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ちょうど夕暮れ時で、気の早い面々が一杯やろうと集まり始める時間であった。
当然のように、ジョッキを片手に客達が裏庭へと集まる。
いつの間にかビットが箱のようなものを抱えていて、何やら客達から小銭を入れさせている。
更にフリッツが視線をアリシアに向けると、店長とがっちりと握手を交わしていた。
ああ、やっぱり。
フリッツは自分が見世物にされていることに気づいても、その程度の感想しか浮かばない自分にちょっと同情した。
眼前の少女はやる気に満ち溢れていて、早速剣を抜いている。鎧兜はつけておらず、フリッツはますます男装の意味は何だったのか考える旅に出たくなったが、生憎それを許してはくれなさそうだった。
どうにも戦う気は起きないものの、覚悟を決めて、クリスを観察する。両手で正眼に構えている剣は幅広で、いわゆる騎士の剣だった。それを支える腕は身長の割に長く、見た目の華奢さとは裏腹に剣と一体化しているようにすら見える。
伊達や酔狂で剣を持っているわけではない。それがはっきりとわかった。
フリッツは気を引き締め、クリスの瞳を睨みつけた。少女はしかし、フリッツの眼光にも怯むことなく見つめ返してくる。
「そもそも、山賊だってわたし一人で勝てたことを、証明してあげるわ」
あまつさえそんなことを言い返してきた少女に向かって、半身の姿勢を取る。左腕に螺旋を描いて巻きつく黄金色の腕輪が、夕日を浴びて、キラリと輝いた。
クリスのわずかな動作も見逃さないように、全体を緩く視界に収める。
そして、そのためにそこを見てしまった。アリシアとは比べるべくもないが、年相応に育っているそれを見て、フリッツの脳内に画像が再生される。
一瞬、フリッツの意識が逸れた。
そして当然、素人ではない少女はそれを見逃さない。
「はいっ!」
上段に振りかぶりながら、踏み込み、打ち下ろす。
シンプルだがそれだけに最速の一撃に、フリッツは気づくのが遅れた。
一瞬の、しかし致命的な遅れ。
「くっ!」
しかしそれを、フリッツは身体をわずかに後ろに下げることでかわした。
「えっ?」
当然決まると思っていたらしく、クリスが驚きの声をあげた。
それでも動きは止まらない。斜めに切りあげる二撃目を、フリッツはまたも危なげなくかわした。
クリスの剣は、見事な腕だった。本当に寸止めする気があるのかないのか、流れるような動きで次々とフリッツに襲いかかる。踊るように軽やかに、速く。
観客達も、その動きの速さを眼で追うのがやっとらしく、野次や歓声はいつの間にか止まっていた。
しかし、フリッツはかわし続け、クリスの息が次第に上がってきた。
クリスの表情に焦りが浮かび、思わず弱音が口を吐く。
「な、何でっ? あなた、何者?」
そんな言葉が、裏庭に虚しく響こうとしたその時。
アリシアがクリスの言葉を隠すように、叫んだ。
「フリッツ! 理由は馬鹿馬鹿しくとも、クリスは全力で挑んでいるのよ!」
その言葉に、フリッツの瞳が細められた。
「わきまえなさい!」
アリシアの言葉が終わると同時、フリッツが動いた。
ダン! と音を立ててフリッツが動いた。圧倒的な速さで、左拳が振るわれる。
「うっ!」
クリスがその一撃を交わしたのは、幸運以外では有り得なかった。
しかし、幸運は二度も続かない。バランスを崩したクリスを容赦なく、右拳が捉える。
左肩を打ち抜くような一撃に、クリスの身体が激しくぶれた。
そのまま、右のハイキックがクリスを吹き飛ばした。
「ビット」
アリシアの言葉を受けて、ビットが動いた。
完全に死に体で宙を舞うクリスを、小柄な身体でしっかりと受け止める。
少女は、意識を失っていた。
「ふう」
軽く息を吐いたフリッツに、観客の視線が集まり――
それはすぐに、爆発するような歓声に変わった。
「あ……?」
クリスが眼を覚ますと、そこは暗い部屋のベッドの上だった。
かぶりを振って、上半身を起こすと、わずかな灯りがともっていることに気づく。
見ると、そこにはアリシアが座っていた。
「気がついた?」
どうやらずっとついていてくれたらしいことに気づき、クリスはわずかに顔を赤くした。
「ありがとうございます」
「気にしないで。酔っ払いの相手をするよりはずっといいわ」
そう言って薄明かりの下で軽く微笑むアリシアは、同性のクリスから見ても途方もなく魅力的だった。
意識がはっきりするに従って、階下の騒ぎが耳に届いてきた。
「後のお二人は?」
「酔っ払いの相手よ。フリッツは特に、酒の肴ね」
それでクリスにも状況がはっきりとわかった。
自分は、負けたのだ。自信のあった剣技は彼に触れることもできず。逆に彼の拳は的確に自分を捉え、意識をあっさりと刈り取った。
そこにあるのは、圧倒的な力の差。
自分と変わらない年のはずなのに、何がそうも違うのか。
裸を見られたことの怒りは、憑き物が落ちたかのように消え去っていた。
しかしその替わりにクリスの心に浮かんできたものがある。
――それは、興味。
フリッツという男に対する、止めようもない興味だった。
「彼は、何者なんですか?」
その言葉に、アリシアは笑みを深くした。
「彼はフリッツよ。それ以上もそれ以下も、わたしからは説明しない」
もう大丈夫ね、と言ってアリシアは椅子から立ち上がった。
「自分で確かめることね」
部屋のドアを開けて、アリシアは振り返ってクリスを見た。
「改めて、明日からよろしくね、クリス」
そう言うと、返事を待たずに扉は閉められた。
誰もいなくなった部屋で、閉められた扉で、クリスは一人、返事をする。
「こちらこそ、よろしくお願いします」
圧倒的な強さのフリッツだけではない。アリシアも、自分など及びもつかないほど、大きな器に見えた。その二人と行動を共にするビットも、間違いなく自分よりも上だ。
――もしかしたら、自分を、そして最愛の家族を救ってくれるかもしれない。
大きな興味と小さな期待を抱いたまま、クリスは再び眼を閉じた。