コメント
0件
哲学系です。
完全に個人の意見なのでご了承ください。
短目
世界というのは、実に残酷だ。
自惚れてしまいたいと思えば突き放され、
いなくなりたいと願えば引き止められる。
自分のしたいことを強制され、
したくない事を無理強いされる。
この世というのは、恐ろしく酷く造られている。
愛だと言うも世界は轟かず、
金だと言うも軽蔑の目を向けられる。
縁だと言えば妬まれ、
運だと言えば僻まれる。
それ程、この世界は形容し難く、
醜いと同時に綺麗なのだ。
例え自分がこの世のヒーローになったとして、
この世は正される訳では無い。
抑、正しいというのは個人の意見であり、
全体で100%認められることは無いのだ。
これは絶対で、変わることは無いと思う。
1人の正しさを押し付けたとして、相手はそれが悪だと思うかもしれない。
相手がいいと思った本が、自分には微妙だと思うことと同じ。
今、これを読んでいるあなたも、どう思うかは分からない。
汚いと思うか、共感するか、それとも違うと思うか。
やはり、人というのは皆違うのだ。
この世界は醜いと同時に綺麗だ。
美醜に関心がないという人でも、この世界は全てが綺麗だと思うことは出来るのだろうか?
これは完全に個としての意見だが、
この世界は歪だ。
人を助けるという行為がある人にとっては邪魔だと思うかもしれないし、ありがたいと思うかもしれない。
善を語る人等も、当人ならこれはいい事だと思うかもしれないが、それは偽善だと感じる人もいるかもしれない。
人という字は支え合うと言うが、あれは支えるのではなく頼っているのだ。
頼るという行為がダメな訳では無い。
勿論信頼という意味で捕えることができるし、自分の限界を知っているというのは自分のためにもなる。
しかし、全てを頼るというのは、本当に自分の為になっているのだろうか?
頼ると言う事が自分のためになるなら、頼った相手はその相手のためになるのだろうか。
信頼と言う事が相手から嬉しいことなら、自分は全てを委ねることが出来るのだろうか。
考えれば考えるほどにキリがない。
相手になって考えるとメリットがなかったり、自分からするとデメリットすぎると思ったりもする
感じ方は個々それぞれであり、標準というものが無いのだ。
あなたにとってテストは毎回100点が取れないという事実が、ほかの友達は毎回100点だと思うかもしれない。
まぁ、つまり何が言いたいかと言うと、
自分の意見を人に押し付けるべからず、という事だ。
これも自分の意見になるのだろう。それもそうだ
自分は自分の意見を語っているだけであり、
あなたの言葉なんて、誰の思いなんてなにも響いてないのだ。
響いているものだってあると思う時があるが、それは思い込みだと考えてしまう。
自分を基準にして考えて、考えて考えた結果、
全てが泡と化すのだ。
全部無になるのだ。
それなら、もう考えなくていいと思っても、
自分は考えるのだ。
この世界は醜く、同時に綺麗だ。
愛と謳って人を傷つけ、
金を利用して他者を操り、
縁を偽り他人を欺き、
運に縋って諦める。
人を堕落させるには十分で、綺麗な言葉に変えられる。
最も甘い罠というのは、言葉であり、この世界なのだ。