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夜の空気は、少し湿っていた。
女子研究大学のメンバーたちは、しろせんせーの家で集まり、いつものように軽い宅飲みを楽しんでいた。リビングには缶ビールとチューハイ、ポテトチップスの袋が散らばっている。笑い声が部屋のあちこちで響いていたが、中心にいたしろせんせーは、ひとり静かにグラスを持ったまま、ほとんど喋らなかった。
沈黙に気づいていた者もいたが、深く踏み込むことはなかった。
「アンチの話になると、やっぱり、ね。ま、せんせーにはアンチなんて無縁の話か、」
何気ない口調で、りぃちょがそう口にした。
その瞬間だった。
「……今、なんて言った?」
しろせんせーの声が、今までに聞いたことがないほど低かった。口調は平坦なのに、そこに凍てつくような怒りが宿っていた。
空気が、急に変わった。
「え? 別にそんな、深い意味で言ったんじゃなくて……」
りぃちょは慌てて笑いながらごまかそうとしたが、間に合わなかった。
「ふざけるなよ……!」
叫びと同時に、しろせんせーは立ち上がり、手にしていたグラスを床に叩きつけた。割れる音が部屋に響き、誰もが凍りついた。
一瞬の沈黙のあと、しろせんせーは、りぃちょに向かって拳を振るった。
「やめろっ!!」
ニキが叫びながらしろせんせーに飛びかかり、キャメロンもすぐにその体を押さえつけた。
「落ち着けって!なぁ!やめろよ!お前、どうしたんだよ!」
「離せ!!……俺に触るなっ!!」
しろせんせーは全身を使って暴れた。涙が、頬を伝っていた。
「なんで……なんでそんな簡単に言えるんだよ……っ!!俺がどんな思いで……っ!!」
彼の声は叫びというより、咆哮だった。奥底から突き上げるような、剥き出しの痛みがにじんでいた。
りぃちょは、床に座り込んでいた。言葉を失っていた。拳は当たりこそしなかったが、恐怖と罪悪感が混ざり合い、視線を逸らせなかった。
そして、18号が音を立てて立ち上がった。無言でしろせんせーを見つめ、そのまま静かに口を開いた。
「……見損なった」
その言葉は、しろせんせーの胸に鋭く突き刺さった。
彼の瞳からは、涙が一筋だけこぼれ、力なく頬を滑り落ちた。
「……帰る」
18号が玄関のドアを開け、何も言わずに出ていった。その足音が遠ざかるたびに、しろせんせーの呼吸が荒くなる。
「もう……もうええって……何もかも、ぐちゃぐちゃや……」
ニキとキャメロンが、どうにか声をかけようとした。
「なぁ、ボビー……今は、ちょっと落ち着いて──」
「うるさい!!お前らに何がわかる!!」
突然、怒鳴り声がリビングを割った。
「今の俺、何するかわからないんだよ!!だから……だからお願いだから、出てってくれよ……頼むから……っ!!」
そう叫んだしろせんせーは、両手で耳を塞ぎ、うずくまった。
ニキとキャメロンは言葉を失いながらも、立ち上がった。
「……お前のこと、置いていけるわけないだろ」
「それでも……! それでも俺は……怖いんだよ……!!」
嗚咽混じりの声で、しろせんせーは泣いた。嗅いだことのない苦しい空気が、部屋を満たしていた。
キャメロンが、何かを思い出したように呟いた。
「……まちこなら、話せるんじゃないか?」
ニキが頷いた。「そうだな……あいつ、今は別の場所にいるけど……」
「連絡してみるよ。きっと、何とかしてくれる」
そう言って、ニキはスマホを取り出した。
そして、その夜は静かに終わった。
しろせんせーは、何も食べず、何も言わず、ただ暗い部屋の中で、泣き疲れて眠りについた。
夜が明けた。
玄関の外では鳥が鳴いていたが、その音すら、しろせんせーの耳には届かなかった。カーテンは閉め切られ、部屋は暗いまま。電気もつけず、昨日のままの格好でリビングのソファに倒れ込んでいた。
目を閉じても、りぃちょの声、18号の言葉、あの時の叫び声、ガラスが割れる音……すべてがぐるぐると頭の中をまわっていた。
