入場口を抜けると薄暗い館内には心地の良いBGMが流れていた。床には絨毯が敷かれ足音を消してくれる。窄まった通路を通り先へ進むと高さ3メートルはあるだろうか、大きな水槽が壁一面に広がっていた。その圧巻の巨大水槽に一瞬で目を奪われる。
淡い青白い光を纏った水槽の中に、更に水面から射し込むライトの光が泳ぎ回る魚たちを照らし出し反射して幻想的な空間を作り出していた。
そんな光景に吸い込まれるように湊とシンは大きな水槽に近づいていく。
ガラス張りの水槽に顔を近づけ巨大な水槽を見上げる。
頭上のはるか上を、回遊魚が群れをなし輪を描くようにゆっくり泳いでいた。
その下には、エイがゆったりと羽を広げるような動きで泳ぎ、サメや見たことのない色とりどりの大小様々な魚たちが自由に泳ぎ底には砂や石が敷かれ海藻がゆらゆらと揺られまるで海の底から海上を見上げているみたいだった。
泳ぐことをやめない魚たちを目で追いながら自然とガラスに手をつき夢中で見入ってしまう。
時々、大きなエイが湊とシンの前を通り過ぎる。それは挨拶をしてくれているかのようで、その度に湊は微笑んでいた。
「すげぇな……」
さっきから、湊は何度その言葉を呟いただろう。
目をくりくりさせて、喜ぶ姿はまるで子供に戻ったように見えたので、思わずシンは笑ってしまった。
「クスッ…。そんなに喜んでくれて嬉しいです。誘って良かったです…」
「水族館なんて久しぶりに来たわ…」
「誰と来たんですか?」
すかさず聞くシンに
「じぃちゃん達と。ずいぶん昔にな…」
その返答を聞いてシンはほっとした。知らない名前が出てきたら…そんな心配はいらなかったみたいだ。
シンがガラスに張り付いている湊を後ろから抱きしめようと近づいてきたので
「おい……他にも人がいるだろ…」
そう言ってシンをかわした。
巨大水槽の周りには数人の客がいた。
平日とあって、まばらな客入りではあったが貸し切りではないので、やはり他人の目が気になる。
親子連れやカップルたちが水槽の前に並んでいたり、少し後ろには柵のついたステージのような一段高くなっている場所もあって座って鑑賞できるスペースには別の客が座っていた。
巨大水槽を絵画に見立て鑑賞できる。と言った感じだ。
一度たりとも同じ絵にはならない、動く絵画。皆、思い思いにその幻想的な光景を楽しんでいる。
その場から離れようとしない湊を見つめると鞄から取り出したカメラに収める。
「綺麗です。とても…」
撮った画像を見てシンが呟く。
「どれ、見せてみろ」
湊がシンのカメラを覗き込むと、そこには湊のアップが映っていた。
「お前っ、なに勝手に人のこと撮ってんだよ。水槽を撮れ水槽をっ!」
「俺のカメラでなにを撮るかは自由です」
至極真っ当な意見だが、勝手に被写体にされたのは納得がいかない。
「俺なんかより、せっかく水族館に来たんだから、魚を撮りなさい」
「いやです。俺のカメラには湊さん以外撮りたくないです。なのに…」
以前湊が勝手にシンの寝ぼけた顔を撮ったことを悔やんでいた。自分の写真なんかいらないので消してしまいたかったが、「この写真は湊さんが撮ったんだぞ。貴重な写真なんだから絶対消すなよ!」と、押し切られてしまったので未だに消せないでいた。
そうこうしているうちに、周りには人がいなくなっていた。
「まだ、見てますか?」
シンの問いかけに「もう少しだけ…」
食い入るように見る湊は飽きる様子が見られない。
「席空いたので座って見ませんか?」
湊に椅子に座って見ることを提案した。
「離れて見るのもいいかもな」
そう言って湊は1段高くなっているステージのような場所に移動し、椅子に座った。
