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トロ
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157
11,170
あんり
12,395
カノンは両手で自分の顔を隠したまま、
深く息を吐いた。
多分、首まで赤い。
触れなくてもわかる。
熱が顔から下に降りていくみたいに、身体中が熱い。
ゴイチは身体こそ離したものの、距離は変わらない。
隣に座ったまま、カノンの頭を撫でる手を止めない。
指がゆっくり髪を梳く。
落ち着かせるみたいに。
でも多分、少しは自分も落ち着こうとしてる。
しばらく、そのまま時間が流れた。
カノンが、顔を隠したまま小さく言う。
「……ゴイチ」
「ん」
短い返事。
カノンは少し間を置く。
「……俺」
言いかけて止まる。
ゴイチの手が、ふっと止まる。
「なに」
カノンはまだ顔を隠している。
「……今日」
小さく息を吐く。
「もう帰る」
ゴイチの眉が少し動いた。
「は?」
「いや」
カノンはまだ顔を見せないまま続ける。
「今ここにいたら」
沈黙。
ゴイチの目がゆっくり細くなる。
カノンはまだ両手で顔を隠したままだ。
「……無理」
小さく呟く。
「心臓持たねぇ」
ゴイチは数秒黙る。
それから、ふっと息を吐いた。
小さく笑う。
「カノン」
「……なんだよ」
ゴイチの声が少し低くなる。
「それ」
「帰る理由になってない」
「は?」
その瞬間――
ゴイチの腕が伸びる。
カノンの両手首を軽く掴む。
「ちょ……!」
顔を隠していた手が外される。
真っ赤な顔があらわになる。
ゴイチはそれを見て、少し目を細めた。
「お前」
静かな声。
「帰ったら」
「どうせ一人で悶えてるだろ」
「なっ……!」
図星だった。
カノンの耳がまた一気に熱くなる。
言い返したいのに、言い返せる材料がない。
ゴイチは小さく笑う。
それから、カノンの頬に指先を当てる。
さっきより優しい。
でも、余裕があるわけでもないのがわかる手つき。
「だったら」
距離が少し近づく。
でも、押し倒さない。
追い詰めもしない。
「ここにいろ」
カノンの呼吸が止まる。
ゴイチの声が落ちる。
「その方が」
「俺も安心する」
心臓が、また大きく鳴る。
さっきまで「危ねぇ」とか言っていた男が、今はこんな顔をしている。
ズルい
カノンは視線を落とす。
「……お前さ」
「ん?」
「そういう顔」
少しだけ睨む。
「反則なんだよ」
ゴイチは一瞬きょとんとする。
それから、ふっと笑う。
「さっきも言ってたな」
「だから反則なんだって」
ゴイチは少し肩をすくめる。
それからカノンの頭をまた軽く撫でた。
「帰る気、なくなったか」
「……」
沈黙。
ゴイチはそれ以上何も言わない。
ただ横に座ったまま。
距離も変えない。
急かさない。
しばらくして。
カノンが小さく息を吐いた。
「……今日」
「ん」
「わかった。…泊まる」
ゴイチの眉が少しだけ上がる。
カノンはまだ目を合わせない。
「ソファ貸せ」
ゴイチは一瞬黙る。
そこから、クッと小さく笑う。
「ソファ?」
「それ以上は無理」
「誰が何するって言った」
思わず顔を上げる。
ゴイチの目が少し細くなる。
「……カノン」
「何」
「顔」
「まだ真っ赤」
カノンは思わず顔を逸らす。
ゴイチはその様子を見て、静かに笑った。
「安心しろ」
落ち着いた声。
「今日は もう襲わねぇ」
「……もうって何だよ」
ゴイチは何も言わない。
ただ少しだけ、楽しそうに笑っていた。
少しだけ沈黙が落ちる。
カノンはソファの端で、まだ落ち着かない呼吸のまま座っていた。
泊まるって言った自分。
ソファ貸せって言った自分。
全部間違ってないはずなのに、もうすでに選択をミスってる気がする。
その横で、ゴイチがぽつりと言った。
「約束するから」
カノンが顔を上げる。
「俺と一緒に寝ろ」
「…………は?」
間抜けな声が出た。
ゴイチは平然としている。
「だから、約束するって言ってんだろ」
「今日はもう、変なことしねぇ」
「変なことの定義がもう信用できねぇんだよ!」
「キスまでは含まねぇ」
「含めろ!」
「じゃあ、ちゃんと我慢する」
「ちゃんとって何だよ!」
「努力する」
「雑!」
ゴイチが少しだけ肩を揺らして笑う。
「でも、お前」
「ソファで寝たら絶対途中で落ちる」
「落ちねぇよ」
「落ちる」
即答だった。
「しかも風呂上がりで、さっきまであんだけ心拍数うるさかったやつが」
「まともに寝れるわけねぇだろ」
「お前もだろ!」
「俺は寝れる」
「その自信どっから来んだよ!」
ゴイチはそこで、少しだけ真面目な顔になる。
「お前が隣にいた方が、俺が落ち着く」
その言い方が、あまりにも真っ直ぐで。
カノンは一瞬だけ言葉を失う。
「……っ」
頷きも、否定もできない。
ゴイチはその反応を見て、小さく息を吐いた。
「じゃあ、決まりな」
そう言って立ち上がる。
「お前、腹減らない?」
何でもないみたいにキッチンへ向かう。
「なんか作るわ」
「……はぁ?」
カノンはソファの上で固まったまま、その背中を見るしかない。
ゴイチは冷蔵庫を開けながら、ちょっと嬉しそうだった。 本当に、ちょっとだけ。
でも、確実に。
「ったく、しょうがねぇな……」
照れくさそうに、カノンは小さく返した。
でも。
(じゃねぇ……!)