「……うるさい……全部、うるさい……」
何度呟いても、思考は止まらなかった。
頭をかきむしっても、喉がかれるほど泣いても、心の中のざらついた痛みは、まるで膿のように滲み続けていた。
ドアのチャイムが鳴った。
ピクリと身体が動いたが、しろせんせーは反応しなかった。
しばらくして、玄関の扉が開く音がした。
「……せんせー、入るよ」
ニキの声だった。キャメロンの足音も後に続く。
「……なに、勝手に……」
寝ぼけたような、乾いた声で呟く。
「無理やり入った。心配だから」
「……帰れって言ったよな」
しろせんせーは起き上がらずに、天井を見たまま言う。
「それでも放っておけるわけないでしょ」
ニキの声には、優しさと、それ以上に痛みがにじんでいた。
キャメロンも口を開いた。
「……言いたいことは山ほどある。でも今は、とにかく無事でよかったって、それだけ……」
「無事なんかじゃねえよ……」
ぼそりと吐き出したその言葉には、底が抜けていた。何も残っていない空洞から零れるような声だった。
「俺さ……昨日、人殴ったよな。最低だよな……」
「……気持ちは、分かるよ。でも……」
「わかるわけねえだろっ!!」
突然、しろせんせーがソファから跳ね起き、怒鳴った。
「お前らに……お前らに俺の何が分かんだよ……! あいつに言われたんだよ、『見損なった』って……! 俺、もう終わりだよ……! 終わりなんだよ……っ!」
喉が裂けるほどの声だった。
その叫びに、ニキもキャメロンも、しばらく何も言えなかった。
「今の俺……マジで何するか分からない……っ。だから……だから頼むから……出てってくれよ……!!」
嗚咽が混じっていた。
喉を詰まらせ、吐くような息の中で、彼は懇願していた。
「もう誰にも……近くにいてほしくないんだよ……!」
ニキは言葉を飲み込んだまま、視線を落とした。
キャメロンも、俯いて拳を握っていた。
「……わかった。俺たち、出るよ。でも……」
「もう何も言わないでくれ……頼む……俺は、俺が怖いんだ……」
ドアの近くまで歩いていたニキが、何かを思い出したように立ち止まった。
「……まちこ、呼んでみようか?」
キャメロンが横で静かに頷いた。
「うん……あの子なら、きっと……」
しろせんせーは、膝を抱えたまま、何も答えなかった。
ただ、目を閉じて、全ての音を遮るように耳を塞いでいた。
玄関のドアが静かに閉まる音がした。
そのあとは、物音ひとつしない、深い沈黙が部屋に落ちていた。
一人きりの空間。
崩れ落ちそうな孤独に、しろせんせーは身を委ねていた。
次の日の午後、太陽は高く昇っていた。
窓から差し込む光はやわらかく、ほんの少しだけ室内の空気をぬくもりで包んでいた。けれど、部屋の主にはそれさえも、ただ眩しすぎるだけだった。
ソファで膝を抱えていたしろせんせーは、耳を塞ぎ、何度もまぶたを閉じていた。時計の針の音すら煩わしく、生活音は一つも鳴らない。
玄関のチャイムが鳴った。
反射的に身を強ばらせる。
誰かが来た。それだけで呼吸が乱れた。
「……せんせー、いるよね?」
その声は、懐かしかった。聞き間違いでなければ
──まちこりーた、だった。
「……なんで……」
声が漏れた。
「開けないなら、勝手に入るよ。合鍵、まだ持ってるから」
しばらくして、鍵が回る音がして、玄関のドアが開いた。
「ただいまー」
まちこりーたは、何事もなかったように明るい声を放った。
そしてリビングに足を踏み入れる。部屋の暗さに、一瞬だけ表情を曇らせたが、それをすぐに微笑みに変えた。
「来ちゃった」
「……なんで、来たん……?」
しろせんせーの声は震えていた。
目も合わせず、顔を膝に埋めたまま、搾り出すように言った。
「ニキニキたちに頼まれた。来てくれって」
まちこりーたはそう言いながら、遠慮なくソファの横に腰を下ろした。
「……聞かないのかよ」
「ん? なにを?」
「昨日のこと。……暴れたこと。りぃちょ殴ったこと……」
「……無理に聞いても、ね。せんせーが話したくなった時に話せばいいと思ってるよ」
