(失声症パロディ/二次創作)
sxxn水 主人公
桃水 多め
――声のない旋律――
「……こさめ? どうしたの、そんな顔して」
練習室のドアを開けた瞬間、らんが最初に異変に気づいた。
いつもなら「おはよー!」と真っ先に声を出すこさめが、今日は壁にもたれて俯いている。
「……」
「こさめ?」
いるまが近づいて、少し屈んで顔を覗き込む。
「寝不足? それとも喉?」
こさめは小さく首を横に振り、喉元に手を当てた。
少し迷ってから、スマホを取り出す。
【……声、出ない】
「え……?」
LANが目を見開く。
「ちょっと待って。今の、本当?」
こさめは苦笑して、画面をもう一度見せる。
【朝起きたら出なくなってた】
らんは一瞬言葉に詰まってから、そっと声を落とした。
「……それ、怖かったよね」
「急だったでしょ」
こさめは小さく頷く。
「病院は?」
「もう行った?」
いるまが低い声で聞く。
【予約は取ってる】
【でも今日、練習あるし】
「そっか……」
らんは少し考えてから、穏やかに続けた。
「でもさ、無理はしなくていいと思うよ」
「ライブ大事なのは分かるけど、こさめの体の方がもっと大事だから」
こさめは慌ててメモ帳を引き寄せる。
【大丈夫だって】
【喉も痛くないし】
【声出ないだけ】
「……“だけ”って思えないよ」
いるまが静かに言う。
「こさめにとって、声はすごく大事なものだろ」
こさめは視線を落とし、しばらくしてから文字を打つ。
【……正直】
【めっちゃ怖い】
らんはその文字を見て、ふっと息を吐いた。
「言ってくれてありがとう」
「怖いって思うの、当たり前だよ」
「一人で抱えなくていい」
LANも頷く。
「急に声出なくなったら、誰だって不安になる」
こさめは顔を上げる。
【でもさ】
【声なくなったら】
【こさめ、役に立たなくない?】
「そんなことないよ」
らんは即座に、でも優しく言った。
「声が出なくても、こさめはこさめだよ」
「ここにいてくれるだけで、意味ある」
「それに」
らんは少し笑って、
「癒し担当は、簡単にいなくならないから」
こさめは思わず笑ったが、すぐに目を伏せる。
【歌えなかったら】
【みんなに迷惑かける】
「迷惑かどうか決めるのは、こさめじゃない」
いるまが少し強めに言う。
「俺たちはグループだ」
らんも、うん、と頷いた。
「できない時は、支え合うのがグループのいいところでしょ」
こさめの目に、じわっと涙が溜まる。
らんは何も言わず、そっとティッシュを差し出した。
「……無理に我慢しなくていいよ」
こさめは受け取り、目元を拭く。
【ありがと】
【ほんとに】
「今日は練習内容、変えようか」
いるまが言う。
「こさめは無理に声出さなくていい」
「聞いてるだけでも、十分参加だから」
「ジェスチャー係..? お願いしよっか 笑」
らんが柔らかく笑う。
こさめは少し考えてから、親指を立てた。
【それならいける!】
【任せて!】
「それとね」
LANが付け足す。
「病院、誰かと一緒に行こう」
こさめは慌てて首を振る。
【いやいや】
【一人で行けるって】
らんは少し困ったように笑った。
「行けるのは分かってるよ」
「でも、一人じゃなくてもいいでしょ」
こさめはしばらく黙ってから、短く打つ。
【……じゃあ】
【一緒に来て】
らんの表情が、ほっと緩んだ。
「うん。任せて」
練習室に音楽が流れる。
歌声の中に、こさめの声はない。
それでも、
テンポを刻み、視線で合図を送り、全身で支えるその姿は——
確かに、ここにいる。
声がなくても、こさめは一人じゃない。
――声のない夜――
夜。
部屋の明かりは消してあるのに、こさめはベッドの上で目を閉じたまま、ずっと起きていた。
喉に手を当てる。
昼間と同じ。痛くはない。
でも——何も変わらない。
「……」
息だけが、静かに漏れる。
スマホの画面が光った。
グループ通知。
誰かが何か話しているらしい。
でも、今は見る気になれなかった。
こさめは天井を見つめながら、胸の奥がじわじわ重くなるのを感じていた。
(もし、このまま……)
考えたくないのに、勝手に浮かぶ。
歌えないままの自分。
マイクを持たない自分。
ステージの端で、笑ってるだけの自分。
「……それ、いる?」
声に出せない言葉が、喉の奥で詰まる。
スマホを握りしめて、メモを開く。
