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「お、お邪魔しま~す……」
「ふふ、君の家でもあるよ」
朝倉さんに案内され、無事家に着いた。 僕は少し緊張しながらも家に入る。
地上八階のこの部屋は、この市の中でも有数の高級マンションらしく少し入るのに勇気がいる。
病院にいる時は実家に住んでいると思っていたのだがどうやら記憶補正が働いていたらしい。
あまり見覚えのない空間なのに落ち着くにおいがした。
「おかえり」
僕の視界は一瞬黒い闇へと引き込まれる。
「……!?っ?」
彼は僕を抱き寄せ、額に唇を寄せた。彼の体温がほのかに暖かい。
バクバクと鼓動が速くなるのを感じ、顔が熱くなる。
それに加え彼からはさわやかないい匂いがするものだからすっかり緊張して息をするのを忘れてしまっていた。
「ご、ごめん珠羽くん。つい、癖で……」
「いや、だっ、だいじょうぶでひゅ……」
パニックになった僕から朝倉さんは名残惜しそうに離れる。
以前の僕はいったい何者だったのだろう。こんな恥ずかしいことをした覚えはない。
まだ熱い額を押さえながら彼のほうを見る。
一人ぼっちの子どもみたいな表情で僕を見つめる姿になんだか心が痛んだ。
「よ、よしよ~し……」
彼がしてくれるように僕も優しく髪を撫でた。
僕の身長が足りず、背伸びをしていると彼がかがんでくれる。
柔らかくて暖かい彼の髪は僕の心にも安らぎを与えてくれた。
「珠羽くん。あの、寒くない?」
「あっ、ごめんなさい、玄関で」
僕はすっかりまだ靴も脱いでいないことを忘れてしまっていた。
真っ赤になって固まっているといつの間にか僕はソファーに座っていた。
白くてふかふかのソファーに座らされ、暖かくてモフモフしたスリッパをはかされている。
(これは……ウサギ?それともネコかな?)
スリッパに描かれている明るい灰色の動物を眺める。
すると奥からエプロン姿の朝倉さんがひょっこりと顔をのぞかせた。
しばらくすると台所からいい匂いが漂ってきた。
「お昼サンドイッチだけど、トマトスープもいる?」
その姿になぜか胸が高鳴る。ギャップ萌えというやつだろうか?
作られている経験のほうが多そうな彼がエプロンを着るととてもスマートでかっこいい。
「はい、ありがとうございます、朝倉さん」
「……」
沈黙が返ってくる。何かまずいことでも言ってしまったのだろうか。
「えっと?朝倉さん?」
「同い年だし、タメ口でいいよ」
昔を懐かしむように微笑んで言った。
彼は、『今の僕』を見ず、『昔の僕』の幻影をなぞっているようだった。
それがなんだかさみしくて、その瞳に自分を映したいと思ってしまう。
「綺麗だね、斗希くんの瞳」
にっこりと笑って言うと彼は目を見開き、僕のほうを見た。
アイスブルーの宝石はキラキラと俺を映していた。
――ピーッピーッ
電子レンジの音が響く。不思議に思ってそちらのほうを見ていると彼が答えてくれた。
「トマト温めてたんだ。皮むきやすくなるし」
「えっ?スープってインスタントじゃなくて手作りしてくれてたの?」
てっきり店で買ってきたものを出してくれるのだとばかり思っていたのだがどうやら彼の手作りらしい。
「もうすぐできるから待っててね」
「あ、ありがとう……斗希くん」
そういうと彼は無言で僕を抱きしめた。
「ふーふー。はい、あーん」
僕の隣に座ってカップの中のスープを差し出してくるのは先ほどまで料理をしていた斗希くんだ。
「じ、自分で食べれるよっ」
恥ずかしくなって俯いていると顔に近くにレンゲで掬ったスープが差し出される。
