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「じゃあ今日からな、“片想いごっこ”。」
次の日の朝――。
昇降口の下駄箱前で、櫻井透真が突然声をかけてきた。誰よりも朝早くに来ている彼は、すでに部活を終えた後のようで、髪が少し湿っている。周囲に生徒はまだ少ない。けれどその“非日常”な瞬間に、真理亜の心臓は爆音で鳴った。
「……おはようございます」
やっとのことで出た挨拶に、透真は軽く頷いた。
「ちゃんと見てろよ。今日、俺が何回お前の前に現れるか」
「えっ?」
「片想いごっこ、するなら、まずは“今日見かけた回数”を数えるんだろ?」
彼は片手をポケットに突っ込んだまま、冗談のように、でもどこか真剣な表情で言った。
「あと、目が合った回数もな。で、ちゃんとノートにつけとけよ。そういうの、ルールだろ?」
真理亜は呆然とした。
昨日のあれは、ほんの気まぐれか、せいぜい慰め程度だと思っていた。まさか、本当に“片想いごっこ”を始めるつもりだったなんて。
「……わかりました。じゃあ……数えてみます」
「おう。よろしく」
何それ。軽い。けど、嬉しい。少しだけ、心が浮かぶ。
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「ちょっと! なにそれ!? 嘘でしょ!?」
1時間目と2時間目の間。教室の片隅で、木更津紗弥が目をまん丸くして叫んだ。
「えっ……でも、信じられないよね……私も夢かと思って……」
真理亜は小声で言いながら、頬を赤らめる。
「櫻井くんと、“片想いごっこ”? しかも向こうから? 意味わかんない……え、なにそれ……最高すぎない!? どんな少女漫画!? いやもう映画じゃん!!」
「でも、本当に“好きにならないこと”って言われたの。これは遊びだからって……」
「うっわ、そういうとこもイケメン……」
紗弥は大袈裟に頭を抱える。真理亜は笑いながらも、内心では妙な緊張が続いていた。
(本当に……好きになっちゃいけないのかな……)
放課後、廊下ですれ違ったときも――
図書室で見かけたときも――
グラウンドで練習してる姿を、偶然見かけたときも。
目が合えば、彼は軽く顎をしゃくって、真理亜にしかわからない“合図”をくれた。
「3回、目が合った。……5回、見かけた」
その夜、真理亜はベッドの上で小さなノートを開いた。
【片想いごっこノート】
・6月13日(木)
見かけた回数:5回
目が合った回数:3回
登校時の本:『風が強く吹いている』
好きなもの:スポーツドリンク(レモン味)
ノートには、見かけた瞬間の感情がメモされていた。彼が本を読んでいた。彼が笑った。彼が走っていた。そのたびに胸がぎゅっとする。
でも、これは“ごっこ”。
好きになってはいけない遊び――。
それでも真理亜は、ページの隅に小さく書いた。
「今日、ちょっとだけ幸せだった」
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だが、その翌日。
思いもよらない視線が、ふたりの“秘密”を見つけていた。
「……あれ? なんだ、あの感じ……」
教室の隅で、手塚律がじっと真理亜の方を見ていた。彼はクラスでも目立たない、静かなタイプだ。けれど観察眼は鋭い。
透真と目が合った瞬間の、真理亜の顔――
まるで、恋するような微笑みを浮かべていた。
「……ふーん」
彼は静かに視線を外し、心の中でつぶやいた。
(あのふたり、なにかあるな――)