静かだった。
その静けさが、痛いくらい優しかった。
「……なんで、そんなふうに……」
「昔から、そうでしょ。せんせーって、何でも抱え込みすぎるから。全部口に出せってのは無理だってわかってるし、だからそばにいるだけ」
言葉の刃も、正論の鎧もなく、まちこりーたはそこにいた。
ただ、隣に。
「……俺、最低だよ。あんなことして、あんなふうに怒鳴って……みんなのこと、ぐちゃぐちゃにして……」
「うん、最低かもね。でも、人ってそんなもんだよ」
即答だった。
それが冗談じゃなくて、まちこりーたの本音だってことは、しろせんせーにちゃんと伝わっていた。
「……そうやって言ってくれるけどな、俺はもう、誰にも顔向けできへん」
「……なら、今は無理して顔向けなくていいよ。そんな時間だって、人には必要だもん」
しろせんせーは、顔を歪めて唇を噛んだ。
「……お前は……どうしてそんなふうに、俺を普通に見れるんだよ……。俺なんか、見てて気分悪いだろ……」
「気分悪かったら来ないよ」
淡々とした口調。でも、その奥にある感情はとても、あたたかかった。
「……ありがとな」
やっと出てきたその一言に、まちこりーたは少しだけ、微笑みを深くした。
「お腹すいたでしょ。何か食べに行こうよ」
「……外……ムリや……人の目が怖い……見られるのも、なんか言われるのも……全部無理……」
「うん、いいよ。すぐ帰ってきてもいいから。コンビニでも、ちょっと歩くだけでも」
しろせんせーは、しばらく悩んだあと、ぎこちなく立ち上がった。
「じゃあ……ちょっとだけ」
玄関で靴を履きながら、何度も振り返る。
そのたびに、まちこりーたが「大丈夫だよ」と目で伝えてきた。
外に出た瞬間、しろせんせーの呼吸が浅くなった。
風が肌に触れ、人の視線がある気がして、胸が苦しくなる。
五分も持たずに、「やっぱ帰る」と言い出した。
部屋に戻ってから、しろせんせーは財布から何かを取り出して、まちこりーたの手に押しつけた。
「……これ」
「なに?」
「……今日来てくれて……ニキたちの代わりに……感謝代……」
「……いらないよ」
「受け取れよ……頼むから……っ。俺……何も返せねぇから、せめて……」
その言葉を、まちこりーたは静かに遮った。
「来てよかったって思ってる。それが一番だから。お金で受け取ったら、なんか全部台無しになる気がしてさ」
笑って、手を握り返す。
「ほんとに、ありがと。じゃあ、帰るね。また来るよ」
玄関のドアが閉まる音。
それが響いた瞬間、しろせんせーは膝から崩れ落ちて泣き出した。
「なんでだよ……なんで……俺なんかに……そんな優しくしてくれんだよ……っ」
声にならない声が、リビングに響く。
握った拳は震え、床に爪を立てて嗚咽が止まらなかった。
そしてその夜。
布団にもぐっても、身体は震え続け、意識はぼんやりとしながら、思考が底なし沼のように沈んでいった。
「もう……疲れた……」
その呟きは、誰にも届かないほど小さなものだった。
部屋の空気は、死んでいた。
カーテンは閉じ切られ、時計の針はいつからか止まったままになっている。食べかけのごはん、飲みかけの水。どれも放置されていた。
テレビもスマホも、電源は入れられなかった。音が怖い。現実に引き戻されるのが怖かった。
三日間、しろせんせーは、ただ呼吸だけを繰り返していた。
でもその呼吸すら、意味がないと感じていた。
食べず、眠らず、ただ天井を見ていた。
「……俺、生きてる意味、ないな」
呟きのように。誰に届くこともなく。
ベッドに仰向けになり、指先だけを動かす。
思考はもう、現実から乖離していた。痛みも寒さも、空腹さえも、ただ遠くにあった。
――このまま死んだら、誰が悲しむんやろ。
浮かぶ顔が、ありすぎて、そして、なさすぎた。
ニキ。キャメロン。まちこ。……りぃちょ。じゅーはち。
みんなの顔が、脳裏をよぎっては消えた。
でも、彼らの涙が見たかったわけじゃない。
ただ、今の自分がどれほど壊れているのか、誰かにわかってほしかった。
