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課長への返信を打つことなく、パソコンをシャットダウンさせると、そのまま会社を後にした。
アパートに着き、鞄を適当に床に置こうとした時、鞄の中に入れておいた携帯が震えた。
携帯を取り出し画面を見ると、母からのLINEメッセージが届いていた。
『野菜、もう少しあるから送ろうか?』
娘を想う、優しさたっぷりの母の心遣い。
しかし、野菜はほぼ手付かずのまま、送られてきた時とほぼ変わらない状態でダンボールの中に納まっている。
きっと、『まだあるから大丈夫だよ』と言われるより、『ちょうだい』と喜んで送ってもらう方が母は喜んでくれるだろう。
自分が落ち込んでいるからと言って、母の好意を無碍にはしたくない。
「……課長に私の想いが届かないなら、私だって課長の気持ちなんか無視してやる」
母に『欲しい。ありがとうね』と返事をすると、ダンボールの中からこれでもかと言うほど大量の野菜を取り出し、抱え込みながらまな板の上に置くと、それらを一心不乱に包丁で刻んだ。
久々に料理らしい料理をした。
なんだかワクワクして楽しかった。
出来上がったものをタッパーに詰め、トートに入れるとアパートを飛び出した。
チャリに跨り向かうは、課長が残業しているだろう会社へ。
勢い良くペダルを漕ぎ、息を切らせながらエントランスを駆け抜けると、エレベーターのボタンを連打。
自分の気持ちが冷静になる前に行動に移したかった。
冷静を取り戻してしまったら、きっとまた私はまたウダウダ落ち込み続けてしまうから。
開き直ったこの時に、やりたいことをやってしまいたいと思った。
気持ちが逸り、課長のいる事務所へ急ぐ。
エレベーターに乗り込むと、扉が開く前にセキュリティーカードをスタンバイ。
降りた途端に事務所の扉を解錠し、中に入った。
「お疲れ様です、課長」
そして、課長のデスクに一直線。
課長は今日も1人で残業していた。
「滝川さん。……どうしたんですか?」
振った女が用事もないのにやって来たことに、課長は驚き戸惑っている様だった。
「実家の野菜をふんだんに使ってドライカレーを作ってきました」
そんな課長をお構いなしに、トートからタッパーを取り出し、課長に突き出した。
「……え」
困惑気味の課長が私を見上げた。
「振った女の手料理なんか食べたくもないと思いますが、課長だって私の意見なんか聞いてくれないんだから、私だって課長の気持ちなんか考慮しなくて良いんじゃないかと思って。課長に料理を作りたかったから、食べて欲しかったから持ってきました。いらなかったら、私が帰った後に捨てて下さい。目の前でやられるのは流石に傷つくので」
課長が受け取ろうとしてくれないから、勝手に課長のデスクにタッパーを置いた。
「その理屈だと、滝川さんだって私の意見を汲み取ってくれなかったじゃないですか」
「……え?」
困り顔の課長の予想外の返しに、自分も困惑。
課長が何の話をしているのか分からず、目を丸くする。
「どうして山下くんについて行かなかったんですか? 私、ちゃんと促しましたよね?」
課長が、そんな私の記憶を呼び起こす。
一気に蘇る課長との会話。
「課長は『自分の心になんか嘘を吐けば良い』と言いましたけど、私は甘ったれで我儘だから、私は課長のことが好きだから、洋樹と一緒に行くことはしませんでした」
『そういう性格だから仕方がないんだ』と言わんばかりの私の態度に、
「私は、滝川さんには山下くんについて行って欲しかったです」
課長が、溜息混じりに顔を顰めた。
勢いだけで会社に来てしまったが、そんなにまで迷惑がられていたとは思っておらず、落ち込んでいたわりに楽観的だった自分が恥ずかしくなり、みるみる正気を取り戻す。
「……すみません。帰ります」
課長のデスクに置いたタッパーを持ち帰ろうと手を伸ばした時、