ゴイチが呑気にキッチンに立ってる間、カノンはその場でソファに張り付いていた。
両手でクッションを抱えて、視線だけがさまよう。
(ゴイチがいくら自制してても)
(俺が何もしない保証はどこにあるんだよ……!)
(無理だろ、さっきのあの状況から感情切り替えろって……)
頭の中で、さっきの出来事がぐるぐる回る。
ソファ。
覆いかぶさる影。
耳の近くの息。
深くなったキス。
「危ねぇ……ほんと」
「今日はもう襲わねぇ」
「約束するから、俺と一緒に寝ろ」
(やめろ……)
(今はやめとけ)
(落ち着け、俺……!)
でも落ち着けるわけがない。
「あーーっ……」
声にならないうめきが漏れる。
クッションに顔を埋める。
でも、そのクッションの向こうからはキッチンで何かを刻む音が聞こえてくる。
その生活音がまた妙にリアルで、余計にだめだった。
(同じ家で)
(飯作ってる音してて)
(このあと一緒に寝るって)
(何の罰ゲームだよ……)
キッチンからちらっと振り返ったゴイチが、その様子を見てまた微妙な笑みを浮かべる。
肩を揺らして、静かに笑っていた。
「おい」
少し離れたところから声が飛ぶ。
「カノン」
「……なんだよ」
クッションに顔を押しつけたまま返す。
「顔、見えねぇ」
「見せられる状態じゃねぇんだよ!」
「知ってる」
その返しがまた腹立つ。
「だったら呼ぶな!」
「腹減ったか聞いただけ」
「減ってる!」
「じゃあ起きろ」
「命令すんな!」
こんなふうに言い合ってるのに、
どっちもちゃんと嬉しそうなのが最悪だった。
ゴイチはフライパンを温めながら、少しだけ口元を上げる。
「カノン」
「……今度は何」
「ソファでそのまま寝んなよ」
「まだ寝ねぇよ!」
「いや、お前今その勢いだと普通に寝落ちしそうだから」
「しねぇって!」
「顔真っ赤でクッション抱いてるやつの説得力ねぇな」
「うるさい!!」
キッチンとリビングの間で、そんなやり取りが続く。
騒がしいのに その奥にはちゃんと、さっき交わした熱がまだ残っている。
ゴイチは楽しそうで。
カノンは一人で勝手に限界で。
でも、そのどっちもが心地いい。
夜はまだ長い。
そしてたぶん、今夜のふたりは、
思っていたよりちゃんと甘くて、思っていたよりだいぶ危なかった。
ゴイチは笑いながら言う。
「安心しろ」
「何がだよ!」
カノンがクッション越しに睨むみたいに返すと、ゴイチは肩を揺らした。
「今日は」
「ほんとに何もしねぇ」
その言い方があまりにも平然として いて、カノンは余計にむっとする。
クッションに顔を半分埋めたまま、ぼそっと漏らした。
「……だから困ってんだよ」
キッチンで、ゴイチの手が一瞬止まった。
カノンの声はクッションに埋もれて、少しこもっていた。
でも――意味は、はっきり伝わった。
ゴイチは小さく天井を見上げるみたいにして、息を吐く。
「……カノン」
「なに」
まだ顔はソファに半分埋まったままだ。
ゴイチはフライパンを火から外し、皿へ中身を移す。
その音だけが、さっきより妙に静かな部屋にやわらかく響いた。
「それ」
「俺に聞かせるつもりで言ってるだろ」
「言ってねぇよ!」
ガバッとカノンが顔を上げる。
耳がまだ真っ赤だ。
ゴイチは皿を持ってリビングへ戻ってきた。
何でもない顔のまま、ローテーブルにそれを置く。
そのままソファの後ろに立つ。
カノンの背後。
「ほら」
皿をテーブルの真ん中へ寄せる。
「食え」
「……」
カノンはちらっとゴイチを見る。
ゴイチは本当に何でもない顔をしていた。
でも――口元だけ、少し笑っている。
「腹減ってんだろ」
「……まぁ」
渋々みたいな顔で身体を起こして、テーブルの前に座る。
クッションを抱えたままじゃ食べにくいことに気づいて、少し迷ってから隣へ置いた。
皿を覗き込む。
「……オムライス?」
「簡単なやつな」
「お前ほんと普通に料理するよな」
「腹減ってる奴がいるからな」
その返しが妙に自然で、カノンは一瞬だけ言葉を失う。
こういうところだ。何でもないみたいにやるくせに、いちいち優しい。
スプーンを持つ。
ふわっと湯気が上がる。
一口、食べる。
「……うま」
ぽろっとこぼれる。
ゴイチは少しだけ得意げに言った。
「だろ」
その空気が、妙に落ち着く。
