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「ひま部って……なんですか、それ?」
春のある日、誠はとある高校で講演をしていた。
テーマは「言葉が心を救うとき」。
出版社の紹介で依頼された講演だったが、教壇に立った瞬間、30年前の記憶がふと蘇った。
視線の先には、かつての自分に似た少年が座っていた。
どこか寂しげで、周囲に溶け込めず、俯きながらも耳だけはしっかりと傾けている。
――もしかしたら、あのときの自分も、誰かに話を聞いてほしかったのかもしれない。
そんな思いが胸をよぎり、講演の終盤、誠はひとつの話をした。
「昔、“ひま部”という部活をやってたんです。……と言っても、正式な部活じゃない。ただ、放課後に集まって“何もしない”時間を共有する、そんな居場所でした。」
生徒たちはぽかんとした表情を見せる者もいれば、クスッと笑う者もいた。
だが、その中で一人、あの少年だけが真っ直ぐに目を見開いていた。
講演が終わったあと、少年が誠のもとに近づいてきた。
「“ひま部”って、本当にあったんですか?」
「……あぁ、本当にあった。ふたりだけの、秘密の部活だった。」
「……僕、入りたいです。入部、まだできますか?」
誠は驚いた。けれど、ふっと肩の力が抜けるような温かさが体中に広がった。
「いいよ。入部届はいらない。ただ、“自分の時間”をちゃんと持ちたいって思ったら、それだけで入部資格がある。」
少年は、少し照れながら笑った。
その日から、誠のなかで何かが静かに動き出した。
帰りの電車の中で、誠はノートを取り出し、“ひま部、再起動”と題して新しいプロジェクトをメモし始めた。
学校や地域に、名前もルールもない“心の居場所”を作るという小さな試み。
形式はいらない。
誰かと話すでも、ただ黙って座るでもいい。
スマホを置いて、ほんの少しだけ、自分と向き合える空間。
それを“ひま部”と名付けた。
数週間後、彼はかつての母校に連絡を取り、校舎の片隅に“ひま部”コーナーを設けてもらう許可を得た。
古びた机と椅子をふたつ、棚にはノートとペン。
訪れた誰かが、自由に思いを書き、残していけるように。
ある日、ひとりの女子生徒がふらりとやってきた。
制服の袖を強く握りしめ、何かを抱えたような沈んだ目。
彼女は無言でノートを開き、しばらく考えてから、ゆっくりと書き始めた。
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「今日は誰とも話せなかった。
でも、この場所があってよかった。
名前を知らない誰かが、ここにいたことがわかるだけで、ちょっと安心できる。」
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それを読んだ誠は、そっと微笑んだ。
“ひま部”は、確かに再起動していた。
それはもう、自分ひとりのものじゃない。
あの杏美との記憶を継いだ、小さくて静かな灯火だった。
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夜、自宅の机に戻った誠は、杏美の手紙を読み返した。
「もし、いなくなっても、森崎くんは“ここ”にいてくれるかな?」
「……いるよ。ずっと、ここにいる。」
静かにそう呟き、ペンを取った。
ノートに新たなページを開き、こう綴る。
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「ひま部、再起動。
今日、初めての“新入部員”が来た。
名前も聞かなかったけど、彼女の書いた言葉が、ちゃんと胸に届いた。
きっと、あの頃の僕たちも、誰かに届いていたんだと思う。」
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時を越え、想いは循環する。
そしてまた、誰かの心の奥で“ひま部”が芽吹いていく。