誰にも見せないつもりで、文字を打った。
【このまま声戻らなかったら】
【こさめ、どうすんだろ】
指が止まる。
【みんなは優しい】
【でもそれって】
【気使われてるだけじゃない?】
画面が滲んだ。
【正直】
【怖い】
【明日も】
【声出なかったら】
そこで、入力ができなくなった。
——コンコン。
小さなノック音。
こさめは一瞬固まる。
こんな時間に、誰だ。
ドアの向こうから、控えめな声。
「……こさめ? 起きてる?」
らんだった。
返事をしようとして、できないことを思い出す。
しばらく迷ってから、ベッドを降りてドアを開けた。
らんは、廊下の薄暗い明かりの中で立っていた。
「ごめんね、急に」
「電気、つけなくて大丈夫だよ」
こさめは小さく頷き、部屋に招き入れる。
らんはベッドの端に腰掛け、少し間を空けてから口を開いた。
「……眠れてないよね」
こさめは、正直に頷いた。
スマホを取り出し、短く打つ。
【全然】
らんは無理に笑わなかった。
「そっか」
「ね、今さ」
「話さなくていいから、聞いてほしいんだけど」
こさめは、また頷く。
「今日一日、こさめ、すごく頑張ってた」
「平気な顔して、みんな気遣って」
「でも……」
らんは少し言葉を探してから、続けた。
「夜になるとさ、急に全部押し寄せてくるよね」
その瞬間、こさめの目が揺れた。
スマホを強く握って、文字を打つ。
【……うん】
【昼は】
【大丈夫なフリできる】
【でも夜は無理】
らんは静かに頷く。
「だよね」
「だからさ、今は弱くなっていい」
「誰も見てないし」
こさめの指が震える。
【もし】
【このまま声戻らなかったら】
【こさめ】
【ここにいていいのかな】
送信した瞬間、涙が一気に溢れた。
らんは驚かず、ただ、そっとティッシュを差し出した。
「……いていいに決まってるよ」
「声が出るから一緒にいるんじゃない」
「こさめだから、一緒にいるんだよ」
こさめは何度も首を振る。
【でも】
【歌えないのは】
【致命的じゃん】
らんは、少しだけ困ったように笑った。
「致命的かどうかはさ」
「今すぐ決めなくていい」
「明日、声出なくても」
「来週でも、来月でも」
「こさめが戻ってくる場所は、ちゃんとある」
こさめは嗚咽をこらえながら、打つ。
【……ずるい】
【そんな言い方】
らんは小さく笑った。
「ごめんね」
「でも、嘘は言ってない」
しばらく、部屋に静寂が落ちる。
こさめの呼吸が、少しずつ落ち着いていく。
最後に、短く文字を打った。
【今日は】
【一緒にいてほしい】
らんは迷わず答えた。
「うん」
「ここにいるよ」
部屋の灯りはつけないまま。
夜はまだ長い。
でも——
こさめは一人じゃなかった。
声が出なくても。
弱くなっても。
この夜を、誰かと越えられる。
――病院へ――
朝。
まだ空気が冷たくて、街は完全に目を覚ましていない。
こさめは病院の自動ドアの前で、一度だけ足を止めた。
ガラス越しに見える白い廊下。消毒液の匂いが、想像だけで胸に広がる。
「……大丈夫?」
隣で、らんが小さな声で聞いた。
こさめはスマホを取り出す。
【正直】
【めっちゃ緊張してる】
らんは苦笑して、少し肩をすくめた。
「だよね」
「俺も、自分のことじゃないのに緊張してる」
その言葉に、こさめの口元が少しだけ緩む。
【巻き込んでごめん】
「違うよ」
らんは即座に首を振った。
「一緒に来たいって思っただけ」
「それに……」
少し間を置いてから、続ける。
「一人でこの場所来るの、怖いでしょ」
こさめは、返事の代わりに小さく頷いた。
自動ドアが開く。
静かな受付、低い話し声、規則正しい足音。
番号札を取る間も、こさめの指は落ち着かない。
【もしさ】
【変な病気だったらどうしよう】
らんはその画面を見て、少しだけ真剣な表情になった。
「不安になるのは当たり前だよ」
「でも、ちゃんと診てもらえる場所に来た」
「それだけで、もう一歩進んでる」
待合室の椅子に並んで座る。
テレビの音が小さく流れているのに、内容は頭に入らない。
こさめは喉に手を当てる。
昨日と変わらない感覚。
【声出なかったら】
【やっぱりダメなのかな】
らんは、少し考えてから答えた。
「“ダメ”って誰が決めるんだろうね」
「少なくとも、俺はそう思わない」
「今日ここで分かるのは、“今の状態”だけ」
