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次の日、眼鏡を取り、コンタクトに戻した由樹を見て、渡辺は大きく頷いた。
「いいねいいね、やっぱりそっちのほうがいいよ」
「え、そうですか?」
「せっかくのイケメンがあんな瓶底眼鏡してちゃ、勿体ないじゃん」
「イ、イケメンでは……」
「俺はそんなつまんねーことで眼鏡を取ってこいって言ったんじゃねえ」
呆れながら篠崎が見上げる。
「展示場にデビューしたらわかる」
展示場にデビュー…。
俄かに緊張してきた。
自分が接客をして、お客様に家を契約してもらう。
それはものすごく大変で、果てしなく難しくて、途方もない叶わぬ夢のように思える。
「だがまずは、これだな」
言いながら篠崎は、傍らに置いてあった冊子の束をどんとテーブルに置いた。
「これは?」
「見てわかんだろ。カタログ。エスペースで扱っている純和風、和風モダン、洋風、北欧風、カナダ風、キッチン、バスルーム、サニタリー、クローゼット」
その厚みはたちまち15cmを超えた。
「全部覚えろ。後でチェックするからな」
見ているだけで目が霞んできそうになる。
助けを求めて渡辺を見上げると、彼は、笑いながら言った。
「ごめん、基本だから。それ」
(………ですよね!)
由樹は背筋を伸ばすと、“純和風”のカタログから、開き始めた。
お昼近くまで勉学に励んでいると、事務所のドアが勢いよく開いた。
「おっはよー!!」
言いながら小さい影が入ってくる。
あれは―――。
全員一斉に立ち上がる。
「お疲れ様です!!」
つけた踵。
伸ばした背中。
指先はズボンの折り目。
角度は斜め45度。
全員が完璧なお辞儀を見せる。
「うんうん!お疲れー」
秋山支部長。由樹の面接をしてくれた人だ。
小さくて、温和そうで、どちらかというとかわいらしいフォルムにすっかり心を開いて、全部自分のことを曝け出してしまったが……。
まるで軍隊か、そうでなければ裏の世界のようなみんなの態度に由樹は身体を凍らせた。
(もしかして、この人、やばい人?)
「いたいたー!新谷くーん」
言いながら由樹の手を引く。
「ご飯まだー?まだだよねー?」
「あ」
リュックの中には、昨日泊まっていった彼女が作ってくれた弁当が入っている。
「まだです!」
精一杯の笑顔を作る。
(ごめん!夜、絶対食べるから!)
デスクの下で、リュックに向けて手を合わせる。
「よし、じゃあ行こう行こうー」
手を引かれ、事務所を出る。
ふと振り返ると、閉じるドアの向こう側で篠崎がこちらをじっと見つめていた。
いつの間にか駐車場に黒塗りのマジェスタが停めてある。
(うわ。いかにもなやつが停まってるよ)
意外に住宅展示場には、ガラの悪い人間の冷やかしが多い。
渡辺からも気を付けるように忠告を受けていた。
そのマジェスタに、ツカツカと秋山が歩いていく。
(さすが、支部長。注意しに行くのかな)
息を飲んで見守っていると、彼は、当たり前のように後部座席に乗り込み、パタムとドアを閉めた。
(え……)
慌てて反対側の後部座席を開けると、秋山がシートベルトを締めていた。
「車、これですか?」
「そーだよ、なんか問題ある?」
秋山が小さい目で微笑む。
運転席を見ると、茶髪の若い男性が座っている。
「初めまして天賀谷展示場の林です」
営業だろうか。それにしては随分小さな声だ。目も合わそうとしない。
「時庭展示場に入った新谷です。よろしくお願いします」
言いながら乗り込むと秋山は頷きながら笑った。
「若人は良いね、可能性がいっぱいで。じゃあ、寿司でも食いに行こう!レッツゴー!」
なんだかちぐはぐな3人を乗せたマジェスタは国道に飛び出していった。