テラーノベル
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猫が膝にいて痺れるんだけど
目が覚める。朝だ。
カーテンの隙間から差し込む光も、隣の部屋から聞こえる物音も、いつも通り。
ゴン!
(あ……)
聞き慣れた、誰かが転けた音。
あぁ、みことさんだな、と半分寝ぼけた頭で察する。
(……平和だな。)
そう思った瞬間、違和感に気づく。
なんか暖かい。
腹のあたりが、ほんのり重くて、ぬくい。
「…?」
布団をめくる。
🐈にゃぁぁぁ…
弱々しく鳴く、小さな灰色の塊。
赤い瞳が、うるっとこちらを見上げていた。
「……いつものなつ…」
人間じゃない。 ちゃんと、四足で、ふわふわで、ちょっと寝ぐせみたいに毛が跳ねてる、俺の猫。
「てことは、昨日のは夢?」
首をコテっと傾げるなつ。 その仕草が、昨日と同じで、でも今は完全に猫だ。
(……可愛い)
思わず抱き上げて、ぎゅっと胸に押しつける。
「はぁ…良かった戻ってる。多分ストレス溜まってたんだよなぁ。」
なつは抗議もせず、喉をゴロゴロ鳴らす。
その振動が、胸にじんわり伝わる。
昨日の温かさ。
膝の上の重み。 「遅い…」って言った声。
全部、妙にリアルだった。
(……夢、だよな?)
なつの小さな前足が、俺の服をきゅっと掴む。
赤い瞳が、じっと見上げてくる。
🐈んにゃ。
その鳴き声に、胸が少しざわついた。
まるで。
ちゃんと覚えてるよって言われたみたいで。
俺は一瞬黙って、そして苦笑する。
「……ま、どっちでもいっか。」
猫でも、人間でも。 こいつが俺のそばにいるなら、それでいい。 そう思いながら、俺はもう一度、なつを抱きしめた。
「今日は休みだし、久しぶりにふたりでゴロゴロしてよーなぁ。」
🐈にゃぁぁぉ…
「お腹すいたもんな、今用意するから…ちょっと待ってて。」
ベッドから起き上がり、まだ寝ぼけた足取りでキッチンへ向かう。 棚の上からカリカリの袋を取り出し、器を探す。
平和だ。 完璧に、いつもの朝。
「あ、…人間になってる」
背後から、ぽつり。
その一言で、時間が止まった。
「……は?」
ゆっくり振り向く。
そこにいたのは… 昨日のままの、人間のなつ。
しかも、 何も着てない。
「……」
ドサッ…
俺の手から、猫の餌の袋がするりと落ちた。
「服着ろ!!!!」
反射だった。
ほぼ本能。
クローゼットへ猛ダッシュし、適当に掴んだTシャツを振り返りもせず投げる。
「んっ、…ご主人様?」
呑気な声。
「っ、…早く着てお願い、目のやり場に困りまくる。/////」
思い切り顔を逸らす。
心臓がうるさい。うるさすぎる。
(なんで、人間になってんだよ…朝から…!!!)
後ろで、布がもぞもぞ動く音。
「これ、どうやって着るの?」
「頭から!! 頭から入れて、袖はあと!」
数分後
「……着れた。」
恐る恐る振り向く。
ぶかぶかのTシャツ一枚。
膝上まで隠れて、袖も余りまくっている。
赤い瞳が、きょとんとこちらを見る。
(…やばい、くっっそ、可愛い)
「なんでまた、人間になってんだよ…」
「分かんない。」
「……はぁ。」
俺は額を押さえる。
「今日はひたすらにゴロゴロする予定だったんだけど。」
「ゴロゴロする。」
即答。
そして、なつはとてとて近づいてきて、俺の服の裾をきゅっと掴む。
「ご主人様と、一緒にする。」
「…そのご主人様呼び辞めてくれん? 周りからすごい目で見られたらどーすんだよ…」
腕を組みながら言うと、なつはきょとんと首を傾げた。 赤い瞳がまっすぐ俺を見つめる。
「でも、ご主人様はご主人様でしょ?」
「いや、まぁ…そうだけど。」
事実だけど。
拾ったの俺だし。世話してんのも俺だし。
でも外でそれは色々まずい。
「俺の名前は、いるま。ほら、言ってごらん。」
なつは少し考えてから、口を開く。
「いるまサマ?」
「サマつけんな。」