カノンはもう一口食べて、そこで小さく息を吐いた。
さっきまで暴れていた心臓が、ほんの少しだけ静まる。
ゴイチは向かいの椅子に座る。
腕を組んで、静かにカノンを見ていた。
「……なに」
カノンがスプーンを止めずに言う。
「いや」
「ほんと泊まるんだなと思って」
カノンは少しだけムッとした。
「今さら帰れねぇだろ」
「そうか」
少し笑う。
その“そうか”が、やけに嬉しそうに聞こえて、カノンは余計に落ち着かない。
スプーンの先でオムライスを小さく崩しながら、ぽつりと名前を呼ぶ。
「……ゴイチ」
「ん?」
カノンは少しだけ視線を逸らした。
「さっきの」
「話の続きとか」
ゴイチの眉がわずかに動く。
カノンは自分で言ってから一気に熱くなる。
「いや別に今じゃなくて!」
慌てて言い足す。
「その!」
「また今度とかでも……」
我ながら何を言ってるんだと思う。
でも、言葉を引っ込めるにはもう遅かった。
ゴイチは黙る。
数秒。
それから、ふっと笑った。
椅子から立ち上がる。
カノンの横まで来る。
そして――
ぽん、と頭を軽く叩いた。
「飯食え」
「……は?」
「続きは」
一拍。
「寝る時な」
カノンのスプーンが止まった。
「…………」
「…………」
一瞬、部屋の時間まで止まる。
カノンはそのまま固まる。
スプーンを持ったまま。
口も少しだけ開いてる。
「おい」
ゴイチが少しだけ屈んで顔を覗く。
「止まるな」
「冷めるぞ」
「なんでそんなサラッと言えんだよ!!」
「寝る時って何!?」
ゴイチは静かに笑って、カノンの頭をもう一回軽く撫でた。
「だから、今は食えって」
「うわ、余裕ある顔しやがって……」
「余裕ねぇとオムライスなんか作ってねぇよ」
「半分な」
「半分って何だよ!」
ゴイチは答えない。
ただ、少しだけ赤くなった耳を隠すみたいに首の後ろを掻いた。
その仕草にカノンは一瞬だけ口を閉じる。
(……こいつも、別に平気ってわけじゃねぇんだよな)
そう思うと、ほんの少しだけ胸がやわらかくなる。
でも、その“寝る時な”の破壊力は全然消えない。
ゴイチはそのままキッチンへ戻った。
使い終わったフライパンを流しへ置く。
水を出す。
いつもの夜みたいな生活音がする。
なのにカノンの頭の中だけが全然いつもじゃない。
(寝る時ってなんだよ……)
(寝る時って……)
(いや待て、マジでどういう意味で言った……?)
オムライスを口へ運ぶ。
味はちゃんと美味しい。
でも今はそれどころじゃない。
ゴイチが向こうでコップを洗いながら言う。
「ちゃんと食えよ」
「……食ってる」
「遅い」
「お前のせいだろ」
「俺は何もしてねぇ」
カノンが顔を上げる。
「さっきから全部お前がしてんだよっ」
ゴイチはそこでようやく振り返った。
少し笑っている。
「じゃあ、夜も期待しとけ」
「っ……」
カノンの顔が一気に赤くなる。
「煽るな!」
「どっちだよ」
「お前だろ!」
「違うな」
ゴイチはコップを拭きながら、落ち着いた声で言う。
「俺は予告」
「最悪の予告だわ!」
ゴイチの肩が小さく揺れる。
どう見ても楽しんでいた。
カノンはそんなゴイチに背を向けるみたいに、皿へ顔を近づけてオムライスを口へ押し込む。
(無理だろ……)
(この流れで一緒に寝るって……)
(俺が何もしない保証、ほんとにどこにあんだよ……)
さっきのキス。
ソファに押し倒された感覚。
耳に落ちた鼻先。
「危ねぇ……ほんと」って低い声。
全部がまた頭の中をぐるぐる回り始める。
「あーーっ……」
今度は小さく声が漏れた。
キッチンからそれを見たゴイチが、また微妙な笑みで肩を揺らしている。
「何笑ってんだよ!」
「いや」
ゴイチは正直に言う。
「面白いなと思って」
「人が死にそうなのに!?」
「死なねぇよ」
「ちゃんと寝かせるから」
その“ちゃんと”が信用ならない。
カノンはスプーンを置いて、じとっと睨む。
「お前、今夜一回でも余計なことしたら」
「したら?」
「……明日から口きかねぇ」
ゴイチは少し考える顔をした。
「じゃあ、余計かどうかのライン確認しとくか」
「するな!!」
また声が大きくなる。
でもゴイチは楽しそうだ。
「わかった」
「じゃあ、今日は本当に何もしねぇ」
「ほんとかよ」
「ほんと」
「……ほんとに?」
「約束する」
