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雨が降っていた。春先の、肌にしみるような細かい雨。
学校からの帰り道、制服のジャケットの襟を立てながら歩く。雨粒が金髪に散って、光を反射してきらりと光った。
俺、璃央羅は、ただ歩く。誰とも話さず、誰とも目を合わせず。家に帰れば、蒼真がいることは分かっている。けど、それは特別なことじゃない。彼がいるのは、当たり前で――いや、鬱陶しいだけだった。
玄関を開けると、案の定蒼真は廊下に立っていた。黒いジャケットに細身のパンツ。靴を脱ぐ動作さえ無駄がなく、体の傾きひとつで空気を支配している。
見上げると、顔を少しだけ上げて俺を見た。視線は冷たい。いつもより少し鋭い気がした。
「……遅い」
短く言う。言葉は少ないが、怒っていることは伝わる。
俺は肩をすくめて返す。
「別に、普通だし」
小さな嘘。普通じゃないのは分かっている。学校で、あいつらにまた「神崎の義弟」って言われたことも、今日のテストの結果も、全部重くて鬱陶しくて、だから少しふざけて流してみただけ。
蒼真は一歩、近づいた。距離を詰めるでもなく、ただ俺の横に立つ。濡れた髪から湯気のように湿った匂いが漂う。俺は反射的に身を引く。
「……風邪引くぞ」
言葉は短いのに、体の距離感と声の低さが妙に圧力になる。
俺は心の中で舌打ちした。くそ、毎回毎回、なんでこんなに俺をいらつかせるんだ。
その時、意地悪く思った。
もしあいつがいなければ、俺はもう少し自由で、もう少し楽かもしれない。
でも、逃げることもできない。俺の家に、蒼真がいるから。
夕食の準備の音が台所から聞こえる。母さんは仕事で遅い。
俺は黙って自分の部屋に入った。窓際の机に向かい、今日のテストの点数をノートに書き込む。
百点満点中八十二点。悪くはない。悪くはないはずだ。
でも、蒼真の名前がつくと……「まあ、当然だよな」って言われるだけ。
八歳の時も、十二歳の時も、同じように思った。
自分の努力が、誰にも認められないのはなぜだろう。
努力しても、褒められたのは蒼真の陰に隠れた自分だけだった。
それでも俺は――諦めるわけにはいかないのか。
机に突っ伏して考えていると、部屋のドアが静かに開く音がした。
「……いるか」
低くて落ち着いた声。無理に柔らかくしようとしていないのが分かる。
俺は小さく息を吐き、背を向けたまま返す。
「うるせぇ……」
その瞬間、足音が止まる。しばらくの間、何も聞こえなかった。
そして、そっと座椅子に腰を下ろす音。
蒼真は黙って、俺の後ろに座った。距離は少しある。少しだけ、だ。
雨の音、窓の向こうの街の光、部屋の空気。
静かすぎて、逆に息が詰まる。
「……点数は」
やっと言葉が出る。俺の名前を呼ぶだけで、いつも少し胸が詰まる。
でも、俺はそっけなく返した。
「別に、いいだろ」
蒼真は小さく舌打ちしたような音を立てて、机の上のノートを見た。
顔を上げずに言った。
「お前はもっとできる」
短く、でも重い。重すぎる。
俺はむっとして机を叩く。
「うるせぇ! 期待すんなよ!!」
反抗期の血が騒ぐ。拳を握る。
でも、蒼真は動じない。目だけで俺を追う。じっと、見つめる。
その視線は冷たいのに、どこか、俺のことを潰したくない感じがする。
……鬱陶しいくらいに優しい。
俺は頭を抱えて、ため息をつく。
くそ……何なんだよ、この人は。
それから夕食の時間まで、俺たちはほとんど言葉を交わさなかった。
でも、同じ屋根の下で、同じ空気を吸っているだけで、少し安心もしていた。
やっぱり、蒼真は近くにいるだけで、どうしようもなく邪魔で、どうしようもなく守られている。
――そして、俺は心のどこかで思う。
いつか、俺も自分だけの光で、あいつの目を奪ってみせる。
蒼真の義弟じゃなく、璃央羅として、あいつに認めさせてみせる。
窓の外、雨の中で光る街灯が、まるで小さな星みたいに揺れていた。