ぺし、と軽くデコピン。
「ん”にゃっ」
完全に猫の声。
思わず吹き出しそうになるのを堪える。
「ほら、い・る・ま。言って。」
指で区切りながらゆっくり教える。
なつは真似するように唇を動かす。
「いるま…さ、…」
「サマはつけない。」
じっと見つめると、なつは少しむっとした顔をして、でも言い直す。
「……いるまっ、」
「…」
その瞬間。 胸の奥が、ぎゅっとなった。
呼ばれ慣れてるはずの自分の名前が、なんでこんなにくすぐったいんだ。
「……よくできました。」
思わず頭を撫でる。 なつは嬉しそうに目を細めて、喉を小さく鳴らした。
「いるま。」
もう一回。
今度は、少しだけ誇らしげに。
(やば……)
破壊力が凄い。
「……外ではそれで頼むからな?」
「うん。いるま。」
「いるまー、お腹すいた。」
「はいはい。」
返事をしながら立ち上がり、キッチンへ向かう。 冷蔵庫を開けて中を確認する。
卵一個。 半分しなびたネギ。 調味料。
「うわ、全然無い…はぁ、買い物行くかぁ。」
扉を閉めた瞬間、背後からぱっと明るい声。
「えっ、行きたい行きたい!」
振り向く。
ぶかぶかTシャツ姿のなつ。
そして、 頭の上に、猫耳。
「……だめ。猫耳生えてんだろ。」
「え?」
自分の頭をぺたぺた触る。
「あ。」
自覚なしかよ。
「いーきーたーい!」
ぴょこぴょこ揺れる耳。 尻尾まで出てる。完全に出てる。
「無理無理無理。ニュースになるわ。」
「いるまと一緒がいい!」
「ずるい言い方すんな。」
赤い瞳がうるっとする。 耳がぺたん、と寝る。
(……あーもう。)
「外はな、普通じゃないと目立つんだよ。」
「普通ってなに?」
「耳と尻尾がないこと。」
「……取れない。」
「だろうな。」
なつはとてとて近づいてきて、俺の服の裾を掴む。
「すぐ帰る。静かにする。走らない。」
「いや、静かでも耳が自己主張してんのよ。」
「いるまぁ…」
「っ、…」
名前を呼ばれる。
それだけで心がぐらつくのやめたい。
「……はぁ。」
額を押さえる。
「絶対俺の後ろ歩けよ。喋るな。耳はフードで隠す。尻尾は上着の中。少しでも騒ぎになりそうなら即帰る。」
「いける?」
ぱぁぁっと顔が輝く。
「……条件守れたらな。」
「守る!」
即答。
嬉しそうに尻尾をぶんぶん振る。
(全然隠す気ないだろ……)
でもその笑顔を見ると、強く言い切れない自分がいる。
数分後
「よし…多分これでバレないよな。」
深めのキャップに、少し大きめのパーカー。
フードも被せて、耳をぎゅっと押さえ込む。
尻尾は、上着の中に押し込んだ。 たぶん、シルエット的にはセーフ。
なつは鏡を見て、少し不満そうに眉を寄せる。
「耳きゅうくつ…」
「ちょっとは、我慢しろ。」
指で帽子の位置を微調整する。
ぴこ、と中で耳が動く感触が伝わる。
(……ほんとに生えてんだよなぁ。)
「ご主人さ…う”うん…いるま、今の俺…可愛い?」
言い直したのが分かって、少しだけ口元が緩む。
振り向くと、なつは期待満々の顔でこっちを見ていた。 瞳がきらきらしている。
「…まぁ、うん…及第点なんじゃない?」
わざとそっけなく言う。 本音は、 めちゃくちゃ可愛い。 でも言ったら調子に乗るのが目に見えてる。
「あはは、いるまツンデレ~」
「誰がだ。」
軽く額を小突く。
「ん”にゃっ」
小突かれたデコをなつは痛そうにさすっていたが、手が止まり、なつは嬉しそうに俺の袖を掴む。
「いるまと、おでかけ。⸝⸝」
その言葉に、胸の奥が少しだけ温かくなる。
(……ほんと、調子狂うわ。///)
「バイク…」
なつがぽつりと呟く。
「ヘルメットするから一回帽子取って。」
「うん…」
素直に帽子を外すと、 抑えつけられていた猫耳が、解放されたみたいに真っ直ぐ立った。
なつはぶるっと顔を振り、違和感を払うように耳を指先で撫でる。
その仕草が、妙に無防備で、目を奪う。
「またきゅうくつ、なるの?」