その言い方が、さっきより少しだけ真面目だった。
カノンはそこでようやく、ほんの少しだけ肩の力を抜く。
「……だったら」
「ん?」
「信じる」
ゴイチは一瞬だけ目を細めた。
それから、すごく穏やかに笑う。
「おう」
その顔を見た瞬間、また心臓が跳ねる。
(だからそういうのが反則なんだって……)
カノンは皿へ視線を落とす。
でも、さっきまでのどうしようもない緊張の中に、少しだけ落ち着くものも混ざり始めていた。
こうして飯を作って。
言い合って。
ふざけて。
そのまま同じ夜を過ごす。
たぶん今のふたりには、こういう時間がいちばん危なくて、いちばん甘い。
オムライスの最後の一口を食べ終えた頃、ゴイチがタオルを持って近づいてきた。
「食ったか」
「……ん」
「よし」
そのまま、カノンの乾ききっていなかった髪を軽く拭き始める。
「ちょ、もういいって」
「乾いてねぇ」
「お前なぁ……」
文句を言いながらも、カノンはされるがままだった。
その手つきがやさしいせいで、余計に逆らえない。
ゴイチは頭を拭きながら、さらっと言う。
「歯磨いたら寝るぞ」
「……ほんとに一緒に?」
「今さら何回確認すんだよ」
「するだろ!」
ゴイチが少しだけ笑う。
「大丈夫だって」
「何が」
「俺も我慢するから」
「“も”って何だよ!」
また言い返す声が部屋に響く。
そのやり取りの全部が、もう笑えてしまうくらい甘かった。
洗面所で歯を磨いている時間が、やけに長く感じた。
カノンは鏡の中の自分を見て、何度目かわからないくらい小さく顔をしかめる。
赤い。
まだ普通に赤い。
横を見ると、ゴイチは何でもない顔で歯を磨いていた。
何でもない顔で。
(いや、何でもなくねぇだろ)
(なんでそんな平然としてられんだよ……)
うがいをして、タオルで口元を拭く。
その動作すら妙にぎこちない自分が嫌になる。
一方のゴイチは、ほんとうにいつも通りみたいな動きだ。
歯ブラシを戻して、水気を拭いて、さっさと洗面所を出ていく。
「先、入ってるぞ」
低くそう言われて、カノンは「……おう」としか返せない。
ベッドルームへ戻ると、ゴイチはもうベッドの端に腰掛けていた。
部屋の灯りは落としてあって、間接照明だけがやわらかく光っている。
「安心しろ」
ゴイチがぽつりと溢す。
カノンの足が止まる。
(だから違うんだって……)
(お前を心配してるんじゃない……)
心配してるのは自分の理性だ。
この状況で、自分が普通に寝られるわけがないことの方だ。
でもそれを言ったら、また変な方向へ転がりそうで言えない。
カノンは覚悟を決めるみたいに小さく息を吐くと、ベッドへ上がった。
マットレスが沈む。
掛け布団の端を持って、そろそろと横になる。
近い。
となりにゴイチがいるだけで、やっぱり心臓は普通じゃなかった。
⸻
「もう、何回も隣で寝てるだろ」
そう言って、ゴイチが身じろぎする。
「は?」
カノンは天井を見たまま、一瞬だけゴイチを横目で見て、またすぐ天井へ視線を戻した。
ゴイチは笑っている。
「合宿で同室だった時と、失恋会の夜」
少し間。
「しかも、失恋会の日は、お前、俺の腕の中にいたし」
「……言うな……」
カノンは即座に目元を腕で隠した。
「なんで今それ言うんだよ……」
「事実だろ」
「その事実が恥ずいんだろ!」
ゴイチが肩を揺らす気配がする。
「で?」
低い声。
「さっきの話の続き」
「するんだろ」
ゴイチは肩肘をついて、横からカノンを見た。
その視線が来てるのがわかる。
見なくてもわかる。
だから余計に落ち着かない。
「ちが……だから、別に」
カノンは腕で目元を隠したまま、もごもご言う。
「今日とかの話じゃなくて……」
完全に動揺していた。
ゴイチは少しだけ間を置いてから言う。
「うん。でも、大事なことだろ」
その言い方が、やけにまともで困る。
「……確認とか、そういうのする前に」
カノンは腕をずらして、天井の一点を見つめたまま辿々しく続ける。
「普通は……その……」
喉が引っかかる。
「付き合うとか、そういう話するだろ……」
沈黙。
ゴイチが少し身体を起こした気配がした。
「じゃあ……」
カノンの心臓が跳ねる。
ゴイチはそのまま、さらっと言った。
「付き合うか」
カノンの心臓は本気で止まりそうになった。
(即答!?)