頬杖をつき、うっとりとまた水槽を見入っている。
ーー魚たちに嫉妬してしまいそうだ。
こんなにも湊の視線を釘付けにしてしまうなんて……ずるい…。
自分以外を映している湊の瞳を見つめる。
この瞳に映るのは俺がいい…。俺だけでいい……。
そんなことを思いながら湊を見つめていると
「どうしたんだろう……」
ふと湊が呟いた。
湊が見つめる先をシンも見た。
さっきまで仲間と一緒に泳いでいただろう魚が一匹群れから離脱していた。
「疲れたんですかね…」
その魚の姿は、疲れたので岩場に隠れて休憩しているように見えた。
「俺みたいだ……」
そう呟いた湊の声はなんだか寂しそうに聞こえたので「どうしてそう思うんですか…」と、聞いてみた。
「群れで生活していると、どうしても同調性を求められる。他とは違うと知られるのが怖いから…だから無理にでも周りに合わせようとするんだ。でもな…本当はわかってるんだよ。自分はみんなとは違うって…だから疲れちまう。合わせてる自分がいつか壊れちまうってことも……」
コインランドリーで働く前の湊の話だろう。自分に正直になれず無理に周りに話を合わせていた頃の…。
「今でもそうですか?」
シンの問に湊は「いや…」と首を横に振る。そして、
「お前に出会わなければそうだったかもしれない…だけど……お前のお陰で俺は俺に戻れた」
そう言ってシンを見つめ返す湊の瞳に自分が映っていることを確認すると、そっと手を伸ばし湊の頬に触れる。
「やっと…見てくれましたね」
にっこり微笑むシンの横顔は揺らぐ水の光を浴びて神秘的な煌やきを放っている。
湊の瞳が今度はシンを捕らえたまま離せなくなっていた。頬に触れるシンの手に自分の手を重ねる。近づいてくるシンの顔に
「ちょっと待て…」
そう言って止めさせると、パーカーのフードを頭に被る。
「なにやってるんですか?」
「これなら…どっちかわからねぇだろ…」
万が一、他人の人に見られたら…その対策が咄嗟にかぶったフードなのだろう。
「俺は気にしません」
そう言いきったシンは湊のフードを取る。
「俺が気に………」
シンの唇が湊の言葉を遮った。
急にホールの灯りが落ち、水槽の青白い光だけが浮かび上がる。
2人の姿はシルエットとなって本来の姿が見えなくなっていた。
唇が離れると、
「なにか始まるみたいですね…」
今、重ねたばかりの湊の唇を親指でなぞりながらシンが言った。
「人が……集まりはじめたぞ…」
照れるようにシンから目を離した湊にもう一度口づけをする。
「…っ、ばか……」
照れながら言った湊を見つめ、悪戯に笑うシンの顔が湊は愛しかった。
まもなくショーが始まり、水槽の中に人魚が現れた。水中劇は人魚姫をモチーフに描かれていた。
底に沈む岩に座り水面を見上げる人魚の姿は陸に居る想い人を思い出しているようだった。
程なくしてショーが終わると数人を残し人がいなくなった。
「人魚姫は声と引き換えに足を手に入れたんだよな…お前ならなにを引き換えにする?」
湊の問いかけにシンは考えるまでもない。と言った顔をする。
「俺はなにも引き換えにはしません。目が見えなくなったらアンタの可愛い顔が見れなくなる。耳が聞こえなくなったら俺の好きなアンタの声が聞けなくなる。声を失ったらアンタに好きだって言えなくなる。腕がなくなったら抱きしめられなくなる……。だから、なにも失うことなくアンタを手に入れる」
湊は「お前らしい答えだ…」と笑った。
「湊さんは?」シンが同じ質問をする。
「俺は…」
と湊は少し考えた後、ニヤリと笑うと、「水中で待ってる」そう答えた。
「え?」
「お前ならどんな大海原に居ようが俺を見つけ出してくれる……だろ?」
