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窓から差し込む光で目を覚まし、少女はぐぐぐーっと背を伸ばす。
ふと声がしたので外を覗いてみると、4・5歳くらいの子どもたちがはしゃいで遊んでいた。
『私も入れてー』という心の声を抑えて、少女は部屋を見渡す。
白のベッド、白の壁、白の棚に白の机。白、白白白……。
その徹底した白が、ここが病室である現実を忘れさせてはくれない。
『『ミンミンミンミンミンミン』』
蝉が鳴いている。
あれからずっと、食事中でも夢の中でも蝉は鳴き止まなかった。
私が歩けないのと同様に、これも私が死ぬまで治らないのだろう。
いや、治るというのはおかしいのだろうか。私にとってはこの状態が普通であって、別に何かおかしい訳では無い。
あー何だかもう、どうでも良い。
何も考えたく無い。
そう思い、少女は奇妙な行動を取り始めた。
「みーん、みーん、みーんっ」
何と蝉の声を真似し始めたのだ。
だが、この常人には理解しがたい行動は、確かに少女を落ち着かせた。
少女は想像するのだ、自分は蝉だと。もうすぐ死ぬ蝉だと。自分は必死に生きれているぞと。
すると、自然と孤独も哀しみも楽しみも全て消えて、少女は無となる。
少女の瞳から光が消えた。ただそれが逆に、少女を儚く美しく見せた。
少女はその瞳で、鏡を見た。
そこにいた少女は、既に少女ではない。
彼女が、もし男性ならば青年と呼ばれるような年だろうか。
そう、あれから随分と時が経った。
彼女、秋風月夜は現在十七歳。何も成長できずに彼女は大人になりかけていた。
「秋風さん。ご飯の時間です」
そう言って部屋に来たのは、丑三夏帆さんだ。今彼女は月夜の担当看護師になっている。
初対面から既に十数年が経っているが、月夜は依然心を開かないままだ。
「そこにおいてもらえますか。後でいただきます」
「秋風さん。昨日もそう言って、結局食べませんでしたよね」
丑三夏帆はそう言って、朝ご飯の乗ったプレートを持ったまま月夜を見つめた。
その秋風月夜の姿は完全にやせ細っていて、肌の色からは生気が感じられない。
まるで動くミイラといった感じだ。
「秋風さん。何故食べないのですか?」
丑三夏帆が少し高圧的にそう言う。
「丑三さん。その、味がしないんです。食べても美味しくないし、それに……」
「このまま生きても何もありません」
秋風月夜は静かに、だけれどもハッキリと、そう口にした。
ガシャーン
丑三夏帆が朝ご飯を落とし、プレートに乗った皿は綺麗に割れ、スプーンやフォークがカンカンと遅れて鳴る。
「何を、言ってるんですか……」
丑三夏帆が怒り口調でそう言う。
ああ、やっぱりこうなる。だから、黙っていたのだ。
秋風月夜は最後の追い討ちに『私は死にます』と言おうとした。
だが、次の瞬間彼女はあるものを見て、それをやめた。
「何を、言ってるんですか!!」
叫ぶ丑三夏帆は涙を流し、秋風月夜の言葉を本気で悲しんでいた。
秋風月夜にとってそれは意外だった。
丑三夏帆は私の事など、大して想っていないと思っていた。
そもそも、思えば月夜は他人から愛を向けられた経験など無かった。
親には捨てられ、ここでは仕事として付き合ってくる看護師さんに囲まれて。
「月夜さん。私はあなたを、自分の子どもだと思えるくらいに愛を向けて接しています……。生きても何も無いなんて、二度と言わないでください!」
それは丑三夏帆の本音だった。
この時、月夜は初めて彼女という人間をまともに見た。
茶髪のショートで、優しい顔をしている。看護師はよく純白の天使などと呼ばれるが、彼女はそんなことはなく、ただの人間。
ただ、信じられないほど優しいだけの人間だ。
「……きたい。丑三さん。私実は、まだ生きたいです!!」
月夜は自分の胸のあたりをギュッと掴んで叫んだ。
その叫びは、彼女の中で響く蝉すらも、一瞬掻き消した。
その時の月夜の姿はまさに、必死に生きる者に相応しかった。
「わ私! 身体強くして、街中とか歩いてみたいし、友達つくって遊びたいし、美味しいものは美味しいって言えるようになりたいし、恋だってしちゃってその人と素敵な夜を過ごすんです。そして、そして、そして。だから、まだ生きたいです……!!」
月夜は慣れないながらも、頑張って想いを口にした。
丑三夏帆はそんな彼女を精一杯抱きしめた。
月夜はそんな夏帆を、記憶の隅に薄っすらと残っている自身の母と重ねた。
月夜は涙を流して言った。
「母さん……」
その日、秋風月夜は今までの人生で一番ご飯を食べた。