次の瞬間、バッと翻すようにゴイチへ背中を向ける。
掛け布団を引き上げて、首まで包まる。
「お、お前なぁ!」
「そういうのはベッドの上で言うもんじゃないだろっ」
ゴイチが後ろで少し黙る。
カノンは勢いのまま続けた。
「ほんっと、我慢してるこっちの身にも……」
そこまで言って、ハッとして口元を手で隠す。
(何言ってんだ……俺……)
沈黙。
数秒。
それから、後ろでゴイチが小さく笑った。
「我慢してるの、俺だけじゃないんだ」
その声が、やさしくて余計にずるい。
(あーっ……もう)
カノンはギュッと目を瞑った。
⸻
しばらくそのまま固まっていたカノンは、やがてゆっくり身体の向きを変えた。
ゴイチの方へ。
身体を起こしているゴイチの傍まで、もぞもぞと寄っていく。
掛け布団で隠れた顔は見えないまま。
思わず手を宙に上げたゴイチは、そんなカノンの様子を目を丸くしながら見ていた。
「……カノン?」
返事はない。
カノンは顔を下に向けたまま、掛け布団を少しだけ捲る。
目の前にあるのは、ゴイチの腕の中だった。
ちょうど一人分空いているみたいに見えて、余計に悔しい。
(だから、こうなるって……)
(わかっていたのに)
(選んだのは自分だ……)
そう思いながら。
カノンは身じろぎしながら、ゆっくり掛け布団から出る。
そのまま、そっとゴイチの腕の中に収まった。
「……っ」
ゴイチの息が、ほんの少しだけ止まる。
カノンは顔を上げない。
胸元あたりに額を寄せるみたいな形で、じっとしている。
「お前……」
ゴイチの声が少しだけ掠れた。
「……うるさい」
くぐもった声で、カノンが返す。
「見んな」
「見えねぇよ」
ゴイチは苦笑する。
「今、お前顔隠してんだろ」
「じゃあ何も喋んな」
「無理」
「なんで」
「嬉しいから」
カノンの肩がぴくっと揺れた。
もう、こういうとこだ。
真正面から言うくせに、声は静かで、変に大事そうにするから困る。
ゴイチは宙に浮いていた手を、そっとカノンの背中へ下ろした。
抱き締めるほど強くはない。
でも、ちゃんとここにいていいと伝えるくらいにはやさしい手つき。
カノンはその感触に、小さく息を吐く。
「あー……」
「何」
「ほんと無理」
ゴイチが小さく笑う。
「それ、今日何回目だよ」
「全部お前のせい」
「知ってる」
その返しに、カノンは何も言えなくなる。
しばらく、ふたりともそのままだった。
ベッドの中で、静かに寄り添って。
掛け布団の中に二人分の体温がある。
騒がしい夜だったのに、この瞬間だけは妙に静かだった。
カノンは目を閉じたまま思う。
(落ち着く……)
悔しいけど、落ち着く。
心臓はまだ速い。
でも、逃げたい速さじゃない。
ゴイチの腕の中にいるのが、思っていたよりずっと自然だった。
⸻
しばらくして、ゴイチが低く名前を呼んだ。
「カノン」
「……ん」
まだ顔を上げないまま、カノンが小さく返す。
ゴイチの手が、背中を一度だけやさしく撫でた。
それから、寝る前みたいな静かな声で言う。
「お前からちゃんと言うまで」
少し間。
「何回でも聞くから」
カノンの呼吸が、ほんの少し止まる。
「……何を」
わかってるくせに聞き返すと、ゴイチは少しだけ笑った。
「俺のこと、好きかどうか」
「……っ」
カノンが布団の中で足を少しだけ縮める。
ゴイチは続ける。
「でも、急がせねぇよ」
「今日みたいに曖昧に誤魔化しても、今はそれでいい」
カノンがようやく少しだけ顔を上げる。
ゴイチはまっすぐ見下ろしていた。
ふざけてる顔じゃない。
でも重すぎもしない。
ちゃんと待つつもりの人の顔だ。
「その代わり」
「逃げんな」
その一言が、深く落ちる。
カノンはしばらく何も言えなかった。
それから、小さく頷く。
「……おう」
その返事に、ゴイチは満足そうに目を細める。
「よし」
「子ども扱いすんな」
「今の返事は、ちょっとそうだったな」
「うるさい」
でも、カノンの口元は少しだけ緩んでいた。
ゴイチは最後にもう一度、カノンの頭を軽く撫でる。
「寝るぞ」
「……ん」
「今夜はちゃんと寝ろ」
「お前が余計なことしなけりゃな」
「それは努力する」
「そこは約束しろよ」
「努力してから考える」
「最悪」
言い合いながらも、声はどんどん小さくなっていく。
やがて部屋は静かになった。
隣にある体温。
背中に回る手の重さ。
さっきまでの騒がしさが、嘘みたいにやわらかい。
でもその奥で、相棒だったふたりがちゃんと恋へ変わっていく音が、確かにしていた。
朝。
カーテンの隙間から差し込んだ細い光が、ベッドの上に白く落ちていた。
静かな部屋。
昨夜の騒がしさが嘘みたいに、朝だけがゆっくり流れている。
先に目を覚ましたのは、ゴイチだった。
ぼんやりと天井を見て、数秒してから、自分がほとんど動けないことに気づく。
「……」
左腕が、重い。
