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年が明け、三学期が始まった。
廊下を歩けば、冷たい空気とストーブの匂いが混じる。
俺と二宮先輩は、相変わらず人目を避けながらも、誰にも見えない合図を交わしていた。
──そのはずだった。
ある日の放課後。
教室で荷物をまとめていると、机に一枚の紙が置かれているのに気づいた。
そこには乱雑な文字でこう書かれていた。
> 二宮先輩と仲良すぎじゃない?
背筋が冷たくなる。
クラスの誰かが見ていたのか、それともただの噂か。
紙をくしゃりと握りつぶし、ポケットに押し込んだ。
その日の帰り道、先輩に会った。
「元気ないな。何かあった?」
「……多分、誰かに見られました。」
先輩の表情が一瞬だけ鋭くなる。
「何を?」
「……俺たちのこと。」
無言のまま、先輩は俺の腕を引き、人気のない路地に入った。
「大丈夫だ。誰にも渡さない。」
その言葉は、約束というより宣言のように響いた。
翌日、廊下で女子の笑い声が耳に入った。
「ねぇ、あの一年の笹原くんと二宮先輩、最近いつも一緒じゃない?」
「もしかして……そういうこと?」
背後からの噂に、足が止まりそうになる。
視線を感じて振り向くと、角の向こうに先輩が立っていた。
軽く顎を動かし、「来い」と目で合図する。
向かったのは旧校舎の空き教室。
扉を閉めると、先輩は深く息を吐いた。
「……笹原、これ以上噂が広がる前に、距離置くか?」
胸が締めつけられる。
「……それ、本気で言ってますか。」
「お前を守るためだ。」
「俺は、守られるだけの立場じゃないです。」
声が震えた。
先輩は数秒沈黙したあと、ゆっくりと首を振った。
「……やっぱ無理だな。お前から離れるとか、俺にはできない。」
その瞬間、外の廊下で足音がした。
教室の中を覗き込もうとする影。
先輩は迷いなく俺を壁際に押しやり、背中で隠す。
扉が開きかけ──また閉じられた。足音が遠ざかる。
俺は息を吐き出し、先輩の背中に額を押し当てた。
「……怖かった。」
「大丈夫だ。俺がいる。」
それから数日後、噂は不自然に収まった。
どうやら先輩が生徒会や部活仲間にうまく煙幕を張ったらしい。
誰にも真実は届かない。少なくとも今は。
放課後、灰色の廊下で並んで歩きながら、先輩が小さく笑った。
「なあ笹原。もしまた何かあっても──俺から逃げんなよ。」
「……逃げません。」
それは、俺たちだけが知る秘密の合図だった。
噂が収まってから一週間。
放課後の図書室で勉強していると、視線を感じて顔を上げた。
奥の席で、一人の男子がこちらをじっと見ている。
同じクラスの宮下だ。口元にわずかな笑みを浮かべ、本を閉じると立ち上がった。
帰り際、昇降口でその宮下が俺を待っていた。
「笹原、お前さ……二宮先輩と付き合ってんだろ?」
心臓が一拍遅れて動く。
「……何の話ですか。」
「とぼけんなよ。写真、持ってるんだわ。」
そう言って宮下はスマホをちらつかせる。
そこには屋上の倉庫前で話す俺と先輩の姿があった。
距離が近く、知らない人が見ればそういう関係だと思うだろう。
「別に悪いことしてるわけじゃないけどさ……これ、拡散されたら面倒じゃね?」
笑顔の裏にある悪意は隠そうともしない。
「何が目的ですか。」
「先輩に俺を紹介しろよ。あと、今度のテストのノート見せろ。」
脅しだった。
俺は奥歯を噛み締め、何も言わずにその場を離れた。
その夜。
俺は先輩に全部話した。
すると先輩の表情が一瞬で冷えた。
「……そいつ、俺に任せろ。」
「でも……」
「いいから。」
その声には、有無を言わせぬ迫力があった。
翌日。放課後の体育館裏。
先輩は宮下を呼び出していた。俺も少し離れた場所から見ていた。
「宮下。笹原に何した。」
「別に?ちょっと話しただけ。」
「写真、消せ。」
「やだね。なんで俺が──」
言葉が終わる前に、先輩が一歩詰め寄る。
目が氷みたいに冷たく光る。
「二度と笹原を使って遊ぶな。俺は、お前みたいなのが一番嫌いだ。」
数秒の沈黙。宮下は舌打ちし、スマホを取り出して画像を削除した。
「……わかったよ。」
その背中が見えなくなるまで、先輩は動かなかった。
人気のない廊下で二人きりになったとき、先輩は深く息を吐いた。
「笹原……悪い、怖い思いさせたな。」
「……守ってくれて、ありがとうございます。」
気づけば、指先が自然と先輩の制服の袖をつかんでいた。
「もう俺のことで危ない橋渡らないでください。」
先輩は苦笑し、俺の髪を軽く撫でた。
「無理だな。俺はお前のことになると、止まれねぇ。」
その言葉が胸に残ったまま、灰色の廊下を並んで歩く。
秘密も危うさも全部含めて、今はただ、この距離が心地よかった。
数日後の放課後。教室は人気がなく、俺たち二人だけだった。
「笹原、今から一緒に帰るか?」
先輩の声に、俺はすぐに立ち上がった。今日は……ちょっと、自分から距離を縮めてみようと思っていた。
廊下に出ると、先輩は腕を自然に差し出した。俺は迷わずその手を取り、少し体を寄せる。
「……先輩。」
先輩の視線が鋭く俺を捉える。普段の冷たい目とは違い、どこか優しさが混ざっていて、心臓が跳ねる。
「……ずっと、先輩のそばにいたいです。」
言い終わると、俺は勢いで先輩の肩に腕を回し、顔を近づけた。先輩は一瞬驚いたけど、すぐに笑みを浮かべて俺を引き寄せる。
「笹原……お前、そんなことして……」
俺は迷わず唇を重ねる。軽く触れただけなのに、先輩の温かさと柔らかさが全部伝わってくる。
「……先輩、大好きです。離さないでください。」
先輩は一瞬、固まった後、腕をしっかり回して俺を抱きしめた。肩越しに聞こえる先輩の心臓の鼓動が、俺の胸に響く。
「……笹原……俺も、お前のこと、ずっと大好きだ。」
その言葉に、俺は安心してもう一度先輩に顔を埋め、肩に抱きついた。
少しだけ泣きそうになりながらも、幸せな気持ちで胸がいっぱいになる。
廊下の冷たい風も、夕焼けの光も、二人を包むように柔らかく輝いていた。
秘密も危険も、もう怖くない。先輩がここにいる限り、俺は何も怖くない。
「……これからも、ずっと一緒にいてください。」
「当たり前だ、笹原。」
手を握り合い、体を密着させたまま、俺たちはゆっくりと帰り道を歩いた。
後輩の小さな勇気が、先輩との距離を完全に埋め、二人の世界は甘く満たされていった。
終わり。