「……死にたいんやなくて、終わりたいねん……」
その一言が、あまりにリアルだった。
ふらりと立ち上がり、薬箱を開けた。
いつか病院でもらった、眠剤、抗不安薬、ロキソニン、整腸剤、痛み止め。ごちゃ混ぜの薬を全部机の上に並べて、一つひとつ、無表情で蓋を開けていった。
「……これで、眠るように、終わるなら」
グラスに水をなみなみと注ぐ。
机の縁に手を添え、震える指で薬をまとめてつかんだ。
――止めてほしいって思ってる。
心の奥で、ずっと誰かに気づいてほしかった。怖かった。
でも、玄関のドアは閉まったままだ。誰も来ない。
「……ありがとうな、みんな」
最後の言葉を声に出して、薬を口に入れる。水を一気に流し込んだ。
胃が重くなり、意識が遠のいていく。
そのまま、クローゼットに引き寄せていた古びたロープを取り出した。
震える手で結び目を確かめながら、ため息のような嗚咽が漏れた。
「……ごめんな……」
足元の踏み台に乗り、ロープに首を通す。
息が詰まる。その瞬間、耳鳴りがした。苦しい。でもそれ以上に、静かだった。
視界が霞み、身体から力が抜けていく。
――ガチャ。
「ボビー!?」
玄関のドアが開いた音と、ニキの声。
「……っ! ボビー!!」
走る音。部屋のドアが勢いよく開かれ、ロープの先に揺れる身体を見た瞬間、ニキは何も言わずに動いた。
踏み台を蹴って、抱きかかえて、揺れる身体を下ろす。
荒い呼吸の中で、震える声が漏れた。
「死ぬなよ……死ぬなって……っ!」
床に倒れたしろせんせーは、意識を失っていた。顔は青白く、汗が滲んでいた。
ニキは泣いていた。手は震え、唇を噛みしめていた。
スマホを取り出し、震える指で救急を呼ぶ。
「今すぐ、救急車……! 友達が……首吊って……薬も……! 吐いてないです……!」
通話の声は、掠れていた。
それでも必死だった。
「お願いだから……まだ間に合って……」
その後、救急車のサイレンが鳴り響いた。
⸻
病院の天井。無機質な白。
目を覚ましたしろせんせーは、点滴につながれ、手には拘束具が巻かれていた。
ぼんやりとした視界に浮かぶのは、見慣れない天井。
「……ここ、どこ……」
すぐに看護師が駆け寄り、「話すのはあとで」と言って、何かを記録していた。
数日後、精神科への強制入院が決まった。
理由は、「自傷傾向と自殺未遂による重度の精神不安定」。
しろせんせーは、誰とも話さず、隔離室へ送られた。
⸻
何もない、白い壁と床。
コンクリートの冷たさが、肌を突き刺す。ベッドもなく、毛布一枚。窓は高い位置に小さくついているだけ。
その部屋に、しろせんせーは閉じ込められた。
「やめてくれ……ここ、いやや……やめろって……!」
叫んでも、誰も来なかった。
「出してくれぇっ……! もうせえへんからっ……!!」
自分の頭を抱え、壁に額を打ちつける。
「俺は悪くない……でも……でももう……っ」
涙も、嗚咽も、声も、何度も繰り返された。
外から見守る看護師は、無表情だった。
その様子を、報告書にただ淡々と記録する。
――そのガラス越しに、面会に来たメンバーの姿があった。
ニキ、キャメロン、りぃちょ、18号、まちこりーた。
しろせんせーの狂ったような叫び声に、何も言えなかった。
ニキは肩を震わせながら、静かに泣いていた。
キャメロンは唇を強く噛み、拳を握りしめていた。
りぃちょは、目元を手で覆い、ただ「ごめん……ごめん……」と呟いていた。
18号は背を向け、目に涙を浮かべながら拳を震わせた。
まちこりーたは、泣かずにじっと見つめていた。けれど、その目には深い悲しみがあった。
「こんなに……壊れてたのかよ……誰も…あいつの心の拠り所には…なれてなかったんだ……」
ニキの呟きが、部屋の外に残った。
――部屋の中では、しろせんせーが壁にもたれかかって、かすれた声で助けを求め続けていた。
「助けてくれぇ……もう、なんでもするから……」
でも、その声は誰にも届かない。
ただ、無機質な部屋に吸い込まれていくばかりだった。