というか、痺れている。
視線だけを落とすと、そこには原因がいた。
カノン。
ゴイチの腕を枕みたいに使って、ぴったりくっついたまま寝ている。
掛け布団の中で肩まで収まって、寝息は静かで、顔だけ妙に無防備だ。
「お前な……」
小さく漏らす。
昨夜、自分から腕の中に入ってきて そのまま安心したみたいに寝落ちして、結果。
こっちの腕は完全に終了していた。
ゴイチは痺れた手をそっと動かそうとして、でも少しでもずらすとカノンの眉がぴくっと動くから諦める。
「……マジか…」
そう言いながらも、声は全然嫌そうじゃない。
少しして。
もぞ、とカノンが動いた。
額がゴイチの胸元をかすめて、腕に頬を押しつけるみたいに身じろぎする。
そのたびに痺れた腕へじわじわ響くのに、ゴイチは結局、起こさない。
「っは……」
小さく息を吐いて、空いてる方の手で前髪をかき上げる。
その時だった。
カノンの睫毛が少し揺れて、ゆっくり目が開く。
「……ん……」
まだ寝ぼけた声。
数秒、どこにいるのかわからないみたいにぼんやりして。
それから、自分の目の前にゴイチのTシャツがあることに気づいて。
さらに、腕の下の感触が、いつもの枕じゃないことに気づいて。
「…………」
固まる。
ゴイチは肘をつくみたいに少し上体をずらそうとして、痺れた腕をひらひらさせた。
「おはよ」
低く、普通の声。
カノンの耳がじわじわ赤くなる。
「……っ」
「起きた?」
「……起きた……」
起きた、のに起きたくなかったみたいな声だった。
状況を理解した瞬間、カノンはバッと布団を引き上げて顔半分を隠す。
でも、もう遅い。
腕枕。
密着。
朝。
全部揃っている。
「あぁ……もうなんかもう……」
布団の中から、くぐもった声が漏れる。
「大事なものを失った気分……」
「何をだよ」
ゴイチが笑う。
カノンは布団の中で、うー、だの、あーだの小さく唸っている。
「うわぁぁ……無理……」
「朝からこれ無理……」
「昨日の夜の続きが朝に繋がってるの、無理……」
ゴイチは困ったような顔で、でも完全に面白がりながら笑った。
痺れた手をもう一度ひらひらさせる。
「まだ、キスしかしてねぇぞ」
「恋人様」
その呼び方に、カノンが布団の中でびくっと跳ねる。
「っ……言うな!」
「なんで」
「朝イチでそのワードは強ぇんだよ!」
ゴイチは肘をついて顔を乗せるみたいにしながら、カノンの方へ身体を向けた。
その朝の姿が、やけに眩しい。
寝起きで少しラフな空気なのに、変に整って見える。
前髪も少し乱れてるだけなのに、それすらずるい。
カノンはその顔を見た瞬間、余計に布団へ沈みたくなった。
「……見るな」
「見てねぇと会話できねぇだろ」
「できなくていい!」
「朝から機嫌悪いな」
「悪くなるだろっ、こんなん!」
ゴイチが少しだけ目を細める。
「普通か?」
「普通だよ!」
カノンは布団の中から勢いよく返す。
「起きた瞬間、恋人様とか言われてみろよ!」
「心臓がまだ寝てんのに!」
「心臓は昨日から起きっぱなしだろ」
「うるさい!」
ゴイチはそこで小さく肩を揺らした。
「つーか」
少し真面目そうな声に変わる。
「俺の腕、めちゃくちゃ痺れてんだけど」
カノンが一瞬止まる。
「……は?」
「お前、がっつり使ってた」
「え」
「しかも途中で抱きついてきた」
「待て、それは嘘だろ」
「ほんと」
「嘘だ」
「じゃあ離れようとしたら、服掴んだの誰だよ」
カノンの顔が、布団の中でまた一気に赤くなる。
「……っ」
記憶が、うっすらあるような、ないような。
でもゼロじゃないのが最悪だった。
「知らねぇ……」
「知ってる顔だな」
「知らねぇって!」
ゴイチが笑う。
その笑い方があまりにもやわらかくて、カノンは悔しくなる。
「……お前、朝から余裕ありすぎだろ」
「余裕ねぇよ」
「嘘つけ」
「ほんとに」
ゴイチは痺れた腕を軽く振る。
「お前のせいで手の感覚ないし」
「それは……」
カノンが小さく口ごもる。
「……悪かった」
「うん」
即答。
「でも」
ゴイチは少しだけ口元を上げる。
「悪くない朝だったな」
その一言が、やけに真っ直ぐ落ちる。
カノンは布団の端をぎゅっと握った。
「……そういうのだよ」
「何が」
「そういうのが」
少しだけ睨む。
「朝から反則なんだって」
ゴイチは一瞬きょとんとして、それから少し笑った。
「昨日も言ってたな、それ」
「昨日の夜からずっと反則なんだよ、お前は」
「じゃあ、慣れろ」
「無理」
「早いな」
「即答だよ」
少し沈黙。
そのあと、カノンがそろそろと布団から顔を出す。
目だけ先に覗いて、それから鼻先、口元。
ゴイチはそれを見ていた。
じっと。
でも、追い詰める目じゃない。
「……何」
カノンが小さく言う。
「いや」
ゴイチは少し目を細める。
「ちゃんと朝もお前だなと思って」
「意味わかんねぇ」