それは湊らしい答えだった。
「ですね」そう言って笑うと椅子に置かれた湊の手に触れた。
10年も湊を想い続けたシンなら、海底で待っていてもきっと探し出してくれる。そう湊は確信していた。
手に触れるシンの手に指を絡める。
薄暗い館内なら椅子の下で手をつないでいることを誰かに気がつかれることはないだろう。
湊は再び水槽に目をやる。すると、
「あれ……」
指を差したのはさっきの魚だった。
その魚の休んでいた岩場に近づく小さな魚がいた。
「見つかっちまったのか…?」
「いえ…見つけ出したんですよ。ずっと探していたんです…きっと」
その言葉通り、休んでいた魚は小さな魚に連れられて行くように元の群れに戻った。
そして、一緒に並んで泳ぎはじめた。
「俺も必ず探し出します。どんなに時間がかかろうと必ず」
さっきの続きを言っているのかシンの言葉には熱がこもっていた。
「探しだされたら最後だな〜…」
湊は冗談ぽく言った。
「どう言う意味ですか?」
シンは少しムッとしながら聞き返す。
「しつこくつきまとわれて離れないから」
そう言ってクックッと笑う湊に
「当然離しませんよ。俺の宝物ですからっ」
真面目に答えるシンの言葉が嬉しかった。
身体を傾けシンの肩にもたれ掛かる。
「離さないのは俺の方かもな…お前がいなくなったら俺が俺じゃなくなる…もうあんな思いはしたくない……」
だから…と湊は続ける。
「俺から…離れるなよ……」
そう言ってシンの腰に腕を回し抱きしめた。
「湊さん…見られてますよ…」
灯りの戻った今は抱きしめ合うと見られてしまうのではないかと心配した。
「気にしねぇんだろ…」
さっきと言っていることが違うので笑ってしまう。シンも、湊の背中に腕を回し抱きしめ返した。
周りを気にせず抱き合えることが嬉しかった。
「このまま離したくない……」
シンの言葉に湊が頷く。
人魚姫の最後は叶わなかった想いを胸に、故郷の海に身を投げて終わる切ないお話だ。人魚姫の想い人は何故わからなかったんだろう。俺なら助けてくれた人を間違えないし、絶対に離さない。見つけ出すまで諦めないし自分の全てをかけて見つけ出してみせる。
そして、見つけたらこの手で幸せにする。必ず……。湊を抱きしめながらシンはそう思った。
湊はシンから離れると、手を取り
「次へ行こう…」
と、シンの手を引っ張る。
「次は、海月のコーナーみたいです」
「それも良さそうだなっ。楽しみだっ」
喜ぶ湊は、シンと手を繋いだまま歩きだした。
横に並ぶシンを見上げ湊は思った。
シンを愛しいと感じるのは、ありのままの自分でいられるから。
離れてしまったら、自分が自分でいられなくなってしまう。また、自分を偽るのはごめんだ…。離したくないと強く願っているのは俺のほうなんだろうな…。と。
また、シンと一緒に水族館(ここ)に来よう。
あの魚が群れからまた群れからはぐれていないか確かめたい。2匹がどうなったかを見てみたいと思った。
そして、優雅に泳ぐ魚たちの姿に癒されに…。
おしまい
【あとがき】
このお話を書いてる最中に匠くんがストーリーで水族館に行ったと知ってびっくりしてます。なんてタイムリーな……笑
さて、今日はライブ最終日ですね😊最終日のjokerは……楽しみです♪
それでは、また…。
2025.1.29
月乃水萌
コメント
12件
今回も最高すぎます💓 水族館デートもいいですね(⁎˃ᴗ˂⁎) また楽しみにしてます♡♡
今思うと、リトル・マーメイドって溺れてるところを助けるところとか、シンみなと重なる部分があるなって読んでて思いました♪今回のお話はいつものとまた違うシンみなの良さがあって、きゅんきゅんしました💕