隔離室に入れられて、数日が過ぎた。
叫び疲れて、泣き疲れて、もう声を出すことすらやめた頃。
しろせんせーは、壁にもたれかかって、ただ目を開いていた。
目の前の白い壁と、冷たいコンクリートの床。
何も起きない。誰も来ない。ただ時間だけが過ぎていく。
「……俺、なんやったんやろな」
誰に向けるでもなく、ぽつりと呟いた。
声は枯れ、乾いていた。
リストカットの跡には、絆創膏。
腕の拘束具は一部外され、食事のたびに看護師が現れる。
ただ、それだけの日々。
ある日、医師の問診があった。
白衣の男が淡々と、しろせんせーに問いかける。
「今、自殺願望はありますか?」
しろせんせーは首を横に振った。
でも、答えに意味はなかった。ただ「早く終わらせたい」が正直な気持ちだった。
「人に会いたいと思いますか?」
その言葉に、ほんのわずかに眉が動く。
しろせんせーは、何も言わなかった。
でも、その日の夜。
毛布を握りしめて、しろせんせーは涙を流した。
「……みんなに、会いたい」
それが、本当に久しぶりに出た“願い”だった。
⸻
時間の流れが、少しだけ変わってきたのは、それからだった。
医師との面談が増え、手紙を書く許可が出た。
最初に書いたのは、ニキへの手紙だった。
震える文字で、何度も書いては破り、書いては泣いた。
「……あの時、ありがとう。ほんまに、ありがとうな……」
投函したその週末、ガラス越しの面会室にニキの姿があった。
白い壁の向こうで、ニキはまっすぐに相棒、ボビーを見ていた。
笑顔なんてなかった。けれど、目だけはあたたかかった。
「……また、お前に会えてよかった」
その一言に、しろせんせーは声を出せなかった。
ただ、静かに涙をこぼして頷いた。
⸻
その後、順調とはいかなくても、少しずつ世界が戻り始めた。
作業療法で絵を描いた。
最初は殴り書きのようだったのが、いつの間にか人物の輪郭になっていた。
「……これ、キャメやな」
ふと呟いて、くすっと笑えたのが、自分でも驚きだった。
少しずつ、感情が戻ってきた。
笑ったり、イラついたり、泣いたり、そういう“人間の表情”がまた出せるようになった。
⸻
数ヶ月後――
「退院、決まりましたよ」
そう言った医師に、しろせんせーははっきり頷いた。
退院の日、玄関の外で待っていたのは、ニキ、キャメロン、りぃちょ、18号、まちこりーた。全員だった。
目が合った瞬間、しろせんせーは立ち止まった。
「……おかえり」
まちこりーたが、いつもの笑顔で言った。
しろせんせーは、何も言えずにその場に立ち尽くした。
涙があふれた。言葉なんていらなかった。
18号が、ぽつりと呟いた。
「……私、見損なったって言ったこと、まだ許されないかも。でも、生きててくれて、よかった」
その一言に、りぃちょが続けるように言った。
「俺も……あの時のこと、ずっと後悔してた。でも、戻ってきてくれて、本当に嬉しい」
キャメロンは、肩をぽんと叩いた。
「お前が帰ってきたから、全力でボケられる」
ニキはただ、目の前で両腕を広げた。
「おかえり」
しろせんせーは、小さく笑った。
「……ただいまや。……ほんま、ごめん」
みんなが、うなずいた。
そしてその輪の中に、再びしろせんせーが立った。
⸻
生きることは、痛い。
でも、痛いからこそ、誰かの手があたたかく感じられる。
しろせんせーは、まだ完全には戻っていない。
時々は落ち込むし、夜に泣くこともある。
でも、もう死ぬという選択肢だけに囚われることはなくなった。
だって、自分には、帰る場所があるから。
――女子研究大学。
あの賑やかで、優しくて、うるさくて、泣ける仲間たちの中に。
しろせんせーは、もう一度、ゆっくりと歩き始めた。
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初投稿です。
私欲を満たすための長い小説、ここまで読んでいただきありがとうございました。
誰かの心に響く作品になればと思います。
では