少し不安そうな赤い瞳。
「これに関してはしょうがない。」
そう言いながらヘルメットを手に取った、その瞬間。
「ママー!猫さんいるー!」
後ろから聞こえた高い声に 心臓が跳ねた。
「こら、見ちゃいけません。」
ひそめた母親の声。 反射的に、俺はなつの頭を押さえ、ヘルメットをかぶせた。
「ん”にゃッ!?」
カチ、とバックルを留める。
「うぅ、…これやだぁ…」
くぐもった声が中から響く。
「我慢。」
耳も、尻尾も、存在そのものが目立ちすぎる。
俺は周囲を一瞥する。 誰もこちらを凝視していないことを確認して、息を吐いた。
「ほら、乗って。」
「うん…」
小さく頷き、なつが後ろに跨る。
ぎこちない動き。 まだ人間の体に慣れていない。 次の瞬間。
ぎゅっ…
腰に、腕が回る。 思ったよりも、強く。
「……落ちるなよ。」
「落ちない。いるま、いるもん。」
ヘルメット越しの声は少し甘くて、少し安心しきっている。
エンジンをかけると、 低い振動が、俺となつの間を満たす。 その振動に合わせるように、なつの腕に力がこもる 。
背中になつの体温が伝わる。猫は体温が高くて暖かいけど、今は人間だから猫の時より低い。
昨日の夜を思い出す。 猫だった頃は、こんな風に抱きつくことはなかった。 ただ隣に丸まって、同じ空気を吸っていただけ。
(……近い。)
アクセルを軽く回すと、 バイクがゆっくりと動き出し、 風が流れ、街の匂いがすり抜けた。
「はい、ついた。」
できるだけ人目につかない場所を選び、スーパーの裏手にバイクを止める。
エンジンを切ると、さっきまでの振動が嘘みたいに静まり返った。
なつのヘルメットに手をかける。
カチ、と外して持ち上げた瞬間、圧迫されていた猫耳が、ばねみたいに弾けて立ち上がった。
なつの猫耳が、小さく震える。
(……目立つなぁ、ほんと。)
「はい、帽子。」
耳を隠すように、さっとキャップを被せる。
なつは少しだけむっとしながらも、素直に受け入れた。
「ん……ここ、どこ?」
きょろきょろと辺りを見回す。 裏手だから人気は少ないが、遠くでカートの音が響いている。
「スーパー。わざわざ裏側に止めたんだから。」
声を潜める。
「ほら、行くよ。」
「うん。」
小さく頷き、なつが俺の袖をきゅっと掴む。
その仕草が自然すぎて、一瞬胸が詰まった。
「っ…」
アスファルトの上を、二人分の足音が並ぶ。
帽子の下で、耳がぴくりと動くのが分かる。
尻尾もきっと、上着の中で落ち着きなく揺れている。
「絶対静かにな。」
「うん…」
「うわぁぁぁ…すごい…すごい…」
自動ドアが開いた瞬間、なつの世界は一変した。
蛍光灯の白い光。 規則正しく並ぶ棚。 色とりどりの包装。 人の気配、足音、カートの軋む音。
そのすべてが、初めて見る景色みたいに映っているのだろう。
赤い瞳が、無垢な驚きで満ちる。
次の瞬間、前へ飛び出そうとした。
ガシッ
「う”にゃっ…」
俺は即座に、なつのフードを掴んだ。
「暴れない。」
「買うのは、食材だけだから。」
念押しする。だけど、何故かなつは何もしゃべらず、 返事をしない。
「聞いてる?」
なつの視線の先を見ると、そこには氷の上に整然と並べられた魚。 銀色に光る鱗。 水気を帯びた匂い。 剥き出しの生命の名残。
「魚…」
完全に、獲物を見る目だった。
「んな”っ、見るな!」
反射的に肩を抱いて方向転換させる。
「っ、あっち行こう!な!?」
魚売り場から強制退避。 背後で氷が崩れる音がすると、なつの耳がぴくりと跳ねたのだろう、帽子が少し動いた。
食材を一通りカゴに放り込み、レジに並ぶ。
ピッ、という規則正しい音が、やけに大きく聞こえる。
そのとき。
ぐいっ
「ん?」
見下ろすと、帽子のつばの影から赤い瞳がこちらを見上げている。
「…眠い…おんぶ」
「はいはい、…あとでな。」
レジ前で背負うわけにはいかない。
人目がある。ありすぎる。