「滝川さんが作ってくれた料理が、いらないわけないじゃないですか。捨てるはずないじゃないですか」
課長がタッパーの上に手を置き、トートに片そうとしていた私の手を阻止した。
「滝川さんが私の為に料理を作ってくれることが嬉しかった。滝川さんと話すことが楽しかった。滝川さんにお礼のスイーツを選ぶことも楽しくて……。滝川さんが『好きだ』と言ってくれた時、心が大きく動揺しました」
課長がゆっくりと話し出した。
「……ずっと、妻への罪悪感が消えないんです。でも、消してはいけないものだと思っているので、それで良いと思っています。楽しいことや嬉しいことがある度に、幸せに浸ってしまったことに対して妻に申し訳なく思っていました。だから、滝川さんと楽しい時間を過ごした後、1人になった時にいつも心の中で妻に懺悔をしていました。それにも関わらず、滝川さんが料理を持って来てくれるのを楽しみにしていたりして……。謝意より欲求が勝ってしまう私も甘ったれです」
視線を落としながら、大事そうにタッパーに両手を添える課長。
「……滝川さんの告白を受けた時、物凄く怖くなったんです。自分に誰かを幸せにすることなど出来ない。自分が幸せになるなんて許されない。滝川さんの好意を知ってしまったから、自分の欲が増してしまうことなど分かり切っている。だから、滝川さんには私の目の前からいなくなってほしかった」
課長は苦しそうに話しているけれど、
「……課長の欲って、何ですか?」
私にとっては辛い話に聞こえなくて、それどころか嬉しい話にしか聞こえなくて、自分の期待が外れていない事を確かめる様に課長に質問を投げかける。
「……」
だけど、課長は口を噤んでしまった。でも、どうしても課長の返事が聞きたい。ここで諦めることなど出来ないし、したくない。というか、しない。
「課長は私との時間を楽しんでくれていたんですよね⁉ それを『幸せ』と感じてくれていたなら、課長が幸せなのは、私のせいですよね⁉ 全部私のせいです。私が課長をそんな気持ちにさせたんです。課長は悪くない。私が全部悪い。だから……。私は課長が好きです。大好きです。課長は⁉」
理論として成り立っているのかどうか分からないことを、マシンガンの様に話しながら課長に詰め寄る。
「……滝川さん、私の話を聞いてましたか? 私には誰かを幸せにする自信がありません」
私の圧に、課長が少し後ずさった。
「私は甘ったれで我儘だけど、幸せを誰かに恵んでもらおうなんて思ってません。幸せは自分で捕まえます。課長こそ私の話、聞いてましたか? 私は課長が好きです。課長はどうなんですか⁉」
それでも更に押す。絶対に引くもんか。
「……こんなバツ1のオジサンのどこがいいんですか?」
こんなに押しているのに、それでも返事をしよとしない課長。
「こっちが聞きたいですよ。どこがどうして何でこんなに好きなのか分からないけど、好きなんです。課長は私のこと、どう思っていますか? 好きですか? 嫌いですか?」
なかなか課長が答えてくれない為、2択の質問に変更。
「……好きですよ。とても。そんな力技で言わせなくても」
観念した課長が眉尻を下げながら、ようやく口を割った。
ドラマなら、映画なら、こんな時は嬉しさと安堵で涙するのだろう。
なのに私ときたら、
『きゅるるるるるー』
気持ちが満たされた途端に、空腹を催してしまった。
「……今、お腹鳴らす場面じゃないですよ。滝川さん」
折角の盛り上がりシーンを台無しにした私の空腹音に、苦笑いする課長。
「分かってますよ‼ もう‼ なんで今鳴るかな」
羞恥のあまりに俯きながらお腹を摩ると、課長がそんな私の頭を撫でた。
自分の髪を触る課長の手が嬉しくて、こういう間の抜けた幸せが私たちにはお似合いなのかもしれないと、暫く課長に頭を委ねた。
「だから、アイス食べておけば良かったのに」
