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『明後日の午前十一時、|神楽《かぐら》グループの本社ビルに来い。受付にアンタの名前を言えば案内するように話しておくが、何か聞かれても余計な事は喋るな』
「余計な事って、迷惑料とかその代わりの契約の話の事ですか? そんなこと聞かれても言える訳ないじゃないですか」
神楽グループの御曹司が、こんな平凡なOLに迷惑料を請求してると話したところで誰が信じるというのか。下手すれば私の方が、彼の気を引こうとして変な演技をしてる痛い女扱いされかねない。
それに、私は心のどこかで神楽 |朝陽《あさひ》はそんなに酷い奴じゃないような気がし始めていて。|流《ながれ》の件で彼にお願いした以上の事をしてもらったからなんて、自分はやっぱり単純なのかもと思わないわけじゃないけれど。
『それならいい。とりあえず当日はキチンとした身なりで来い、色はそうだな……白が無難だろう』
「服の色まで指定するんですか、面倒臭い」
ついつい出てしまった本音、だってそこまで細かく指示されるとは思っていなかったから。彼と交わすであろう、契約とやらの内容をまだ教えられてないから尚更だ。
『……俺に意見できる立場だったか、アンタは?』
「いいえ、そんなつもりは欠片もありません。白を着てればいいんですよね、分かりました」
神楽 朝陽がドSモードにならないうちにさっさと会話を終わらせなければ。聞き分けよくすればそれはそれで面白くないらしい彼の舌打ちを聞こえないフリをして、そのままさっさと電話を切った。
「|雨宮《あまみや》 |鈴凪《すずな》様ですね、すぐに担当の者が参りますので少々お待ちください」
「あ、はい。どうも……」
|神楽《かぐら》 |朝陽《あさひ》に指示された通り受付の女性に声をかけると、すぐに対応してくれた。けれど担当の者って、自分はあれほど余計な事を喋るなと言っておいてどういう事なのか?
とにかく私は彼の指示通りに神楽グループの本社ビルに来て受付に話したのだから、何も問題ない筈だと自分に言い聞かせる。担当がどんな人でも適当に躱せばいい、そう思ってたのに……
「時間は守れるようだな、これで遅れてきたら利子でもつけてやろうかと思っていたところだ」
「神楽、朝陽さん……どうしてここに? だって、さっき担当の人が来るって」
まさかの最初からのラスボス登場に私も戸惑ってしまった。心の準備はそれなりにしてきたつもりだったが、まだまだ私は甘かったようで。担当の者という言葉に、すっかり気を抜いてしまっていたのが間違いだった。
「アンタの担当は俺に決まってるだろ、他に誰がいるって言うんだ」
そう言いながらも神楽 朝陽の眼鏡の奥の瞳は楽しそうに細められている。ドSな彼の事だ、ワザと担当の者という言葉を使って安心させておいたに違いない。その方が私のショックが大きいのを分かっててだ、本当に腹が立つ!
「……そうですね。わざわざ受付嬢にそんな遠回しな言い方をさせる、その性格の悪さは拍手ものだとおもいます」
「へえ、なかなか言うじゃないか。それでこそ躾がいがあるってもんだ」
うん、もう何も聞こえなかったことにした方が良い。そう思った私は神楽 朝陽の声だけをシャットアウトする方法を本気で考えていた。
「……い、おい。俺の話をちゃんと聞いてるのか?」
「あ、何か用でしたか? いまちょうど|神楽《かぐら》さんの音声だけシャットアウト中だったので」
顔を覗き込まれ何かを話しかけられた驚きで、慌てて本当のことを言ってしまう。みるみるうちに神楽 |朝陽《あさひ》の表情が満面の笑みに変わってやっと「やってしまった」事に気付いた。
こういう時に余計な一言を口にしてしまい失敗するのが多い自分、彼にとって私は丁度良い玩具になりそうだと分かっていたはずなのに。
「いや、あの……ちょっと私の防音システムが誤作動を」
「へえ? 俺の音声だけに誤作動をね?」
こんな苦しい言い訳をするより素直に謝った方が良いと思うのに、自分は悪くないと主張するもう一人の私が状況を悪化させる。
すると神楽 朝陽は何故か眼鏡を外し、周りの女性陣を虜にするような素敵な微笑みを浮かべて……
「いいか、|鈴凪《すずな》。俺の言葉に反抗してくるのも楽しいが、それが後々自分の首を絞めるだけだという事はちゃんとその脳みそに叩き込んでおけよ?」
「……そう、ですよねー」
笑顔で凄むのは止めて欲しい。遠巻きに見ている女性陣には内容が聞こえないのか瞳をキラキラさせているが、私はしっかり被害を被ってるんですから。
あと、眼鏡を外すとドSになるの止めません? 貴方は普段から十分意地悪な性格だと思うので。そんなことを考えてしまっていたせいか、いい加減に人の話を聞けというように神楽 朝陽に頭を小突かれてしまった。
「返事もキチンとしろ。いいか、この先何があっても言われても全て笑顔で対応して見せるんだ。|鈴凪《すずな》がどれだけ上手く出来るのかを確認するのも含まれてるんだからな」
「出来るって、いったい何を……って、いきなり何するんですか⁉」
話している内容が全く理解出来ずに聞き返そうとすると、いきなり腰のあたりに手を伸ばされ引き寄せられる。何が起こっているのか脳がついてきてくれてないのに、|神楽《かぐら》 |朝陽《あさひ》はそのまま歩き出してしまう。
まるで恋人の様な距離感に頭が混乱するが、彼の言われたとおりにやれなければ後で痛い目を見るのは私に決まってる。そう思うと何とか作り笑顔も貼り付けることが出来たのだけど……
「やだ、何あれ?」
「神楽さんの隣にいる女性は誰なのかしら? 一時期、社内で噂になっていたあの人じゃないわよね……」
周りの女性のヒソヒソ話が全部聞こえてくる。いや、多分私に聞こえるように話しているのかもしれないが。それにしてもあの人って……? 何となく神楽 朝陽を覗き込む。彼は爽やかそうな笑顔だったけれど、それがどこか不自然な気もした。
だけど私の運が悪いのはまだ続いていたらしく、エレベーターの前で元カレの|流《ながれ》に遭遇してしまう。あの時の綺麗な女性と仲良く話しながらエレベーターを出てくるその姿に驚きで息が詰まりそうになる。
その二人とすれ違った一瞬だけ、二人から刺すような視線を感じたのは気の所為ではないはず。意味が分からなかったが、どうにか振り返らずに通り過ぎエレベーターに乗り込むことが出来た。