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六月の雨が、窓ガラスを静かに濡らしていた。放課後の教室には、ぽつぽつと残っている生徒の話し声が響く。櫻井透真が走るグラウンドとは対照的に、教室の隅で肩を落としている少女の姿があった。
桐山真理亜――。
高校2年生、どこにでもいるような女の子。少しだけ夢見がちで、初恋に希望をかけていた。
「振られたの……?」
隣に座っていた親友・木更津紗弥が、そっとハンカチを差し出す。
「うん……鈴木くん、好きな人いるって……」
真理亜の声は震えていた。今日、勇気を振り絞って告白した。朝から何度も言葉を練習して、鏡の前で笑顔も確認した。でも、結果は――玉砕。
「真理亜はさ、悪くないって思う。鈴木って、優しそうに見えて、結構サラッと振るタイプだよ」
「ううん、私なんかじゃ……」
言葉の途中で、ガラリと教室のドアが開いた。
そこに立っていたのは、陸上部のエース、櫻井透真だった。
その瞬間、空気が変わった。
制服のシャツは練習で少し乱れていて、首元には汗が光っている。長身で、整った顔立ち。誰もが一度は振り返るほどのイケメン。そして、学校中の女子が憧れる存在。
「……悪い、忘れもん取りに来ただけ。気にすんな」
そう言って透真は、教室のロッカーへと向かう。誰とも目を合わせず、誰にも話しかけず、ただ自分のものを取りに来ただけ――のはずだった。
が、教室を出ようとしたその瞬間、真理亜の涙に気づいた。
「……泣いてんの?」
その一言に、真理亜はぎゅっと肩を縮めた。
「見ないでよ……」
「誰かにフラれた?」
静かな声だったが、なぜか胸に刺さった。真理亜は顔を伏せたまま、小さくうなずく。
「ふーん……じゃあさ」
透真が、急に笑った。
「好きな人、無理に探すくらいなら、俺に片想いすれば?」
「え……?」
顔を上げると、透真の瞳がまっすぐにこちらを見ていた。その表情は、ふざけているようでもあり、本気のようでもあった。
ぽかんとする真理亜に、透真は指を一本立てて条件を言った。
「好きにならないこと。まわりにバレないこと。……このふたつ、守れるなら、付き合ってやる」
「付き合うって、それ……」
「“ごっこ”な。片想いの。お互い、気晴らしくらいにはなるだろ」
そう言って、透真はふいと顔を背けた。
「明日から、俺のこと“好き”ってことで。……秘密だぞ」
そして、去っていくその背中に、真理亜はただ唖然とするばかりだった。
まるで夢のようだった。
けれど、心の奥がじんわりとあたたかくなるのを感じていた。
“片想いごっこ”――
それは、決して本気になってはいけない、期間限定の恋のフリ。
でも、その一歩が、真理亜の世界を大きく変えることになるとは、まだ誰も知らなかった。