トマトとコンソメのおいしそうな匂いに勝手に僕の口が開く。そして僕の口にそっとレンゲが当てられた。
程よい酸味と暖かさに体が温まる。細かく刻んである玉ねぎがおいしい。
それがなんだか懐かしくて優しくてでも少し怖い。
自分の像がぼやけてわからない。
「よくできました」
嬉しそうに笑いながら彼は僕の頭を撫でた。
今日会ったばかりだが、毎回心臓が羽で撫でられたようにくすぐったい。
自分も甘えてみたいという気持ちと恥ずかしいという気持ちがせめぎあう。
「おいしい、斗希くんのご飯好きだよ」
「ありがとう、珠羽くんは変わらないね」
いつも俺の料理をほめてくれてうれしい、と彼が言う。
なるほど、僕はこの人に毎日料理を作らせていた、と。
(申し訳ない……。でもおいしい)
「よかった。俺の作ったご飯毎日いっぱい食べてね」
「ありがとう、でも僕も手伝う」
そう答えると彼は食べたい、とはにかむように笑った。
僕はその笑顔が今も昔も大好きだ。
◆◇◆◇
「珠羽くん。お昼寝、する?病院から帰ってきたばっかりで疲れたよね」
「うん、少し寝る」
珠羽くんが眠そうな声色で返事をする。
ぽやぽやとした表情に思わず頬が緩んでしまう。
枕と毛布を持ってきてソファーを倒すとあっという間にベッドの完成だ。
「こっちおいで」
「い、一緒に寝るの?」
俺が横になると緊張した面持ちで珠羽くんが俺のほうを見た。
愛らしくもいじらしい姿がたまらなく俺の心をゆすぶった。
「し、失礼しま~す……」
珠羽くんがおずおずと布団に入ってくる。
顔を赤くした彼は俺が腰に手を回すと緊張したようにびくりと震える。
いつも一緒に寝ていたはずなのに緊張されるとなんだか苦しい。
「お、おやすみなさい」
彼は挨拶をした後俺の胸に顔をうずめて目を閉じた。
相当疲れていたのだろう。数分後には気持ちよさそうに寝息を立て始めた。
「そういえば、珠羽くんにちゃんと好きって言ってもらったことないな……。」
彼は俺のことが好きなのだろうか。
鈍感なのか、天然なのか、好きだと言っても恋愛として受け取ってくれていない感じがする。
◆◇◆◇
今朝、一通の連絡が俺の携帯電話に届いた。
『上原瑛太:朝倉、今珠羽が起きたんだけどさ。』
『朝倉斗希:うん、知ってる。今向かってる。』
珠羽くんのご両親から聞いていてすぐに家を出た。
俺の大切な珠羽くんに何かあったら大変だと思って。
『上原瑛太:面会は一人までらしいぞ。』
それならお前がかわれ、とも思ったが上原も珠羽くんを心配してのことなので仕方がない。
そんなことを考えているとまたすぐに連絡が届いた
『上原瑛太:あと、珠羽は記憶障害でお前のこと忘れてるっぽい』
「は?」
珠羽くんが、俺を、忘れた。
状況を飲み込むのには数秒かかった。
手が震えてうまく文字を打てない。それでも何とか返事を伝えた。
『近くの喫茶店で待ってるから、珠羽連れてきて。』
それから急いで喫茶店へ向かった。
「お二人様ですね。ごゆっくりどうぞ~」
店員の明るい声とは裏腹に俺の心は真っ黒だった。
それでも、たとえ忘れられてしまったとしても俺は珠羽くんが好きだ。
その事実は変わらない。
でも今まで通り普通に接することができるのだろうか。
とりあえず珠羽の好きなマカロンを頼むことにした。
「こ、こんにちは」
一人で悶々としているといつの間にか珠羽くんが来ていた。
顔には緊張した色がうかがえ、完全に自分のことは忘れていそうだ。
それが苦しくて、寂しくて悲しかった。
あの時の自分はちゃんといつも通り笑えていたのだろうか。
ふだん甘く感じるはずのマカロンは味がせず、なぜかコーヒーの苦みだけが舌の上に残った