「未来全部じゃない」
その言葉に、こさめは深く息を吸った。
「〇番の方〜」
名前を呼ばれても、反射的に返事ができない。
一瞬遅れて、らんが立ち上がる。
「こさめ、行こ」
診察室の前。
ドアの前で、こさめは立ち止まった。
【……怖い】
らんは、ドアノブに手をかけたまま、振り返る。
「うん」
「怖いよね」
「でもさ」
「中に入っても、俺は外で待ってる」
「逃げたくなったら、すぐ出てきていい」
こさめは少し迷ってから、短く打った。
【終わったら】
【ちゃんと教える】
らんは笑った。
「うん。待ってる」
診察室の中は、思ったより静かだった。
医師の穏やかな声、紙をめくる音。
説明を聞きながら、こさめは何度も頷く。
メモを取り、質問を書いて見せる。
——時間は、ゆっくり進んだ。
診察が終わり、ドアを開けると、らんがすぐ顔を上げた。
「どうだった?」
こさめは一度深呼吸してから、スマホを見せる。
【失声症だって、すぐに治るとは言えないけど】
【ちゃんと理由はありそうだって】
らんの表情が、少し和らぐ。
「そっか……」
「それ聞けただけでも、大きいね」
【でも】
【しばらく声は出さない方がいいって】
らんは頷いた。
「うん」
「それなら、今は“治す期間”だね」
病院を出ると、朝の光が少し強くなっていた。
こさめは空を見上げて、ゆっくり文字を打つ。
【昨日より】
【ちょっとだけ】
【前に進んだ気がする】
らんは、穏やかに笑った。
「うん」
「ちゃんと、進んでるよ」
声が戻るかどうかは、まだ分からない。
でも——
一人で抱え込む時間は、確実に減っていた。
――声が、戻る――
朝の光が、カーテンの隙間から差し込んでいた。
こさめはゆっくり目を開ける。
喉に、違和感。
昨日までの“何もない感じ”とは、少し違った。
(……?)
ベッドの横を見ると、らんが椅子に座ったまま、うとうとしていた。
一晩、ここにいたのがわかる。
こさめが不安にならないようにずっと傍にいてくれてさすが、リーダーだなと思う。
こさめは小さく息を吸う。
「……」
空気が震えた。
ほんの、かすれた音。
こさめは固まる。
心臓が、一拍遅れて跳ねた。
もう一度、慎重に。
「……あ」
音。
確かに、自分の声だった。
震えているし、弱い。
でも無だと思っていた場所から、ちゃんと生まれた音。
こさめは喉を押さえ、必死に息を整える。
「……ら、ん……」
掠れた呼び声。
らんが、はっと顔を上げた。
「……え?」
「今……」
こさめは、涙が溜まったまま、もう一度。
「らん…く…ん..」
らんの目が大きく見開かれる。
「……声」
「こさめ、今……」
こさめは、笑おうとして、泣いた。
「……戻っ、た……?」
言葉になった瞬間、声が途切れそうになる。
でも、消えない。
らんは勢いよく立ち上がって、でも触れるのをためらうみたいに、少し距離を保ったまま言った。
「無理しないで」
「でも……」
声が震える。
「よかった……」
こさめは、ゆっくり頷いた。
「……まだ」
「……完全じゃ、ない」
「……でも」
一語一語、確かめるように。
「……ゼロ、じゃない」
らんは、何度も頷いた。
「うん」
「それで十分だよ」
「今日は、それだけでいい」
こさめはベッドに座り直し、喉を撫でる。
「……怖かった」
言えた。
ちゃんと、声で。
「……戻らなかったらって」
らんは、静かに答える。
「うん」
「でも、戻ってきた」
「ちゃんと」
こさめは目を閉じて、息を吸う。
「……ありがとう」
らんは一瞬驚いてから、柔らかく笑った。
「どういたしまして」
「声、戻したのはこさめ自身だけどね」
こさめは、少し照れたように視線を逸らす。
「……今日、歌えないかな…」
「……でも」
一拍置いて。
「……そのうち」
らんは、安心したように頷いた。
「待ってる」
「いくらでも」
窓の外で、朝が本格的に動き始める。
声はまだ弱い。
でも確かに、ここにある。
こさめは初めて、
“失うかもしれない恐怖”じゃなく、
“取り戻した実感”で、胸がいっぱいになった。
——声は、戻った。
ただそれだけで満足だった───。
最後まで読んでいただきありがとうございました。
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