ミレーヌ・クライステル――
それが辺境の地『リアフローデン』に追放されシスター・ミレとしての人生を歩む前の私の名前です。
クライステル家はアシュレイン王国にある伯爵家の1つで、私は貴族令嬢として幼少期を何不自由なく暮らしておりました。ただ、貴族としての暮らしや教育に息苦しさと言うか、据わりの悪さと言うか、どこかここが自分の居場所ではないような、漠然とした違和感を覚えてはいたのを記憶しております。
そんな多少の閉塞感を覚えていたものの、平凡で平穏だった私の生活が10歳の洗礼の日に一変しました。
「何だこの光は!」
「これは……間違いない聖なる力だ」
「では、クライステル卿のご息女は……」
洗礼は王都の大聖堂で行われたのですが、手順に従い司祭様がひざまずき黙祷する私の頭頂部に聖水を振りかけた時にそれが起こりました。
信じられないことに、私の身体が光り輝き始めたのです。
「おめでとうございますミレーヌ・クライステル様」
「司祭様、あの……これはいったい?」
「ご安心下さい。むしろこれは慶事なのです」
私は戸惑いましたが、司祭様はとても嬉しそうに笑いました。
「ミレーヌ様の体から発した光は聖女の気。それは、あなたが聖女である証しなのです」
その日より私は聖女となったのでした。
聖女――
それは結界を張り、大地を清め、魔を滅することで、国に魔が蔓延らぬようにする聖なる力『神聖術』を修めた者を指します。
「初めまして。私はエンゾと申します」
私は聖女としての『聖務』を教えて頂く為に、唯一の聖女であるエンゾ様の下に通うよう指示を受けました。
数十年前まではアシュレイン王国にも多くの聖女がいたそうです。ですが、高齢で引退されていたり、既に儚くなっておられたりと年々その数が少なくなっておりました。私が聖女になった頃には、目の前のエンゾ様というご高齢の聖女様が一人だけとなっておられました。
「お、お初に御目文字いたします。私はミレーヌ・クライステルと申します」
「これはご丁寧にありがとう存じます」
まだ幼い私ががちがちに緊張して挨拶すると、エンゾ様は柔らかい表情で迎えてくださいました。
「浅学非才の身でエンゾ様にはご迷惑をお掛け致しますが、教えをご教授いただきますよう伏してお願い申し上げます」
「ふふふ、そんな固くならないで。あなたと違って私の出自は平民なのよ」
「いえ、私は教えを乞う立場ですので」
「あなたはとても真面目な娘なのね」
くすくすと笑うエンゾ様は陽だまりのような温かな雰囲気のあるお方でした。ですが、朗らかなエンゾ様は商家の末娘でありながら、下手な貴族よりもよっぽど威厳がおありです。また、幼かった私を厳しくも優しく導いて下さった素晴らしい聖女でもありました。
そんなエンゾ様のお導きのお陰で、私は歴代最強の聖女と謳われるようになりました。エンゾ様には感謝をしてもしきれません。本当に素晴らしいお方でした。
エンゾ様と過ごした日々は本当にとても充実したものでした。もっとも、聖女は私とエンゾ様の2人しかいない為、聖務はとても厳しく忙しいものではありましたが。
しかも、私は伯爵令嬢でもありましたから、15歳のデビュタントを機に聖女としての聖務だけではなく、貴族令嬢としての義務である社交もこなさねばなりません。
ですが、正直に申しまして、私はあまり社交界を好みませんでした。エンゾ様との実直な語らいとは異なり、貴族は虚言と倨慢の塊で、社交の場は不誠実な空気で満たされており、私には水が合わなかったのです。
ただでさえ聖務で忙しいのに、貴族の下らない腹芸に付き合うのには辟易しました。ですが、これも貴族の家に生まれた者の務め。
できれば夜会はいつも壁の花でやり過してしまいたかったのですが、周囲がそれを許してはくれませんでした。
それは、クライステル家が領地経営に成功して台頭してきており、その長女である私はアシュレインの貴族にとって無視できない存在となっていたからでした。くわえて、輝く様な金色の髪と透き通るエメラルドのような翠の瞳を持つ私の容姿は、自分で言うのもおこがましいのですが、とても美しく目立つものだったのです。
更に、聖女としての名声もあって私の存在は、私の意思とは無関係に社交界で燦然と輝いてしまっていたのです。
やがて、私は瞳の色になぞらえて、こう呼ばれるようになりました――『アシュレインの翠玉』と……
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