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さて。
数日が経ち、少女が冷蔵庫のプリンを食べる時に一言、断りを入れるようになった頃。
わたしは折を見て「もし都合がよくなったら、君の家を見に行きたいな」と言った。
その意味を理解した少女は血の気が引いていたけれど、「都合がよくなったらでいいんだ」と念を押すと、絞り出すように「わかった」と答えた。
「大丈夫、大人は子供を守るものさ。」
そう言われて困惑する少女に「本当はそういうものなんだよ。」と付け足した。
「だから、頼ったらいいんだ。」と。
大人としての自覚もない、最近二十歳になったばかりのわたしが口にすると嘘になるのかもしれないけれど。それでも、必要な言葉だった。
少女が頷く。頷きながら考えていた。
この選択で自分に降りかかる火の粉や利害のことを考えているのだろう。
年齢に似つかわしくない悩みだ。
この少女はきっと、不憫なのだろう。
しばらくして、少女はこう言った。
「明日見てくる。それで大丈夫だったら、呼ぶね。」
「だから、なんとかして」
わかった、なんとかしよう。
大人に任せておきなさい。
翌日、少女の家へと連れて行ってもらった。
おそらく近所なのだろうとは思っていたけれど、まさか路地を2つ挟んだ先だとは思わなかった。同じ町内どころではない、ご近所さんと言える距離だ。
道中で見た施設の存在意義に歯がみした後、少女に自分の名前を教える。
そして、少女の名前を訊いた。
何度聞いてもまったく教えてくれなかった本名を、少女は口にする。
「勅使河原(てしがわら)ミカ。」
ああ、名前を伏せたくもなるだろう。
この近くではあまり見ない、珍しい名字だ。
名字を頼りに近隣を見回ればそれだけで住所を当てられてしまう。
少女の家の表札には「勅使河原」とあった。
二階建ての一軒家、おそらくは持ち家なのだろう。
「鍵は?」
「空いてる」
「どこを見てくればいい?」
「リビング」
「それまで、ここで待てる?」
「いいけど、すぐ戻ってきて」
短いやり取りを終えて、わたしは少女の家に入る。
まず、異臭がした。
甘ったるい、それでいて吐き気をもよおす臭いだ。
少女が持ってきた服も同様の臭いがしたので、すぐに洗濯したものだ。
こんなところにいられないと、逃げたくなるのも頷ける。
リビングは一階だろう。
二階に上がる階段を無視して、リビングらしき部屋に入る。
一段と臭いが濃くなって、吐き気を抑えるのに苦労した。
リビングにあったのは、刃物によってズタズタに殺傷された母親の死体と。
その前で首を吊っている父親の死体だった。
死後、十分な時間が経過したのだろう。
もはや血は乾き、眼球にハエがとまっても身動きもしない。
脈をとるまでもなく、死んでいるのは明らかだった。
家具は倒れ、食器は割れ、包丁は刺さったまま。
激しく争った痕跡だと素人にもわかる。
窓硝子は割れていて、緑色の養生テープで補強されていた。
ここが、少女の家。
帰るべき場所であり、住処。
いわゆる生活の場だった。
「……。」
すぐにリビングから出て少女のもとに戻ると、玄関前で待つ少女が怯えた顔でこちらを見た。わたしは今、どんな表情かおをしているのだろう。
何かに耐えきれなくなった少女が泣き出す。
心の中に沸き立つ何かを押さえ込み、噛み殺すような涙だった。
この後、警察に直行する予定だったけれど。それは明日にすることにした。
そんなことより先に、するべきことがある。
わたしが下宿先に来るよう促すと、少女は小さく頷いた。
頼りなげに伸ばされた手を、無言で握り込む。
外から見ると、緑色の養生テープで補強された窓が見える。
母親の身体にはアザがあったし、おそらくは日常的な暴力があったのだろう。
刃物でズタズタにされて、声を上げなかったとは思えない。
両隣にも向かいにも、なんなら後ろにも。
前後左右に家が建っているけれど、誰も気づかなかったのだろうか。
家具が倒れ、食器が割れる音というのは、実はとても静かなのかもしれないな。
特に殺される女性の断末魔というのは、誰も気づかないほど静かなのかもしれない。
しばらく歩くと、あの施設が見える。
