目の皿、箸、
そこに“もう1人分の指紋が混じってます。
ただ――照合出来ません。登録がない」
矢島の顔が固まった。
綾斗は、内心で頷いた。
(“登録がない”)
(つまり、前科者ではない)
(あるいは、そもそも存在が記録されていない)
鑑識が続ける。
「それと、グラスは2つしかなかった件。
グラスの片方、口紅でも油でもない“皮脂”が
付着してます。父母のものではない可能性」
矢島が低く言う。
「…来てたのか」
綾斗は答えない。
答える必要がない。
事実が増えた。
・3枚目の皿は、実際に使われている
・その指紋は“照合出来ない”
・グラスにも第3者の皮脂
つまり、来客は仮説ではなく確定に近付いた。
だが同時に、矛盾は鋭くなる。
・来客は確実にいた
・しかし侵入者は映っていない
・鍵は内側から施錠
・凶器も暴力もない
なら、来客は「侵入」ではない。
“入室が正当化される人物”。
矢島が言った。
「親戚か。友人か?近所か?」
綾斗は首を振る。
「ならカメラに映る可能性がある。
それに、呼ぶなら来客は記録に残る。
電話、メッセージ、予定。
でもその痕跡が今のところない。
そして何より――
来客が“致命的な情報”になる理由が弱い」
矢島は歯噛みした。
「じゃあ何だよ。幽霊か?」
綾斗は淡々と言う。
「幽霊なら指紋は残しません」
会議室に、乾いた笑いが落ちた。
誰も笑っていない。
笑いの形をした疲労だ。
綾斗は映像をもう1度見た。
廊下。玄関。
誰も通らない。
ただ1つ――気になる瞬間がある。
「…この時間」
矢島が覗き込む。
「どこだ」
綾斗は時刻を指差した。
21:52:14
映像の端、廊下の奥の暗がりが、
一瞬だけ“濃く”なる。
ノイズに見える。
しかし綾斗には“規則”が見えた。
「光量が変わってます」
矢島が眉を寄せる。
「照明のちらつきか?」
「違う。照明なら部屋全体が変わる。
これは奥だけ。
つまり、奥で何かが“光を遮った”」
矢島が唸った。
「人影…?」
「可能性はあります。
でも“人影なら何故玄関に出ない”?
影があるのに、人が映らない。
この矛盾は、現場全体と同じ構造です。
“存在しているのに、
存在していないように見える”」
矢島は黙り込んだ。
綾斗は結論に飛びつかない。
飛びつけばミステリは崩れる。
必要なのは、証明可能な“次の手”だ。
「矢島さん。廊下の奥って、階段ですか?」
「そうだ。2階へ上がる階段」
「事件当夜、僕は2階にいた。
つまり、廊下の奥へは誰も行っていないはず」
矢島が言う。
「…お前が降りてきた可能性は?」
「僕が降りてきたなら、カメラに映ります。
でも映っていない。
だから、降りていない」
「じゃあ、その影は誰だ」
綾斗は、1拍置いてから言った。
「“僕がいる事が自然な人”。
つまり――僕の部屋に行く理由がある人」
矢島の目が、鋭くなった。
「家族か」
「ええ。
ただし、父母はソファにいる。
なら“家族”はもう1つしかない」
綾斗は、言いかけて止めた。
まだ言わない。
今言えば、それは推理ではなく宣言になる。
矢島刑事は、
綾斗の沈黙を見て、察したように言った。
「…お前、何か掴んでるな」
綾斗は答えない。
代わりに、ノートに“次の確認事項”を書いた。
・家族構成の記録(戸籍)
・出生記録(病院)
・児童福祉の記録(施設)
・父母の交友関係
・事件直前の通信履歴
矢島が言った。
「そこまでやるなら、俺も付き合う。
だが――戸籍は簡単じゃない」
綾斗は頷いた。
「簡単じゃないほど、価値がある」
会議室を出る時、
綾斗は廊下の窓に映った自分の顔を見た。
目の下の影が濃い。
まだ子供なのに、老人みたいな視線だ。
(僕は、探偵になった訳じゃない)
(探偵の形に壊れただけだ)
だが壊れたなら、壊れたまま使うしかない。
この事件を“成立”させるために。
矢島が背中越しに言った。
「綾斗。帰りに1つ、寄るぞ」
「どこへ」
「病院だ。お前の出生記録、残ってるかもしれん」
綾斗は小さく頷いた。
その瞬間、心臓が1度だけ変な鼓動を打った。
怖いのではない。
期待でもない。
ただ、条件が揃い始めた時の――
論理の手応えだ。