「夜だけじゃねぇってこと」
カノンの喉が小さく鳴る。
昨夜の熱だけじゃない。
朝のこのぐだぐだも、言い合いも、寝起きの顔も。
そういう全部込みで、自分たちなんだとでも言うみたいな言葉だった。
「……重いんだよ、たまに」
「たまにか?」
「今はそういう話じゃない」
「じゃあ何の話だよ」
カノンは少しだけ迷ってから、ぼそっと言った。
「……起き上がれねぇ」
ゴイチが眉を上げる。
「なんで」
「なんでも」
カノンは視線を逸らす。
「お前の顔が近い」
ゴイチは一瞬黙ってから、ふっと笑った。
「それ、昨日の夜も言ってたな」
「覚えてんなよ」
「覚えるだろ」
「……っ」
また言葉に詰まる。
ゴイチはそこで、少しだけ身体を起こした。
カノンの逃げ場をちゃんと作るみたいに、距離を少し開ける。
「ほら」
「……ん?」
「起きるなら今だぞ」
「これ以上寝てたら、ほんと腕死ぬ」
カノンがようやく小さく笑う。
「自業自得だろ」
「お前が言うな」
「俺は寝てただけ」
「俺も寝たかった」
そんな言い合いをしながら、カノンはそろそろと上体を起こした。
離れた瞬間、ゴイチが「うわ、軽くなった」とわざとらしく言う。
「感じ悪っ!」
「いや、事実」
「ほんと最悪……」
でも、声は少しだけ笑っている。
朝の光が差し込むベッドの上。
恋人になった最初の朝なのに、甘いだけじゃなくて、ずっとこんなふうに騒がしい。
それが、妙にしっくりくる。
カノンがベッドの端に座り直すと、ゴイチが後ろからぽんと一回、頭を撫でた。
「うわ、また!」
「寝癖」
「絶対違うだろ!」
「朝のルーティン」
「なんだよっ…そのルーティン!」
ゴイチはまた笑う。
カノンは本気で嫌そうな顔をしながら、でもその耳は隠せないくらい赤いままだった。
布団の中に、カノンはまた潜った。
「……無理」
朝から恋人様だの、腕枕だの、寝癖だの。
心臓がまるで休ませてもらえない。
掛け布団を鼻先まで引き上げて、視界を半分くらい塞ぐ。
これで少しは落ち着くかと思ったのに、隣から聞こえてくる気配のせいで全然意味がない。
そんなカノンを横目に、ゴイチは何でもない顔で仰向けになった。
手を頭の後ろで組んで、天井を見上げる。
「さて」
ぽつりと落ちる声。
「初デート。どこ行くかな」
布団の中で、カノンの耳がぴくっと動いた。
でも顔は出さない。
ゴイチはそのまま続ける。
「お前、古着屋好きだろ」
一拍。
「あと、映画館」
「朝イチの回とか、意外と好きそうだよな」
布団の端が、ほんの少しだけ下がる。
ゴイチは見ていないふりをしたまま、指を折る。
「喫茶店もいけるな」
「お前、うるさいとこより、ちょっと落ち着いた店の方が長居するし」
また一つ、布団が下がる。
「古着屋巡りいいな」
「見てる時間長いくせに、急に“やっぱいいや”って戻すやつ」
「……」
布団の中から、気配だけ少し動く。
ゴイチの口元が、ほんの少しだけ緩んだ。
「夜なら、海沿いもありか」
「お前、ああいうとこ行くと意外と静かになるよな」
「でも黙ってるくせに、急に“これ、曲作れそう”とか言い出しそう」
そこで、とうとう布団の隙間から片目が覗いた。
「……なんでそんな具体的なんだよ」
ゴイチはようやく横目でそっちを見る。
「考えてたから」
あまりにも自然に返されて、カノンの顔がまた少し赤くなる。
「考えてたって、いつ」
「今」
「今!?」
「初デートって言ったら、そりゃ考えるだろ」
カノンは布団を少しだけ下ろして、顔半分を出した。
寝起きのままなのに、目だけ妙にきらきらしている。
ゴイチはそれを見て、内心で少し笑う。
「他にもあるぞ」
「……なに」
「動物園」
「は?」
「お前、絶対なんだかんだテンション上がる」
「上がらねぇよ」
「上がる」
ゴイチは即答した。
「しかも途中で絶対、変なやつ見つけて“お前に似てる”とか言い出す」
「それはお前だろ」
「水族館もいいな」
「聞けよ」
「暗いし、涼しいし、横並びで歩ける」
「……」
「あと、対して会話なくても見てられるし」
そこで、カノンがとうとう布団を胸元まで下ろした。
「……それ、ちょっといいかも」
ぽろっとこぼれた本音に、ゴイチの眉が少しだけ上がる。
「どれが」
「水族館」
カノンは布団を握りしめたまま言う。
「別に、普通に」
「朝から行って、ぼーっと見て、帰りになんか食って」
「へぇ」
「何だよ」
「いや」
ゴイチは天井を見たまま言う。
「ちゃんと乗ってきたなと思って」
カノンはそこで完全に布団から顔を出した。
「そりゃ乗るだろ」
「そんなの、聞いたら」
「じゃあ次」
ゴイチは指をまた一本折る。
「ライブDVD流しながら、家でだらだらコース」
「それデートか?」
「恋人っぽいだろ」
「……っ」
その言い方に、カノンの胸がまた妙にざわつく。
恋人。
まだその単語に慣れない。