児童相談所だ。
勅使河原家から徒歩2分もかからない距離に、それはあった。
子供を守るために存在しているはずなのだけど、残念ながら今回は何の役にも立たなかったらしい。
わたしはトロッコ問題のことを思い出していた。
あの問題にはいくつかの派生問題がある。
本来のトロッコ問題は暴走するトロッコの行き先をスイッチで変えて誰を犠牲にするか決めるけれど、派生問題では直接人を崖から突き落とし、トロッコに轢かせるかどうかを決めるというものだった。
結果としては一人の命を犠牲にして、別の誰かを救っていることに変わりはないのに派生問題では人を突き落とすことを躊躇う人間が続出した。
人は誰かを犠牲にする時、少しでも罪悪感が薄れる方法を選ぼうとするのだ。
誰かを見殺しにしたい時には、見て見ぬふりをして、とぼけることもある。
そして、すべてが終わってからこう言うのだ。
「こんなことになっているなんて知らなかった。」
「ああ、なんてかわいそうなんだ。早く相談してくれればよかったのに」
少女が部屋に住み着き始めた頃にわたしが躊躇ったように、ここの住民たちも躊躇ったのだろう。
服のシミ、いわゆる血痕をつけたまま歩き回る少女の事を心配して、家に泊めてやる人は少数派だったらしい。警察に通報すらしなかった。
どうやら、服に血のついた少女というのは守るべき対象ではないらしい。
あるいは、わたしのように拉致や監禁を疑われることを恐れたのかもしれない。
自分の人生や家族の生活の方が、見知らぬ少女よりも大切だったのかもしれないな。
ああ、そうだ。
トロッコ問題には最適解がある。
問題本来の意図からは外れてしまうので、厳密には解でも何でもないのだけど、わたしが最適解だと思っているものがひとつだけある。
それはまず、結果主義的な思考で自分にとって結果的な利益が最大になる選択をすること。
たとえば、家族であったり自分自身であったりを優先して守り。恨まれたら厄介そうな人間を守り。優秀な人間を守り。数が多い方を守ることだ。
しかし、現実問題としてそんなことをすればこう批難されるだろう。
「犠牲にされた人がかわいそうじゃないか」
その批難を躱かわすためにこう言い訳するんだ。
「いや、こんなことになるなんて知らなかったんだよ」
自分は誰も犠牲にしてはいない。
たまたま自分にとっていい結果になっただけで、自分は無関係なんだと主張することだ。
『そもそも、誰かを犠牲にして誰かを助けるということが間違っている。』
そうした義務論的な考えを盾として扱い、責任を回避することだ。
卑怯な、とても卑怯な解だ。
でも、こうすれば社会的な批難を免れながら、自分の望んだ未来を得ることができる。
まさに最適解だと思う。
この解は自分が何の手出しもしなくても、トロッコが勝手に目標を轢いてくれるシチュエーションではより強力になる。
たとえば、明らかに家庭内暴力が横行している家があったなら、関わらないようにするだけで、自分や家族を守れるし。
明らかに殺人が起こっていても、警察に通報することで犯人に恨まれそうな状況なら、関わらないようにすればいい。
明らかに事件性を感じさせる血痕つきの服で町を徘徊する少女を見つけた時は。はい、もうおわかりですね。関わらないようにすればいいんです。無関心を貫きましょう。
そうすれば、自分と家族。多くを守ることができる。
仕方ない、そう仕方のない犠牲だ。
かわいそうだけれど、気づけなかった。
何も知らなかったのだから仕方ない。
誰かを犠牲にしようとしたわけではなく、たまたま自分に都合がいい結果になっただけなのだから。
だから、自分には何の罪もない。
そう主張すればいい。
少女がどんな環境で生活しているかとか、死に絶えつつある親と過ごす心境とか、腐っていく親の臭いとか、未来のなさとか、そういうことを気にする必要は無い。
見なかったことにして、忘れてしまえばいいんだから。
誰だって、他人がひどい目にあうかより自分が罪を負わずに済むかどうかの方が大切なのだから。
だから、わたしも見て見ぬふりをするし。
自分にとっての最適解を出す為に卑怯なこともする。
当然だろう。
ここは、そういう世界なのだ。