私の頭を撫でながら、課長が私の顔を覗き込んだ。
「アイスの差し入れ、本当は課長でしょ? なんでそんなことしたんですか?」
課長の顔を覗き返す。
「だって滝川さん、私からだと言えば食べてくれなかったでしょ? 最近ちゃんと食べてないみたいだし、心配で。何だったら食べてくれるか考えた時に、ゼリーだったら食べやすいかなと思って買って行ったら、半分食べてくれて、半分は凍らせて食べていたから、『じゃあ次はアイスにしよう』と思って」
笑顔で答える課長。
「……え。ゼリー食べてるところ、見てたんですか?」
誰もいないと思って、一人で『冷たい』だの『美味い』だのとリアクションしていたところを見られていたとは……。
やってしまった。と額に手を置きながら、半歩課長から遠ざかると、
「コラコラ。引くな引くな。こっそり見てたことは気持ち悪いだろうとは思いますが、ガッツリ見てたら食べるのやめてしまったでしょう? ゼリー、美味しそうに食べてくれて嬉しかったです」
課長が私の二の腕を掴み、元の位置まで引き寄せた。
「別に気持ち悪いとは思ってなくて……。ひとりでゼリーの感想を口にしていたところを見られていたのがちょっと……」
無意味に視線を斜め下に向けている私に、
「面白かったです。あ、可愛かったです」
1回失敗しながら課長がフォローを入れた。
『ハハハ』
そして2人で笑い合う。
「今日、早めに残業切り上げるので、一緒に私のマンションで滝川さんお手製のドライカレーを頂きませんか? インスタントのご飯もお味噌汁もありますから。お味噌汁、色んな味のものが揃っているので、選び放題ですよ。実は、滝川さんに手料理を頂く様になってから、それに合うお味噌汁を選ぶのが楽しくなってしまって……」
課長が「あさりと、ワカメと、しじみと……」と指を折りながらお味噌汁の在庫を思い出している課長。
インスタントかぁ……。別に良いけれど……。
「課長、残業はあとどのくらいかかりますか?」
「30分くらいかな。……この会話、異動してきた初日にもしましたね」
課長が「そんなに前のことじゃないのに、なんだか懐かしいですね」と笑った。
「課長、やっぱり私のアパートで食べましょう。私、先に帰ってスープ作っておきます。お味噌汁でも良いんですけど、カレーなのでスープの方が合うと思いますし、インスタントより作りたいです。私のアパートの住所、LINEしま……」
鞄から携帯を取り出し、一瞬考えていると、
「あるよ‼ ID持ってるよ‼ 老人扱いしすぎですよ‼」
課長が「ホラッ‼」と携帯の画面にLINEのQRコードを映しながら私に「登録して」と差し出した。
「あはは。すみません」
笑いながら謝り、課長の携帯の上に自分の携帯を翳した。
「じゃあ、後で住所を送っておきますね」
さっさと帰ってスープを作ろうと、鞄を片に掛け事務所を出て行こうとした時、
「やっぱり1時間掛かるかも」
課長が私を引き止めた。
「……え」
何故か時間を遅らせられたことに、悲しくなって足を止める。
「帰りにスイーツ買いたいので。何か食べたいものはありますか? リクエスト可ですよ」
しかし、課長の言葉で笑顔が戻った。
「課長が選んでくれたものが食べたいです。じゃあ、ご飯も炊いて待ってます‼」
「なるべく早く帰りますから」
課長と笑顔で1時間後の再会の約束を。
私は、課長と囲む幸せな食卓があれば、それでいい。
コメント
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第14話、読み終えました…!課長がようやく本音を少しだけ明かしてくれたシーン、じんわり来ましたね。「好きですよ。とても」って、あの口調で言われたら滝川さんじゃなくても胸が詰まります。ラストのお腹の音でシリアスがふわっとほどける感じも、この作品らしくて好きです。二人の距離が確かに縮まった回でしたね🌷