でも、嫌じゃない。むしろ言われるたびに変なところが熱くなる。
「あと」
ゴイチは続ける。
「お前、甘いもん好きだから」
「期間限定のやつ出てる店とか、普通に行きそう」
「お前、俺のこと何だと思ってんの」
「わかりやすい男」
「失礼だな」
言いながらも、カノンの口元は少し緩んでいた。
気づけば、身体ごと布団から半分出ている。
さっきまで“無理”とか言って潜っていたくせに、話に引っ張られるみたいにじわじわ近づいてしまっている。
「それで?」
カノンはもう完全にゴイチの方を向いていた。
「どれ行くんだよ」
「お前、何がいい」
「え」
少し迷う。
「……うーん」
考え始めた、その時だった。
ゴイチはカノンが近くに寄ってきたのを確認すると、素早かった。
「うわっ」
カノンの腰に手が回る。
そのまま軽く引き寄せられて、気づけばまたゴイチのすぐそばに戻されていた。
「ちょ、おい!」
「確保」
ゴイチが淡々と言う。
「何が確保だよ!」
「出てきたから」
「罠か!?」
「成功したな」
カノンがじたじたしようとするけど、ゴイチの腕の中は思ったよりしっかりしていて、しかも朝から距離が近すぎてまともに暴れられない。
「っ、お前ほんと……」
顔を上げた瞬間だった。
ゴイチが少しだけ目を細める。
その顔が、やたらメロい。
笑ってるわけじゃない。
でも余裕があって、ちゃんと見ていて、逃がさない顔。
「おはようのヤツ」
そう落とした声が、朝の光の中でやけに低く響いた。
「……は?」
間抜けな声を出したカノンに、ゴイチは返事を待たない。
軽く顎を引いて、そのまま唇を重ねた。
朝のキスは、昨夜のそれとは少し違った。
深くない。
長すぎない。
でも、ちゃんと甘い。
寝起きの呼吸が混ざる。
布団の中のぬくもりがまだ残っている。
その中でさらっとされるには、破壊力が高すぎた。
「っ……」
離れた瞬間、カノンは完全に固まる。
ゴイチは少しだけ顔を離して、何でもないみたいに言う。
「これで目ぇ覚めたろ」
「覚めるか!!」
カノンの声が朝から部屋に響いた。
「なんでそんなサラッとできんだよ!」
「恋人だから」
「その言葉、便利に使うな!」
「便利じゃねぇよ」
ゴイチは小さく笑う。
「ちゃんと使ってる」
「っ……!」
また言葉に詰まる。
もうだめだ、と思う。
この男、朝から容赦がない。
カノンは真っ赤な顔のまま、ゴイチの肩を押し返そうとする。
でも、押した手首を軽く掴まれて、そのまままた近くへ戻される。
「離せ!」
「やだ」
「即答すんな!」
「朝からかわいい顔してんのが悪い」
「してねぇよ!」
「してる」
「してねぇ!」
ゴイチが少しだけ肩を揺らす。
その笑い方に、カノンは完全に負けていた。
「……っ、最悪」
「何が」
「朝からそういう忘れられなくなるやつ…増やすなって話だよ……」
ぽろっと出た本音に、今度はゴイチが少し黙る。
一瞬、ほんの少しだけ。
その沈黙に気づいて、カノンは「……あ」と固まった。
「今のなし!」
「なしじゃねぇだろ」
「なしだ!」
「聞こえた」
「忘れろ!」
ゴイチは、少しだけ目を細めた。
それから、逃がさないままカノンの頭に額を軽く寄せる。
「忘れるわけねぇだろ」
低い声。
その近さに、カノンの心臓がまた跳ねる。
「……お前」
「今日ほんとやばい」
「今日だけじゃねぇよ」
「やめろ」
「やめねぇ」
言い合ってるのに、どっちも少し嬉しそうで。
朝のベッドの上は、完全にラブコメの黄金期だった。
少しして、ゴイチがようやく腕の力をゆるめる。
「で?」
「……何」
「初デート」
「水族館でいいか?」
カノンはまだ赤い顔のまま、少しだけ視線を逸らした。
「……いいけど」
「昼飯は?」
「お前が決めろよ」
「じゃあ、その近くの店探す」
「ちゃんと美味いとこな」
「お前、そこうるさいもんな」
「当たり前だろ」
カノンは少しだけむっとして言う。
「初デートの飯、大事だろ」
その返しに、ゴイチの目が少しやわらかくなる。
「そうだな」
短い。
でも、ちゃんと嬉しそうだった。
カノンはそれを見て、また布団に顔を埋めたくなる。
「……もうやだ」
「なんで」
「朝から全部強ぇんだよ」
「慣れろ」
「無理」
「じゃあ、毎日やるか」
「絶対やめろ!!」
朝の部屋に、また騒がしい声が響く。
でも、その騒がしさごと心地いい。
さっきまで布団の中に隠れていたくせに、今はもうちゃんとゴイチのすぐそばにいる。
そのことが、今のふたりらしかった。
ゴイチはもう一度だけ、カノンの頭をくしゃっと撫でる。
「起きるぞ、恋人」
「……その呼び方、まだ慣れねぇ」
「そのうち慣れる」
「慣らすな」
言い返しながらも、カノンの目は少しだけ嬉しそうに光っていた。
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甘々回最高ー!!!