「うぅぅぅにゃぁぁぁ…」
抑えきれない猫の声。
まずい。 そして次の瞬間、なつは俺の背中に額をぐりぐりと擦り付け始めた。
「やめろ、やめろ…」
低く囁くが、まったく止まらない。
(まわりからの視線が…)
会計の合計金額が表示される。
財布を出す手が若干震える。 なつはとうとう俺の背中に半分体重を預けてきた。
「う”ぐ…」
会計を済ませ、袋を掴んで歩くと、なつは俺の袖をつかみながらゆっくり歩いている。
「ほら、外出るぞ。」
店を出た瞬間。
「おんぶ。」
俺は周囲を確認する。 人通りは少ない。
「……一瞬だからな。」
しゃがむと、 なつは迷いなく背中に乗り、首元に腕を回した。 ぴたり、と頬が背中に触れる。
「ん…」
満足そうな小さな声が、背中の服によって吸収される。
(……ほんと調子狂う。)
買い物袋を片手に、猫耳を隠した甘えん坊を背負って歩く。
「次からは絶対、留守番な。」
「やだ。」
「あーもう…本当に、…重たい!」
口に出してから、少しだけ罪悪感がよぎる。
デリカシーがないのは分かっている。
けれど、背中に感じる体温と重みは、確実に人間の男。 猫の頃は、片手でひょいと持ち上げられたのに。
肩にずしりと乗る重さ。 首元に回された腕。 頬が背中に触れて、じんわりと温かい。
(……んにしても、さっきから静かだな。)
さっきまで甘えた声を出していたのに。
「なつー?」
「すぅ…すぅ…」
「寝てる……。」
(よく人 の背中で、まぁ堂々と…💢)
信頼しきった呼吸音が、背中越しに伝わる。
吐息が布を通して、微かに熱を残す。
腕の力は強くなっている。 無意識に、離れないようにしているのだろう。
俺は小さく息を吐く。
「……今この状況でバイクはダメかぁ。」
眠ったまま乗せるわけにはいかない。
さすがに危ない。 視線を巡らせると、少し先に公園の木々が見えた。 ブランコが揺れている。
昼前の穏やかな光。
「近くに公園あるし、そこで一回休憩すっか。」
公園のベンチに辿り着き、そっと腰を下ろす。
なつはまだ眠っている。 頬を擦り寄せるように、背中に顔を埋めたまま。
「……まじで、自由だな。」
小さく笑う。 猫だった頃も、好きな場所で好きなだけ寝ていた。
「背中はさすがに重い…なつー、せめて膝で寝て?」
「ん”ん、……」
寝言のような曖昧な返事。
まったく意思疎通が成立していない。
「…はぁ、」
ため息をひとつ落として、絡みついた腕をゆっくり外す。 起こさないよう慎重に。
壊れ物でも扱うみたいに。
そのまま体勢を変え、膝の上へと寝かせる。
「すぅ……すぅ……」
変わらない寝息にいらっとする。 陽に照らされた横顔が、妙に整っているのが腹立たしい。
(なんで寝顔まで完璧なんだよ。)
睫毛は長く、口元は無防備に緩んでいる。
こんな顔で甘えられたら、文句も言いづらい。
俺は視線を空へ向ける。
昼過ぎ。 風は穏やかで、腹が鳴るにはちょうどいい時間。 買い物袋からパンを取り出し、包装を破り、 一口食べる。
「……美味い。」
静かな公園に、咀嚼音だけが溶ける。
二口目を齧ったところで、ふと思い出す。
「…ぁ、猫の餌忘れた。あーでも、 此奴今は、人間だし…買わなくてもいいのか。 」
膝の重みは確かに人間の重さ。 そう思った、次の瞬間。
「わー!猫ちゃんだ!」
高い声が聞こえて、前を見ると、 少年がこちらへ駆けてくる。 心臓が跳ねた。
(まさか、耳が出て…
慌てて膝の上を見る。
「……は?」
そこにいたのは。 小さく丸まり、尻尾を体に巻きつけて眠る、 完全なる猫の姿。 ふわりとした毛並み。 規則正しく上下する小さな背中。
さっきまでの人の姿は、影も形もない。
「は???」
思考が追いつかない。 少年は目を輝かせている。
「かわいいー!」
(…なんで…今…)
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